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たびガール  作者: 諏訪いつき
一部一章 湘南編
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二話 車内にて

茉莉が眠っている間にも電車は進む。尾久駅を過ぎると、上野、東京と電車は停車した。茉莉は赤羽から尾久駅周辺で何も見えなくなったので眠ってしまったが、実は上野駅を通り越すと都心の日の出直前の夜景が観られるはずだった。それを知った茉莉が、頑張って起きていればよかったと頭を抱えたのはまた別のお話である。

 東京駅にしばらく停車した後、品川を経由すれば、その次は神奈川県に入る。神奈川県最初の駅は、川崎。川崎駅に着くころには太陽が顔をだして、ずいぶんと外の景色も見られるようになった。茉莉はまだ深い夢の中。昨晩は荷物の忘れがないか心配で何度も確認したり、そもそも緊張で眠れない事も相まって、ちょっとやそっとじゃ起きない状態になっていた。幸せな夢を見ているのだろうか、寝顔にはうっすら笑顔が浮かんでいる。大宮駅から一緒に乗りこんだ茉莉の座席の斜め前の女性は、茉莉が景色を見て、眠たそうになって、眠りに落ちて、その寝顔に笑顔が浮かんで、その一部始終をスマホの画面を見ながらも横目に見ていた。

 神奈川県最大の駅、横浜駅を何事もなく出発した電車は、何か不具合があったのか、走行の途中で急ブレーキをかけた。車内には「急停車します。」とのアナウンス。このアナウンスと振動に、つかの間の眠りを堪能していた茉莉もたまらず小さな悲鳴を上げて目を覚ました。その際のあまりの情報の多さに、茉莉はたまらずパニックになる。急停車って何がおきたの?さっきまで見てた夢が上手く思い出せない。そもそもここはどこ?まさか、寝過ごした?思考が何個も同時に起こって、周りをキョロキョロと見て、「え?何が……どこ!?」と変な声が漏れた。そんな時、「大丈夫、もうすぐ動き出すよ。」と声が聞こえた。視線を声の主の方に戻せば、それはずっと茉莉の斜め前に座っていた女性であった。やはり少し年上に見える。大学生くらいだろうか。

「えと……。」と、茉莉が返答に窮している間に、話は続く。

「ごめんね、びっくりさせちゃったよね。」

「いえ、むしろ落ち着いたというか……。」

 言葉とは裏腹に、茉莉は未だにおろおろしている。

「私は(あかね)。あなたは?」

「井町茉莉っていいます。」

「茉莉ちゃんかあ……。」

 茜はしばらく間を置くと、「いい名前だね」と笑顔を作った。

「ここってどのあたりなんですか?」

「横浜駅を出たところだよ。」

 目的地はこの先の藤沢駅なので、まず寝過ごしていないことに茉莉はとても安心した。電車が再度加速して、朝の営みの始まった住宅街が、後ろに流れていく。茜が「席、移動していいかな」と言ったので軽く了承した。茜は茉莉の正面の席に、荷物を膝の上において座った。長く綺麗な髪が揺れる。

「今日はおでかけ?」

「そんなところです。」

「心の穴」を埋めに行く、なんて変なことは初対面の人にはもちろん言えないから、言葉を濁した。

「どこまで行くの?」

「江の島に向かってます。海とか、見に行きたくて。」

「ふふ、楽しんでおいで。」 茜はずっと明るい顔をしている。茉莉にとって、眩しいくらいに。

「茜さんはどこに向かってるんですか?」

「家の帰り道だよ。私も藤沢に家があって、昨日まで埼玉にいたからね。」

「茜さんも旅行ですか?」

「ううん、妹が入院しててね、お姉ちゃんに会いたいっていうから会いに行ってたのと、友達と晩御飯食べてたんだ。で、終電なくなっちゃったから。」

 ここまで喋って、聞いてはいけないことを聞いてしまったと思っている茉莉の顔を察した茜が、すかさずフォローを入れた。

「妹のことは大丈夫だよ、今まではずっと病気になってから良くも悪くもならなかったんだけど、最近はもうちょっとで退院ってことになってるんだ。」

「本当ですか?」それを聞いて茉莉はホッとした。他人の幸せに立ち会って、なんだか暖かい気持ちもあった。

 戸塚に近づく。この辺りでは特有の景色を見ることができる。土地がいたるところで隆起していて、家々はそれに沿って建っている。ここに住んでいる人は足腰が強そうだなあと考えた。昔何かの映画で見た、巨大な動物の上に街を作って住む人々のようだと感じた。会話はまだ続く。

「茜さんは、いつもお出かけとかするんですか?」

「たまにどこかに行くくらいだよ。」

「どこに行ったりしたんですか?」

「あんまり遠くには行かないかな。県内に観光地いっぱいあるから。箱根とか、横浜の中華街とか、八景島の方とか。」

 電車は戸塚駅に少しだけ停車して、すぐ出発した。

「箱根って神奈川県なんですか?」

「え?」

「え」

 沈黙が流れる。茜はあっけにとられた顔をしている。茉莉は本気で不思議そうな顔をしていた。

「逆にさ、どこにあると思ってたの……?」

「山奥だから、山梨とか……。」

 また沈黙。しかし今回は、茜がくすっと笑ってすぐに終わった。

「もう!ほんとに知らなかったんですって!」

「ごめんごめん、確かにちょっとわかりづらいよね。」そう言って、まだ笑っている。こちらまでなぜか笑ってしまうような笑顔だった。

「箱根もいいところだから、気が向いたら言ってみるといいよ」

 茉莉はそう言われて、「確かに行ってみたいかも」と返した後、しばらく考え込んだ。もしこの旅が終わって、「心の穴」が埋まったとしても、埋まらなかったとしても、自分はこれ以上他のところに行ってみたりするのだろうか。もし埋まったら、この一カ月くらいの出来事はすぐに思い出になって風化して、いつも通りの日常でいつか、「こんなこともあったな」と思い出す程度の冒険になるかもしれない。埋まらなかったら、この旅も無駄になったと悲観して疲れ果てて、二度と知らない所に行ってみようと思わないかもしれない。でもどちらの結果を想像しても、ほんのり悲しいと感じるのだった。

 電車は大船駅に到着した。京浜東北線はこの駅が終点だから、茉莉も名前だけはこの駅を知っていた。間もなく出発。

「茉莉ちゃんはさ、江の島に行くって言ってたじゃん。」

「はい!」自分でも驚くような勢いの返事が出た。

「この時間に江の島着いたらさ、やろうと思えば午前中に周りきれそうだけど、今日は早めに帰るの?」

「……へ?」

 実際、茉莉の計画は非常に軽薄なものだった。彼女にとって、そもそも県外に移動すること自体敷居が高く見えてしまっているので、「江の島に到達する」ことに重きを置き過ぎていた。そこで何をするかはもちろん、何があるかさえあまり調べていなかった。よくわからないけど、展望台と海があることだけ知っていた。

「さては何も計画してないでしょ。」すぐにお見通しにされる。茜はすぐに言葉をつづけた。

「もし時間が余ってるなら、鎌倉まで行ってみるといいよ。本当はさっきの大船で乗り換えればよかったんだけど、藤沢から江ノ電乗ってもいけるからさ。」

 茉莉にとって、鎌倉が江の島に近いことも初耳ではあったが、また笑われそうで、言うのを辞めた。

「鎌倉の辺りで、ここは行くべき!みたいなところあります?」

「えーっとね」茜はおもむろに手元の携帯を調べて、いくつか場所を見せてくれた。

 1つは、鶴岡八幡宮。鎌倉幕府の代表的な建物。もう1つは、大仏。鎌倉で1、2を争う知名度のランドマークである。「寺院に興味があるのなら」と前置きして、長谷寺と極楽寺の存在も教えてくれた。

「ありがとうございます!」そう言って目を輝かせる茉莉を、茜は優しい目をして見ていた。

 電車は藤沢駅に到着した。ここまでおよそ一時間三十分。直線距離にしておよそ60キロメートル。茉莉にとっては初めての移動時間。移動距離。日差しは差しているが、冬の厳しい寒さは健在であった。現在の気温はわずか3度。寒すぎる。

 3つ路線が交わる藤沢駅のうち、江ノ島電鉄だけは少し離れた位置にプラットホームが存在する。茜がそこまで案内してくれることになった。階段を登って改札を通れば、藤沢駅前の街並みが目に入った。浦和の辺りとあまり変わらないなという印象を受ける。

 歩道橋を少し渡れば、江ノ電のホームがある駅ビルに到着する。「教えたいことがある」とのことで、チケット売り場に来ていた。

「こういう観光地を一日楽しむなら、フリー切符の存在を知っているだけでも段違いに便利だから……。」そう言いつつ、茜は流れるような手つきで硬貨を入れ、江ノ電の一日乗車券、通称『のりおりくん』を発券した。「はいこれ。」そう言ってすぐに手渡してきた。あまりに突然のことで、きょとんとした顔しかできない。

 茉莉があまりに驚いて、「これ、私にですか?」と、誰が見ても回答がわかるような質問をした。やっぱり「他に誰もいないでしょ?」そんな当たり前の答えが返ってきた。

「大船出てから鎌倉の事教えちゃったから、それの埋め合わせ。650円くらいどうってことないし、茉莉ちゃんにはせっかくだから楽しんでほしいし。」

「でも……。」まだまごついている。

「じゃあ、1つ約束。せっかくここまで出かけてきたんだから、今日はどんなことが起こっても、それを楽しむこと!」茜は笑顔で小指を差し出した。それで茉莉はやっと納得したのか、「はい!」と返事をして笑顔を作って、指切りをした。指切りなんて、いつ以来だろうか。

「さあ、もういっておいで。またどこかで会おうね。」

 そんな会話を交わした後、茉莉は改札を抜けて、今到着した電車にすぐ乗った。茜は、その電車が見えなくなるまでずっと、手を振って見送った。

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