プロローグ
長らく続く冬の寒さに飽きと同じような感情を抱いた二月の中旬。その寒さに至極うんざりした表情をしている少女井町茉莉は、自宅から大宮駅へと向かう道を歩いていた。今日は一カ月ぶりにお出かけをする日。寒いとはいえど、目的地は近いので気合を入れる必要もなく、早起きをする必要もなく、朝食まで摂ってから外出を始めたので楽な気持ちでいられる。空は雲1つなく晴れ渡っていて、澄んだ空気は肺に心地よく入っていくが、息を吸った段階で胸の辺りにある『心の穴』が痛んでその空気をため息に変えた。
『心の穴』を埋めようと慌ただしく動いた12月とは違って、普段と変わらないような日常を送ることで忘れるように穴も消えるのではないかと一縷の希望に賭けたが、全く埋まる気配のないそれにはうんざりさせられた。やっぱり何かしらの手立てが必要だとは感じている茉莉ではあるが、今日することはそれに含まれないだろうと見積もっていた。
「今日はお菓子をかって、ちょっと散歩して帰るだけだもんね」
その言葉の中には『心の穴』を埋めに行くという目的を隠すことで、今回の外出の知らないうちに埋まってくれないだろうかという思惑がこもっていた。
土曜朝10時の大宮駅はほどほどに人がいて、見慣れた光景であった。いつも通り改札を通って、いつもは行かない地下階へ。するとちょうどいい時間に「川越」と書かれた、グリーンの電車が止まっていた。乗りこめば、すぐに電車は目的地に向けて出発した。乗客は少なくはないが座れるほどで、すぐに自分の席を確保できた。
そう、今日の目的地は川越。茉莉なりに近くて手ごろな観光スポットを調べた結果、川越がすべての条件に当てはまっていたのだ。今思えば、「またお菓子買ってきてよ」という友人の涼乃の発言は、一種のヒントだったのかもしれない。
前回の旅と違って、十何駅も電車に乗ったりすることなくたった五駅で川越に到着するらしい。久しぶりに乗った川越線の車窓を、せっかくだからということで対面の乗客越しに見ていた。一軒家がずっと立て並んで、時折田んぼが顔をのぞかせる見慣れた埼玉の景色が見える。数駅超えたところで、大きな河川敷とその西側を流れる荒川を見て、もう一駅超えれば川越駅に到着した。前回は電車に乗って目的の駅に着くだけでも達成感があったが、その達成感がハードルを上げてしまったのか、同じような感覚になれない。軽いお出かけのような感覚であった。
「ま、毎回そんな大移動してたら疲れちゃうか」
そうやって自分を納得させた。
改札を抜けて見えた川越駅前は、大宮ほどではないけれど廃れてもいないくらいの規模の都市であった。今回の目的地は駅から少し離れているから、そこへ行けるバスを探す。バス乗り場について、それっぽいバスを見つけたので、乗務員に一応聞くことにした。
「すみません!このバスって、時の鐘の方に行きますか?」
「時の鐘?一応行きますけど……」
勝手ながら、「行きますよ」という答えを予測していた茉莉にとって、その反応は意外なものであった。一応、とはどういうことだろう。
「このバスは市内を大回りして時の鐘の方に行くので、駅から歩いて向かった方が早いですよ。そちら行きのバスも当分来ないので」
「本当ですか?ありがとうございます」
短いやり取りは終わって、すぐにスマホの地図で目的地の方角を調べたら、おとなしくその方向へと歩き出した。
目的地まで行けるバスがあることまでは調べていたけれど、その時間までは調べなかったことが仇となった。
「あちゃー、ま、しょうがないか」
序盤から小さな失敗をした。先月のハプニングを味わっているから、これくらいでは動じない。人間って、こうやって成長するのかな、なんて大袈裟に考える茉莉であった。