表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

6.胡桃色の魔力と金色の瞳

 数日後、バレンシュテット邸を訪れたクリスティーナは、応接室へ通された。ユリウスが現れるよりも先に、メイドがお茶を用意してくれる。

 いつも必ず出迎えてくれるユリウスが、約束の時間に姿を見せないのは、はじめてのことであった。


 瀟洒(しょうしゃ)な館も見慣れてきたが、今日の話を考えると否が応でも、クリスティーナの気持ちは張り詰めてくる。


 クリスティーナが手を握りしめてソファに座っていると、お茶を淹れてくれたメイドが、なにかを気にしている様子に気がついた。探し物をするように、部屋の中に視線をゆっくり泳がせている。


「なにかを探していますか?」

 はっとした彼女は、すぐに姿勢を正して頭を下げた。


「失礼いたしました。お客様の前で申し訳ございません」

「いえ、気にしないでください。わたくしのことはお客様扱いしなくて大丈夫ですわ」

「ユリウス様の大切な方は、当家の大事なお客様です」

 生真面目にこたえる言葉に、クリスティーナは頬が熱くなるが平静を装った。


「ありがとう。でも、わたくしのほうが慣れないのですわ。それで、なにか気にかかることがあるのでしたら、お部屋を移ったほうがよいかしら?」


「いえ、大丈夫です。……実は先ほど旦那様がお出かけになったのですが、(やしき)を出られるときにタイピンが外れていることにお気づきになりまして。お急ぎでしたので、別のものをつけていかれました。それで、落とされたほうを皆で探しているのですが、このお部屋にも入られたかと思いましたので、つい。大変失礼いたしました」


 恐縮するメイドに、クリスティーナは柔らかい笑みをつくって見せる。アンハルト家には、通いの家政婦がひとりいるだけだ。バレンシュテット家の使用人に対して、どのような態度を取ったものか、まだよくわからない。


「本当に気にしないでくださいな。失せ物探しなら、もしかしたらお役に立てるかもしれないですわ。貴女はそのタイピンを見たことがありますか?」


 メイドは驚いて遠慮の言葉を口にしかけたが、クリスティーナの笑顔に呑まれて思わずうなずいた。

「辺境伯様は、このソファにお掛けになったのかしら?」

「いえ、お出かけになることをユリウス様に伝えるために、ご自身でも探しておられたので、扉を開けて確認されただけだと思います」


 クリスティーナは扉のほうを見ると、立ち上がった。

「ちょっと一緒に来てくださる?」

 メイドは困惑しながらもクリスティーナにしたがって、扉へ近づいた。

「そのタイピンを思い浮かべていてくださいね」


 クリスティーナは右の掌を上に向けると、目を閉じて体内の魔力を集めて、左手を側に立つメイドの腕に添えた。

 クリスティーナの器は、それほど大きくない。掌に集まった魔力もぼんやりとした胡桃色の光で、あまり目立つ色ではない。一見では魔法を使っているとは、わからないかもしれない。


 クリスティーナは目を開けて、不鮮明な魔力の塊を確認すると、柔らかく握りしめた。指の間からこぼれた胡桃色の靄は、クリスティーナとメイドの足元に広がり、絨毯に染み込むように消えていった。


 ぱちぱちとまばたきをすると、クリスティーナは嬉しそうに口角を上げた。

「ありましたわ。その花台の足のあたりを探してみてください」

 メイドは扉の脇に置かれた花台の前でしゃがみ込むと、あっ、と声を上げる。立ち上がったその手の上には、細い金で編まれた籠の中に黒真珠をあしらった飾りがついたタイピンがあった。

「ありがとうございます!」


 そのとき扉を叩く音が響き、クリスティーナは慌てて移動した。入ってきたユリウスが、真っすぐにクリスティーナを見つめる。

「……今の魔力はクリスティーナ嬢?」


「あ、申し訳ありません。勝手をいたしまして」

「いや、大丈夫ですよ。探査の魔法かな?」

「はい、私の加護は『大地の精霊』ですので」


 ユリウスはうなずいたクリスティーナをながめると、メイドに指示する。

「父上のピンか、見つかってよかった。皆に伝えてきなさい。あと、サンルームへお茶を」

「承知しました」


 大陸に生きる人びとは皆、精霊の加護の力を体内の器に受けて、魔力として用いる。だが、ほとんどの人は魔力を動力とするランプを灯すくらいで、それ以上の力を使うには精霊石が必要になる。

 己の魔力を用いて直接魔法を使えるのは、貴族以上の器を持つ者に限られる。


 貴族であっても、器の大きさによって魔力量は異なる。ユリウスのように大きな器であれば、加護にかかわらずさまざまな魔法を使えるが、自らの加護の力を用いる魔法が得意である人のほうが多い。


 クリスティーナも、比較的簡単な魔法を幾つか覚えているが、それらは『大地の精霊』の加護に属する魔法である。

 探査の魔法も『大地の精霊』の力を用いる、といわれている。


「無駄のない魔力の流れでしたね。どなたかに師事を?」

 ユリウスの案内でサンルームへ向かう途中、彼はクリスティーナの魔法について問いかける。


「師事、というほどではないですけれど。ときどきお手伝いに行っております精霊殿に、『大地の精霊』の加護をお持ちの精霊術士様がいらっしゃったのです。その方から、少し教えていただきました。ですが、わたくしの器は小さいですから、タイピンが近くになければ、みつけられませんでしたわ」


「なるほど、なかなか優秀な術士ですね。少ない魔力でも、確かな効果を得られる」

 感心するユリウスに、クリスティーナは小さく肩をすくめて苦笑した。


「精霊術士様は確かに優秀な方でしたわ。でも、わたくしの魔力が届く範囲は、ユリウス様が両手を広げられたくらいですのよ」

「貴女のおかげで、我が家の使用人たちの仕事がひとつ片づいたのですから、素晴らしいことですよ。さあ、どうぞ」


 ユリウスが扉を開けると、外の景色がそのままクリスティーナの目に入ってきた。扉の向こうは三方の壁が硝子張りになったサンルームで、館の一部が張り出した形に造られている。天井の一部にも硝子がはめ込まれており、晴れた日には燦々と陽の光が降り注ぐことだろう。


 硝子の壁の奥には庭の樹々、部屋の中では鉢に植えられた南国の花々が咲き誇り、つぼみをふくらませている。中央には応接室と同様にテーブルとソファが置かれていた。


「まあ、すてきなお部屋ですわね」

 クリスティーナは、純白と(くり)色のタイルが格子に組まれた床に一歩踏み出して、感嘆の声を上げる。


「今日は雲が多い。ガゼボでは風が強くなるといけないから、こちらで話しましょう」

 濃い緑の間からのぞく、赤や黄色の鮮やかさに目を奪われていたクリスティーナは、「今日の話」を思い出して息を吞んだ。


 先ほどとは別のメイドがお茶を用意して部屋を出ていくと、ユリウスはぱちん、と指を鳴らした。指先から、冬の早朝の空のように透き通った水色の光が弾け飛ぶ。

 遮音の結界を張ったのだ、とクリスティーナにもわかった。


「扉の外に邸の者が控えていますし、外には庭師も出ていますからふたりきり、というわけではありませんよ。今日は父も一緒にと思っていたのですが、急に王宮から呼び出されてしまったのです。まあ、私はそのほうがよかったのですが」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるユリウスに対して、クリスティーナは思い出した緊張感に頬を強張らせる。

「お父上、いえ、ご家族とは話されましたか?」


 どのようにこたえればよいのだろう。クリスティーナが断れないことを、ユリウスも知っている。その上で、彼になにを話すべきなのか。

 先日、ユリウスは「貴女がいい」と言った。クリスティーナは、その言葉に対してこたえることが正しいだろう、と思いいたった。つまり、それは。


「家族は、その」

「うん?」

「……わたくしがユリウス様をお慕いしているのなら、その気持ちに素直になるのが、よい、だろう、と」

 真っ赤になって視線を落としたクリスティーナには、嬉しそうに微笑むユリウスの顔は見えていない。


「よかった。嫌われてはいなかったのですね」

「嫌うだなんて! そんなこと、ありませんわ」

 顔を上げたクリスティーナは、柔らかく弧を描いたユリウスの口もとに気づく。

「わたくしには、過分なお話だと今でも思っています。でも、ユリウス様と過ごす時間が、とても楽しかったものですから……」


「ありがとう、私も貴女と過ごす時間をいつも楽しみにしていますよ。でしたら、正式に婚約するということでよろしいですね」

 ユリウスが、安堵の表情であることにクリスティーナは違和感を覚えた。断られることはないとわかっているはずなのに。


「はい。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。ありがとう」


 ――ああ、ユリウス様はわたくしが断れなくても、婚約を嫌がっているかもしれないと思っていらしたのね――


 そのようなことが、あるはずはないのに。


「クリスティーナ嬢」

 ユリウスの水色の瞳に陰がさす。外の風が強まり、雲の流れがはやくなってきたようだ。


「はい」

「例の私の事情をお話しします。以前にお伝えしたように、ご家族にも内密にお願いします。貴女には負担となるでしょうが、どうか私とともに歩んでいただきたい」


 クリスティーナはまばたきもせず、ユリウスを見つめて小さく、しかし確かにうなずいた。

()()()()ほうが話がはやいでしょうね」


 ユリウスは細く長い息を吐き出すと、ゆっくり目を閉じた。

 風の音は聞こえないが、押し流された雲の間から金糸のような陽の光が落ちてくる。ほどけた糸が沈黙するふたりの間にもたな引き、まぶたを開いたユリウスの瞳にもかかった。


 金糸のかけらがユリウスの湖の瞳にたゆたう。金の粉が湖を覆い、美しい輝きを増す。

 風が再び雲を招き、陽の光がさえぎられる。部屋の中のまぶしさは落ち着いても、金の瞳の光は失われていない。


「やあ、はじめまして。僕にも自己紹介させてもらえるかな。クリスティーナ・ベアトリクス・アンハルト男爵令嬢?」


 クリスティーナは胡桃色の瞳を、大きく見開いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  ここで冒頭へ、ですね。  ユリウスはとっても正直でまっすぐな人のようですね。もう少し関係を深めてからでもいいのでは、と思ってしまいました。  はじめましての彼が初々しいふたりの関係にに…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ