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金色の湖風の行き先に  作者: 永井 華子
番外編

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21/21

湖風に揺れる燃ゆる氷

「大旦那様、森番の使いだと仰る方がお見えになっているのですが、いかがいたしましょうか」


 バレンシュテット辺境伯領の領主の本邸には、珍しい南国の花々が咲くサンルームがある。もとは王都の別邸にあったものだが、十年ほど前にほとんどの植物とともに本邸に移され、より多くの花を集めて管理されている。


 隠居した先代辺境伯は、そこで愛妻とお茶の時間を過ごすことを日課としている。


 他愛のない会話や、互いに静かに本を読んで過ごすときを、先代辺境伯ユリウス・アーダルベルトはとても大切にしている。

 もちろん(やしき)の使用人たちも、よくよく承知しているので余程のことがない限り、邪魔などしない。


 その日、至福の時間をさえぎられたユリウスは、当然機嫌を損ねたが、それをあらわにするほど狭量ではなかった。

「私にか?」


 爵位を譲り、隠居して久しい。個人的に交流のある人物でなければ、当代である息子を訪ねるはずだ。近しい人なら、先触れもなく訪れるのは妙だ。


「はい、大旦那様にお会いしたい、とのことでして」

「なにかあったのかしら」


 ユリウスの隣で本を読んでいた妻、クリスティーナ・ベアトリクスも心配そうに顔を上げた。


 バレンシュテット領内の西にある樹海には、『森の精霊』の加護の泉がある。泉を守る番人は、辺境伯家とは一定の距離をおいている。常であれば、連絡などしてこない。

 まして、隠居したユリウスを指名して、わざわざ使いをよこしたということは、不測の事態であろうか。


「いえ、そうではなく、どうやら使いの方ご自身が、大旦那様にご挨拶なさりたいようです」

 わけ知り顔の家令に、ユリウスは怪訝そうな表情になる。


「名のったか?」

「はい、クヴァンツ侯爵家のご三男で、ラルフ・ジークハルト様と」

「クヴァンツ侯爵家……。ああ、なるほど」


 眉間に寄りかけていたしわがのびて、大きくまぶたが開いた。その瞳には、美しい湖のさざなみが照り返す陽の光が映る。

 クリスティーナは夫の表情の変化を見つめて、静かに微笑んだ。


「わかった、ここへ通してくれ」

「かしこまりました」


 家令は満足そうにうなずくと、客人を迎えるために出て行く。

 扉が閉まると、ユリウスは妻に視線を戻して笑顔を見せた。


「ティーナ、面白い客だ」

 妻も頬をゆるめて笑みを返した。



 案内された扉が開くと、濃い緑と南国の色鮮やかな花々が目に飛び込んできて、ラルフは思わず息を呑んだ。


 三方の壁は全て硝子張りになっており、天井の一部にも硝子がはめ込まれている。庭の樹々に降り注ぐ陽の光が、そのまま部屋の中まで明るく照らす。


 どこか懐かしいその部屋で、中央のソファに座っていた人物がゆっくりと立ち上がった。


「よく来たね。ユリウス・アーダルベルト・バレンシュテットだ」


 すっと伸びる背は歳を感じさせず、若き日の体貌が想像できた。しわの刻まれた目もとには、おだやかな笑みをたたえている。その目の中に浮かぶ瞳は、清涼な湖の色。そして、湖に注ぐ陽光がきらめくような金の輝きをともなっている。


 ラルフは身を正し、騎士としての礼をとった。

「ラルフ・ジークハルト・クヴァンツと申します。突然の無礼にもかかわらず、お目通りをお許しくださり、深謝いたします」


 ユリウスは、顔を上げた若者に無言で視線を注いだ。

 珍しい銀髪は少しくすんだ色をしている。真っ直ぐにユリウスに向かうその瞳の色は、青みは強いが紫である。

 『氷の精霊』と『火の精霊』の加護をあわせもつその色を、ユリウスは初めて目にする。


「一度、会いたいと思っていたよ」

 ユリウスは深くうなずき、ラルフに座るよううながした。そこへ、侍女とともにクリスティーナが入ってきた。


「妻のクリスティーナだ。同席してもよいだろうか、彼女も君と話したいと言っていてね」


 白いものが多くなったクリスティーナの髪は、天井からの光をまとって金髪のように輝き、琥珀色の瞳と相まって美しい。おだやかな笑みは、空気を柔らかくする。


「もちろんです。光栄に存じます」

「どうぞ楽になさってくださいませ。お立ち寄りいただいてうれしいですわ。ねえ、旦那様」

 ユリウスの腕を頼りにクリスティーナが座ると、すぐに三人の前にお茶が並んだ。


「本当に、よく来てくれた。森番に会ったかね?」

「はい、彼から閣下にご挨拶するよう勧められて参った次第です」

「閣下はよしてくれ。隠居の身だ、もう剣も振れなくなってしまった」


 目を細めるユリウスは、若者の堅苦しい物言いを微笑ましく思う。機嫌のよい夫に、クリスティーナの頰には朱がさす。


「まあ、そのように仰って。いまでも週に一度は欠かさず鍛錬しておられますのに」

「週に一度では衰えるばかりだ。現役の騎士の前で威張れるものではないだろう」


「週に一度……、いやそれ以上に鍛えておられるとお見受けしますが」

「おっと、それはここでは機密事項だ。気をつけてくれ」


 弓なりになった口の前に、指を立てたユリウスを見て、ラルフは本来の彼の表情を取り戻した。


「これは失礼いたしました。しかし、私の祖父などは引退してから剣に触れてもいないようですから、充分な鍛錬でしょう」

「妻の騎士であり続けることが私の望みなのでね。クヴァンツ侯、いや、アルベルト卿はこのように立派な孫が三人もいれば、自身で剣を握る必要はないだろう」


「さて、私はあまりほめられた孫ではありませんので。まだ正式に騎士にもなっておりませんし」


 クヴァンツ侯爵家は、アンティリア王国の有力な高位貴族であり、王都の北側に小麦栽培や手工業などで栄える広い領地をもつ。

 次代を担う嫡男と、北の守りを固める騎士団を率いる予定の次男が、ともに有望な若者であるとの評判はバレンシュテットにも届いていた。


 優秀なふたりの兄たちの陰に隠れた三男坊は、稀有な器をもち、将来を期待されながらも騎士になるわけでも、領地経営を学ぶわけでもなくふらふらしている、という噂も同じようにユリウスの耳に入っている。


 ユリウスは、そのような噂に違和感を覚えていたが、当人を見てやはり、とうなずいた。


「いやいや、こればかりはごまかされない。魔力を使わずとも、相当な腕と見たぞ。もう少し若ければ手合わせを願うところだ」

「もう、これですもの。だから週に一度で充分と申しますのに」


「わかっているとも、心配をかけることはしないさ。若い頃なら、という話だよ」

「アルベルト卿も奥様もお元気かしら? 久しくお会いしていませんけれど」


 ラルフの祖母、先代クヴァンツ侯爵夫人はバレンシュテット領に隣接するアルンシュタット領の出身である。


「祖父はクヴァンツよりも、アルンシュタットを気に入っていますので、年に一度は必ず滞在しております。それを止められないために、健康に努めているようです」

「それはいい。よろしく伝えてくれたまえ」


 ユリウスは喉を震わせて笑った。ラルフの祖父、先代クヴァンツ侯爵も愛妻家として広く有名である。


「いくつになった?」

「今年二十歳になりました」

「そうか、もうそれほど経つのか」


 ラルフはじっとユリウスの瞳を見つめて、続く言葉を待った。


「君が生まれたとき、ヨアヒム陛下からご下問があった。どうするか、とね」


 ラルフの瞳から青が薄れて、紫水晶(アメジスト)のように輝く。ユリウスは右手をあげて、ラルフの緊張を解く。


「剣呑な話ではない。ヨアヒム陛下の私に対するちょっとした嫌がらせだ」

「嫌がらせ?」


「また、そのように仰って」

 諫めるクリスティーナに、ユリウスは小さく肩をすくめた。


「ユリウス卿がお口添えくださった、と聞いておりました。お礼を申し上げるのが……」

 かしこまるラルフの言葉を、ユリウスは手を振ってさえぎる。


「私はなにもしておらんよ」


 ふたつの加護を受ける器は、それに相応しい大きさをしている。人並外れた力は、為政者にとっては脅威となる。

 ラルフには、幸いなことに王家に忠実な先達がいた。


「ヨアヒム陛下はユリウス様を安心させるために、わざわざお知らせくださったのですわ」


 クリスティーナの言葉に、敵わないな、とユリウスは苦笑をこぼした。


「私の瞳にこの加護が現れたとき、バレンシュテットは少々ごたついていた。私は加護が『水』だけであるように装い、王太子殿下、つまりヨアヒム陛下の勉学の席に侍るよう命ぜられた」


 ユリウスが思いを馳せた先にあるのは、決して楽しい記憶ばかりではない。小さく嘆息した老騎士に、ラルフは心からの同情を示した。


「それは、さぞご苦労なさったことでしょう」

「その通り、わかってくれるか」

「私は王宮、特に王太子宮には近寄らないようにしております」


 ラルフはくっくっと喉を震わせ、ユリウスは二度三度とうなずく。クリスティーナは、呆れた様子だったが、話の腰を折ることはしなかった。


「そういうわけで、ヨアヒム陛下にはいろいろと思うところはあったのだが、バレンシュテットの問題を片づけるに際して、クリスティーナを私の婚約者としてくださった。その一点だけは、心より感謝している」


「そうでしたか」


 なにがあったのか、とラルフはきかなかった。貴族家の問題といえば、多くは爵位の継承であり、そのために嫡男が早めに身を固めておくことはよく聞く話だ。他家の内情にふれる話には深入りしないほうがよい。

 その態度は正解であったらしく、ユリウスは口の端を上げた。


「その結果、バレンシュテットは王家の壁であり続け、私はこの加護を公にすることを許された。騎士団をもつ家の当主としては初の事例だった」


 複数の加護をもつ者が、ユリウスより前にどれほど存在したのか。少なくとも、公式の記録はない。

 記録にないから存在しなかった、そうであればよいが、文字に残る歴史などほんの一部でしかない。

 クリスティーナが、そっとユリウスの膝に手を置いた。


「ヨアヒム陛下には、君を()()()()()扱うことはなさいますな、と進言した。それだけだ」

「私は加護を秘すことも、王族に侍ることもなく、自由を得られました」


 かしこまるラルフに、ユリウスはゆるく首を振る。

「それは、もとより決まっていたことだ。なにより君はクヴァンツ侯爵家の三男に生まれた。もって生まれた幸運もあったな」


 ふたりの兄がどちらも優秀だったおかげで、ラルフには過度な期待はかけられなかった。今の自由は、周囲の尽力があってのものだと知っている。

 もちろん、ユリウスの配慮も少なからず影響しただろう。


「加護を選ぶことのできる者などいない。それは王家の方々とて、よくよくご存知のはず。君がこれまでに不自由に思うことなく、過ごしてこられたのなら、なによりだ。しかし、こらからの身の処し方は気をつけたほうがよいだろう」


 膝の上の妻の手を優しくなでながら、ユリウスは紫の双眸を見据える。

 

「はい」

「まだ正式に騎士になっていない、と言ったか。実家で叙任しないのであれば、近衛に入るつもりかね?」

「いえ、近衛は避けたいと」


 ラルフは肩をすくめて笑い、ふと、思いついてユリウスに向き直った。

「もしも、叶いますならこちらに入団をお願いしたいのですが」


「バレンシュテット騎士団にか? ……それは、陛下のお許しが必要だろう」

「裁可をもぎ取ってまいれば、よろしいでしょうか?」


 ラルフは本気らしい。若人の無謀はユリウスにはまぶしく、細められた目尻にしわが集まる。

「よかろう。足掻いてみたまえ」

「ありがとうございます」


 頭を下げるラルフは、意気揚々と今後に思いを馳せる。好々爺然としたユリウスは、面には表れない老獪さでラルフの浅慮を察し、いらぬ世話を口にした。


「思い悩んだときには、己の意思で決断することだ。ままならぬことは多いが、己の意思であれば後悔は少ない。……歳をとるとどうも説教くさくなっていけないな。老人の戯言と思ってもらってかまわない。今の君には響くものでもないだろう」


「忠言、ありがたく留めおきます」

 ユリウスは満足気に目を細めた。


 早速、王都で国王に謁見するというラルフを、ユリウスとクリスティーナは邸の外まで見送った。

 遠ざかる背になにを負っているのか。ユリウスは目を閉じて、紫の瞳を追った。


「よかったですわね」

 ユリウスの腕に手を添えるクリスティーナは、朗らかに言った。


「ラルフ様はお若いですから、これから色々なご経験をされて、困難もあるでしょうけれど、ユリウス様と同じご苦労はありませんわ」

「そうだな、それはなかろうな。また別の試練を得るのだろう」

「ユリウス様のご苦労が報われましたわね」


 妻の手を引き寄せて握る。互いに皺の刻まれた指を絡めて、歩き始める。しなやかな動きには、いささかの照れもなく、ごく自然なふたりの会話が続く。


「バレンシュテットへいらっしゃるでしょうか?」

 ユリウスは空いている手をあごにやりながら、さて、と笑う。


「無理だろうな。いかに私が老いたとはいえ、この器がそろうのを、王家はお許しにならんだろう」

「まあ、でしたら教えて差し上げればよろしかったのに」


「私の言葉ではあきらめんよ。なにか大望がありそうだ。それに、ここへくることが、返って遠回りとなるやもしれない」


 クリスティーナは、ユリウスを見上げて二度三度まばたきをした。琥珀の瞳が夕陽に照らされて、金色の輝きをまとう。


「きっと自ら手繰り寄せる力をおもちですわね。また訪ねてくださるかしら」


 ユリウスは、こたえる代わりに妻の手を握り直した。


「しかし、『氷』に『火』か。よくも対極の加護が得られたものだ」

「不思議な色でしたわ」

「精霊の粋狂にも困ったものだ」


 実感のこもった言葉に、クリスティーナが口の端をあげる。


「粋狂のおかげで、こうしていられるのですもの。ありがたいお導きですわ」


 ユリウスは歩をゆるめ、ときを惜しむようにゆっくりと足を進める。クリスティーナは機嫌よく、ついて行く。

 ふたりの視線は交わり、向かう先は常に同じ途上にある。

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