一話 蔵造りの街へ行こう
バスのタイミングが合わなかった茉莉は、徒歩でJRの川越駅から北へと北上していた。ここまでの道のりは駅近くのなんでもない景色で、この街が「小江戸」と呼ばれる要素はさほど感じられない。歩いていたら左手に本川越という駅があり、ここで降りればよかったのかなと少し調べたがこの駅は西武線しか通っていないらしく、さらにはこのほかに川越市駅があるようで、頭をスッキリさせるためにしたはずの調べ物が余計混乱を招く事態となった。
埒が開かないのでさらに北へ。川越駅から観光地街までは大体2.5km。つまり30分程度歩けば到着するようなので、道のりとしてはあと半分。その道の途中で、川越熊野神社という神社を見つけたので、寄って行くことにした。
神社の規模としてはどこにでも見られるようなありきたりなものよりも少し大きい程度で、参拝客もぼちぼちいる程度。参拝への列もできていないので、並ばずに参拝できた。ここの神社は開運と縁結びを売りにしているようだった。おみくじで毎回大吉を出すような運を持っているわけだし、「自分は人の運に恵まれている」と時たまに思う茉莉にとってはそれほど需要のあるものではなかった。しかし、『心の穴』を埋めるためなら何にだって縋りたかったし、もう一度だけ縁に恵まれたいと思っている人もいたので、それを祈ることにした。
「もう1回、茜さんに会えますように」
旅のアドバイスをくれた茜に、もう一度会って話がしたいというのが直近叶えて欲しい物事だった。会うことはなかなか難しいと日頃思っていたから、神に祈るくらいしかもう手段はない。
「そういえば、自分のために願ったの、久しぶりかも」
本殿前の段差を降りながら、そんなことを考えた。そもそも神頼みをあまりしない茉莉にとって、わざわざ神に祈ることなんて、友達のことくらいしか無い。
境内には茅の輪が設置されていた。ご利益として無病息災や厄除けなどがかかれていたので、やってみることにした。手順が少し複雑な分、茅の輪の前には小さな列ができている。
手順通りに茅の輪をくぐっている間に、『心の穴』の事について考えていた。埋めようと奮起したあのころからもう一カ月。奮闘虚しく、『心の穴』は茉莉の心の真ん中に堂々と鎮座している。腹立たしくも思うが、こんな穴を空けてしまったのも自分自身であることに気づいて、何とも言えない顔をして輪をくぐり終えた。
神社の境内から出たら、また観光地街まで歩き出した。ここからならもう遠くないはず。時刻は十一時半くらい。空には相変わらず冬らしい晴天が広がっていて、日差しも届いているので朝よりは寒くない。吐く息もいつの間にか白くなくなっている。香ばしい香りを乗せた向かい風がふわりと体の隙間を抜けていった。
いくつかの信号を渡ったら、その一個先の信号の先にまるで別世界のような光景が眼前に見えた。時代を2つか3つ戻したような見た目をした建物の数々。こういうものを、「レトロ」って言うんだっけ。そんなことを考えながら、その街へ近づいた。近づくほどに、香ばしい香りは強くなっていく。
「大宮の近くにも、こんなところがあったなんて……」
普段あまりどこかに足を伸ばさない茉莉にとって、それは新鮮な発見であった。
「どこかに行くたびに、自分の見える世界が広がる」みたいなことを、どこかで聞いたのを思い出す。その時はそうなんだ、という風に聞き逃していたけれど、実際に湘南とここ川越にきて、その効果を実感する。一方で、なんとなくただ広がるだけでない感覚を持っていることに面白さを感じていた。たった二か所しか訪れていないけれど、茉莉にとって、知らない場所に訪れるほど世界は縮んでいくように見える。その知らない場所がなんらかの方法さえ使えばいつでも行ける場所になって、親近感が湧いているのだろうか。
「……?」
その瞬間、七里ヶ浜で味わったような優しい感覚が『心の穴』をまた包んで、やっぱり次の瞬間には消えた。この感覚が一体何なのかわからなくて、胸の辺りに両手を当てて首をかしげることしかできない。考えても何もわからなさそうだったので、そのまま蔵造りの街並みへと入っていった。
陽が高く昇った日曜の川越は、多くの人で賑わっていた。人の数に比べて少し歩道が細いので、車が少し速度を落として道を走っていく。
「さてと」
「……どうしよっか」
前回以上に観光スポットがどこにあるのか全く調べないでここまで来たので、この街並みの中に何があるのかよくわかっていない。辺りをきょろきょろと見渡す。
「お菓子、買いに来たんだっけ」
川越に来た1番の理由を思い出した。
「ま、観光してからでいっか」
お菓子から買ってしまうとバッグを満たしたまま観光する羽目になってしまう。これも鳩サブレの缶をバッグに入れたまま湘南各地を巡ることになってしまった経験からの行動だった。じゃあ結局どこに行こうという考えに至る。
仕方がないので、通行の邪魔にならない所でスマホを出して巡るべきところを調べることにした。見つかったのは4か所ほど。まず1つ目は、茉莉も多少は知っていた時の鐘。それはここからそんなに遠くない場所にあるらしい。2つ目は川越城。この城はこの蔵造りの街から東へ離れたところにある。3つめは川越氷川神社。氷川神社の名前はどこかで聞いたことがある。この神社は、川越城からさらに北へ向かったところに位置しているようだ。最後に、菓子屋横丁。この通り自体は蔵造りの街から近い場所にはあるけれど、お菓子を買うのは最後にしたい。
「じゃあ、時の鐘を見たらとりあえず川越城から回っていって、それが終わったらここに戻ってくればよさそう……かな」
川越の探検が始まろうとしていた。