二話 秩父盆地への路
土だけの田園風景が左から右へと流れていく。やっと目が冴えてきた茉莉は、読んでいる本を片手にその風景を眺めていた。次の駅は武川というらしいが、もはや全く見当がつかない。
ここは秩父鉄道の車内、各駅停車三峰口行き。熊谷駅で乗車してから十五分ほどである。終点の三峰口駅まで向かう予定だから、先はまだ長く、終わりが見えない。また本を読むことにした。乗客は少なく、数えられる程度である。茉莉が乗っている先頭車両に五名。背中を曲げて三両編成のうち二両目の方を覗いてみたけれど、この車両と同じような人数が乗っているだけのようだ。風景は未だ変わらず。長く見ていると退屈な風景にも見えてしまうが、先ほど立ち上がって電車正面の景色を見たときには、まっすぐな線路両脇にあぜ道と田んぼが見えて、それはなかなか壮観な景色だった。そういえばあの時から、覚えている限りほとんどカーブを通過していない。
武川駅を抜けて、まだ直線は続く。
「本、持ってきてよかった~」
小説の残りページを見る。
「って、思ってたんだけどな」
あとほんの十数ページで終わってしまうようだ。確かに、先ほどから物語の終わりそうな気配がしていた。その見立て通り、いい感じの雰囲気で物語は区切りがついた。現代の都会暮らしに疲れた人が、離島で新たな暮らしを始める……。そんな物語だった。
「人生いろいろある……のかな」
よくわからない感想を抱いた。
本を読み終わったら、いよいよ何もすることがない。しかし顔を見上げれば、いつもは見ない風景がすでに広がっていた。いつもは濃い青のような色をしている山肌が、木の葉に染められて緑や赤みがかった黄色になっている。まっすぐ進む線路は終わり、路線はこの山地を縫っていくようだ。
寄居駅を出発したら、山肌は触れられそうなほどに近く、茉莉を威圧するように左右から覗き込んでいる。それよりも目を引いたのは、目の前の清流。川の名を荒川というらしい。
「この川、名前は聞いたことあるけど、どこまで流れているのかな」
スマホの地図をたどってみることにした。この川は今まで見えなかっただけで乗ってきた秩父鉄道や鴻巣まで近くを流れていたようで、そこからは南へ下って埼玉と東京の境を作り……。
「赤羽の前の橋、この川渡っていたんだ!」
赤羽を流れているときの川の幅より半分くらい狭く、水もきれいなので、まるで違う川のようだ。この川はそのまま南へ流れ、東京湾へと出るようだ。
電車は波久礼駅を出発する。山に囲まれ清流が流れるこの景色が新鮮で、茉莉は座って終点までを待つだけの退屈な時間を放り出して、ドアの前に立って手を当てて、心躍るような表情をして景色を眺めていた。1つ駅を超えると、山は少し開けて、住宅がまたいくつも見えてきた。
「これが秩父盆地……!」
地図を見ると、自宅があるとピンが差された場所から大きく西に離れ、山地にできた穴の端の方に現在地が示されている。大宮から直線距離だけでも50km。きっと、通ってきた道のりを計算すればもっと長い距離を移動しただろう。山肌が見えたあたりから感じた心躍る感覚は、まだ続いたままだ。
電車は長瀞駅に到着した。行程に組み込まれた目的地……ではあるが、最後に訪れる場所となっているので、今はそのまま、もっと盆地の奥地へと向かう。今回の行程を茉莉は『行くのが面倒臭そうな場所から先に行っちゃおう作戦』と呼んでいた。期末テストを終えてから、友人と考えた行程だ。風景が山に囲まれた住宅街へと変わったあたりでまた椅子に腰かけたら、今日の行程を思い出すことにした。