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9.バレンシュテット家の事情

「叔父のノルトガウ子爵だが、以前にも話したように僕の加護について、というよりはそもそも父上がバレンシュテット辺境伯を継ぎ、自分が子爵の地位に甘んじていることを不満に思っている」


 ユリウスは眉根を寄せて不快をあらわにするが、それすらも優雅に見える。その美貌に、クリスティーナはうっかり見惚れてしまいそうになる。


「辺境伯様と子爵様は仲がよろしくない、ということでしょうか?」

「そう、これについてはお祖父様の教育方針が悪かったのだ、と父上は仰っていた」


 ノルトガウ子爵ロイドルフ・ブルーノと、兄のオットー・ロタールはひとつ違いの年子である。兄弟の父、ユリウスの祖父である先代バレンシュテット卿は、このふたりを事あるごとに比較し、競わせた。


 兄弟の能力は拮抗していたが、いつもわずかな差で、兄であるオットーが上回っていた。もちろん、幼い頃のそれは年子であっても、年齢の差によるものであった。


 そして、オットーが負ければ、そのまま継承順位が入れ替えられるかもしれない。少なくとも兄弟や、周囲がそう思うほどには、先代のやりようは厳しかった。

 したがって、兄は弟に負けるわけにはいかず、弟は常に敗者の側に立たされた。


 いっそ、どちらかの才が突出していればよかったのだが、不幸なことにふたりともにあらゆる面で優秀といえる実力を持っていた。


 一歳の差が埋まらぬまま成年となり、継嗣の序列も入れ替わることはなかった。そして、それを表しているかのように、ロイドルフの体格はオットーより少しだけ小さかった。

 だが、ふたりがともに得た『森の精霊』の加護の瞳の色だけは、ロイドルフのほうが濃く鮮やかな緑色であった。


 精霊の加護の器の大きさと、瞳の色の濃さに相関性はない。しかし、煌びやかな瞳にこそ強い魔力が宿る、という印象を持つ人は少なくない。


 ロイドルフは、兄よりも強い魔力を持つ自分こそが、バレンシュテットを継ぐに相応しいと父親に訴えた。武に優れた兄は騎士団を率いれば、それぞれに適任であり、安泰であると。


 もし、ロイドルフが逆の主張をしていれば、先代はすんなりと認めたことだろう。すなわち、オットーが辺境伯となり、騎士として研鑽を積んだロイドルフが騎士団長となる。

 騎士団を持つ貴族家では、しばしば行われる配置であり、先代もおそらくはそれを目指していた。


 しかし、ロイドルフの望みは先代の逆鱗に触れた。

 なにひとつオットーに勝るもののないお前に、継がせるものはない、と。


 ロイドルフは騎士団長の地位を得ることも叶わず、バレンシュテット家が有する従属爵位の内、子爵を与えられた。

 そして、バレンシュテット領の端、樹海の北にあるノルトガウの地を所領とし、ノルトガウ子爵となった。


 バレンシュテット本家との縁は絶たれ、家臣としての扱いに落とされたのだ。


「ご兄弟がどちらも優秀でいらしたのなら、なにもそのようになさらなくても」

「まったく同感だ。変に競わせることをしなければ、叔父もここまでひねくれはしなかったと思う。だが、もうなにもかも手遅れだ」


 ユリウスが心底呆れた、というように両手を広げて首を振った。クリスティーナは「手遅れ」という言葉に違和感を覚えたが、それを問う前にユリウスは話を続けた。


「ノルトガウ子爵となってしばらくして、叔父はエッツォーネン伯爵家の娘と婚姻を結んだ。叔父は全てを勝手に調(ととの)えて、夫人を迎え入れた後に報告だけしてきたそうだ。伯爵家はヴラジエン旧王家の流れを汲むとはいえ、傍系の姫が数代前に嫁いできただけだ。その上、恨みを退けて縁を結んだのだと言われれば、反対するほうが角が立つ」


 ちょうど、ユリウスが生まれた頃であった。母ジークリンデ・ベルタは産後の肥立ちが悪く、バレンシュテット家はジークリンデの看病と、生まれたばかりの嫡男の世話に追われていた。


 先代もオットーも、やむを得ずロイドルフの婚姻を追認し、王家へ報告した。国王もよい顔はしなかったが、この時点ではバレンシュテット辺境伯家の分家が、一伯爵家と縁づいただけであり、どうすることもできなかった。


 ロイドルフが、バレンシュテット辺境伯家の次男のままであれば、婚姻には当主と国王への事前の報告と許可が必要だった。

 つまりは、意趣返しの嫌がらせである。先代バレンシュテット卿は、苦々しく思いながらも、それほど問題視しなかった。オットーに対しても、放っておけと言い置いた。


 その後、ユリウスが三歳になる年にオットーがバレンシュテット辺境伯を継ぐと、程なく先代は病を得て亡くなった。

 以来、重石の取れたたロイドルフは、()()の諫言と称して、バレンシュテット辺境伯家にあれこれと口を出しするようになった。


 奇妙な加護を持つユリウスを跡継ぎとすることに懸念を示し、由緒ある血を受け継いだギーゼラを娶るように、と言ってきたのもそのひとつである。


「では、ギーゼラ様もユリウス様と婚約するおつもりでいらしたのでは?」

 ユリウスは、ことさらに顔をしかめてため息混じりに返す。


「あれは、()()()()()()()()()婚約してやる、という態度だな。僕の顔は気に入っているようだが」

「ユリウス様のお顔が気に入らないご令嬢は、いないと思いますわ」


 思わずクリスティーナの口からこぼれた本音に、ユリウスはたちまち上機嫌に戻った。

「そう? クリスティーナも僕の顔を気に入っている?」

「え、あ。ええと、それは、はい」


 頬を染めながら、小声で返事をするクリスティーナを、ユリウスはにこやかに見つめる。

「からかわないでくださいませ」

「からかっているわけではないよ。僕はこの顔でよかったことなど、なにもなかったけれど、クリスティーナの気を引くことができるのなら、悪くないなと思っただけだ」


 この人は鏡を見たことがないのかしら、とクリスティーナは本気で思った。

 馬車の窓から陽の光がさす度に、ユリウスの濃い栗色の髪に瞳と同じ金色の筋が流れていく。その様は彼の瞳の色は本来は金色であったのではないか、と思えるほどに似合っていた。


 対してクリスティーナは、己の魔力の色にも似た胡桃色の髪が混じるくすんだ金髪で、瞳の色も茶色である。地味な容姿でも不満などなかったはずだが、ユリウスの婚約者としては不釣り合いに思える。


 ――ご自分があまりに美しい容姿でいらっしゃるから、ほかの人の見た目には無頓着なのかしら――


「お母様に似ていらっしゃると仰ってましたね」

「僕の顔はどちらかといえば、女性的だろう? この体形を維持しているから、間違われることはないけれどね。母上は五歳のときに亡くなったから、あまり覚えていないが、本邸にある肖像画を見る限りは同じ顔だ」


 己の容貌の話をしていても、気分が悪くならないのははじめてのことだ、とユリウスは考えていた。

 しかし、クリスティーナの心に引っかかったのは別のことであった。


「はやくにお母様を亡くされたのですね。存じ上げず、申し訳ありませんでした」

「ああ、話す機会がなかったな。気にしなくていい。……そう、病でね。父上には後妻の勧めがかなりあったようだが、自分たち兄弟のようなことを繰り返したくなかったのだろうな。全て断って、今にいたる」


 幼い一人息子しかいないという状況は、名門貴族にとっては好ましくない。当然、有力貴族との縁談や国王からの勧めもあった。しかし、オットーはどれも固辞した。


「辺境伯様とお母様はどのようなご夫婦でしたの?」

 クリスティーナが、辺境伯夫妻に興味を持ったことを、不思議に思いながらも、ユリウスは少し考えてからこたえた。


「そうだな、あまり覚えてはいないけれど。歳も離れていたし、政略結婚だったから、特別よくも悪くもなかった気がするな。父上も爵位を継ぐ前後で忙しく、一緒に過ごすことも少なかったのではないかな」

「そうですか」


 クリスティーナのなにか言いたげな様子に、ユリウスが促す。

「なにか気になることが?」


「あ、いえ、辺境伯様が後妻をお迎えにならなかったのは、ご兄弟のことが理由なのかしら、と思ったものですから」

「ん?」

「ユリウス様とそっくりなら、とてもお美しい奥様でいらしたのでしょう。今も辺境伯様のお心に留まっていらっしゃる、というのは子どもっぽい考えでしょうか」


 ユリウスの口もとがゆるむ。クリスティーナの乙女心もわからなくはない。彼女はまだ十七歳だ。殺伐とした話を聞かせてしまったことに、少し心苦しさを覚えてもいた。


「どうだろう、父上とそのような話をしたことはないしな。だが、そうだな、母上は少なくとも慕っているような様子はあったかもしれない。『お父様は立派なお仕事をなさっているのだから、いい子で待ちなさい』と言われたことがある」


 クリスティーナは、ユリウスに向けて顔をほころばせる。

「歳の離れた美しい妻が、ご自分を慕っていると辺境伯様がご存知でいらしたなら、きっと愛おしく感じられたことと思いますわ」

 クリスティーナが出した若い娘らしい結論に、ユリウスは喉の奥で小さく笑った。


「そうであれば、僕も互いを想い合った両親のもとに生まれたということになるね」

「きっとそうですわ」


 嬉しそうに微笑むクリスティーナを、ユリウスはまぶしく思う。愛されて、真っ直ぐに育ったことがわかる。

 ユリウスはクリスティーナの手を取り、その指先に口づけを落とした。


「ありがとう」


「ユ、ユリウス様」

 あわあわとうろたえるクリスティーナに、にやりと人の悪い視線を向けると、ユリウスは手を離して笑う。


「もう、からかわないでくださいませ、と申しましたのに」

「いや、クリスティーナのおかげで、僕も存外幸福な幼少期だったのかもしれないな、と思えたからね」


 ユリウスの言葉にクリスティーナは、ぽかんとした顔になる。両親からあふれる愛情を注がれることが、当たり前であった。もちろんそうでない家庭もある、とクリスティーナも知ってはいるが、実感したことはなかった。


 傲慢な物言いになってしまっただろうか。でも笑みくずれてもなお美しいユリウスを見ていると、謝ることもおかしいと思えた。

 クリスティーナは微笑んで、同じ言葉を繰り返した。


「きっとそうですわ」

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