17.兄弟
「さて、ユリウスもクリスティーナ嬢も無事だ。バレンシュテットは安泰だな。もういい加減に身の程を知ったらどうだ、ロイドルフ」
ユリウスからの通信を切ったオットーは、魔力でロイドルフを抑え込んだまま、重々しい声で言った。
自ら剣を振るい、騎士団を率いてきた辺境伯は、『精霊の加護』の器も決して小さくない。ロイドルフが唯一、優越を主張していた魔力をあえて使い、拘束していた。
「お前が、不当に邪魔をするからだ! 先に生まれたというだけで! 私こそがバレンシュテットを受け継ぐ力を備えているというのに!」
四肢の自由を奪われても、なお抵抗するロイドルフを見るオットーの目には、憐憫のかけらもない。
「ならばこれを自力で解いてみよ!」
緑色に光る魔力が、ロイドルフの手足をさらに固く縛り上げる。うめき声が、本邸の広い玄関ホールの空気を震わせる。オットーの魔力は、圧倒的な力の差を示していた。
クリスティーナが出発した後、彼女の世話係をしていた若いメイドがひとり、姿を消した。二十年前の事件を憶えている者は、色を失ってメイドを探し、オットーに報告した。
気を失って縛られたメイドが倉庫で見つかったときには、ロイドルフが率いる賊は邸内に侵入していた。
オットーはユリウスに連絡を取る間もなく、侵入者に応戦することとなった。だが、相手はバレンシュテット騎士団長の敵ではなかった。
四十名ほどの賊の半数近くをオットーがひとりで討ち取り、残りは駆けつけた騎士たちが順次捕らえていった。
ロイドルフの目論見は、すべてもろく崩れ去った。
「エッツォーネンになにを吹き込まれた? アーデルハイトがどのような女か、知らなかったはずはあるまい。お前は、それほど愚かだったのか?」
エッツォーネン伯爵令嬢アーデルハイト・リヒヴァラが、父の伯爵とともに、ヴラジエン旧王家の継承者である、と声高に主張して冷笑を買っていることは、アンティリアの社交界ではよく知られていた。
たとえ、ヴラジエンの王朝交代がなかったとしても、エッツォーネン家に継承権がないことは明らかだったからである。
ロイドルフとて、それを知っていた。それでも、バレンシュテット家と騎士団から切り離されたロイドルフには、手駒が必要だったのである。
ヴラジエン王国の現王家は、旧王家の血を根絶やしにしている。エッツォーネン家にその手が及ばなかったのは、傍系の末端であり、もとより継承権がなかったからにほかならない。
だが、彼らはそれをアンティリア王国の貴族に手出しができなかったからだ、と都合よく解釈して旧王朝の残党の旗手として名のりをあげた。
その杜撰な旗印に群がった残党は、理性を欠いた狂信者のような者たちであった。エッツォーネン家に、それらを統率する能力などない。
ロイドルフは、そこにつけ込んで己の望みを叶える腹づもりが、長い年月の間にからめ取られて、身動きが取れなくなっていったのである。
「うるさい! 私の真の地位を取り戻すために、利用しただけのことだ」
顔を真っ赤にして叫ぶロイドルフに、己の落度を認めるだけの度量はもはや微塵もない。
オットーの魔力の枷を解き放とうと、幾度も試みるが傷ひとつ刻むこともできない。
「その見返りにバレンシュテットを売り、アンティリア王家に刃向かうのか」
ロイドルフは目を血走らせながら、大声で叫ぶ。
「奴らの妄想につきあう気はない。ユリウスのような愚物にバレンシュテットを任せれば、どのみちつけ込まれるのだ! ギーゼラを娶れば後見についてやると言うのに」
「ユリウスの加護はふたつあるが、『水』の器と『風』の器があるのではない。唯一の大いなる器に『水』と『風』の双方の『精霊の加護』が注がれているのだ」
「なん、だと?」
ロイドルフが、はじめて焦りの表情を見せる。オットーは厳かに、堂々と告げた。
「お前がアーダルベルトと呼んでいた者は、瞳を魔法で装ったユリウスだ。最初から、あれはお前に気を許してなどいない」
「は、そのような……」
ロイドルフは、過去のアーダルベルトとの会話を思い返す。額に浮かんでいた汗が流れ落ちる。
面倒はすべて引き受けてやる、とささやいたロイドルフに見せた愚鈍な笑みは、誰に向けられていたものだったのか。
「陛下は、お前たちを我が家で片づけられないのであれば、王命をもって爵位を剥奪すると仰った。バレンシュテットはアンティリアの防壁である。蟻の穴ひとつ空くことも許さぬ、と。万が一、私かユリウス、どちらかひとりでも害されたなら、その時点でバレンシュテット領は王家の直轄地となる」
ロイドルフの顔がさらにゆがみ、言葉を失う。一縷の望みをかけて、この襲撃に踏み切ったのだ。
オットーを亡き者とし、ユリウスを傀儡に仕立て上げることさえできれば、王家も認めざるを得ないと考えていたのである。
「お前が二十年以上やってきたことは、犬が己の尾を追って回っていたようなものだ。それにジークリンデを巻き込んだことを、私は許さない」
オットーの声が極寒の冷気を帯びて、ロイドルフに突き刺さった。
あの日、騎士団の詰所で、妻子の危急を知らされたオットーは、即座にマグニを呼び出して邸へ向かった。しかし、最速で駆けつけたオットーの腕の中で、ジークリンデは苦しみながら息を引き取った。
オットーがかろうじて保ち続けていたロイドルフへの憐情が、消散した瞬間であった。
「父上に振り回されたのは私も同じだ。だが、バレンシュテットの継承は、すべて国王陛下の掌の上だ。それを私にもずっと教えなかった父上が、すべての元凶だな。だとしても、ロイドルフ、それでもお前には、己の技量がわかっていたはずだ」
ロイドルフは父親からの抑圧と、オットーには敵わないという劣等感をすべて、長子でないからというそれらしい理屈にすり替えた。
自尊心を保つには、そうするしかなかったのかもしれない。だが、それによって己の道を閉ざしたことには気づかなかった。
いや、気づかないふりをするしかなくなっていた。
抗う意思を失い、瞳の光も失せたロイドルフを、オットーは厳しい表情で見据える。
兄弟の視線は一度も交わることはなかった。
バレンシュテット辺境伯暗殺未遂事件は、こうして幕を閉じた。
ロイドルフをはじめとしたノルトガウ子爵家、エッツォーネン伯爵家、ヴラジエン旧王家の残党はすべて捕らえられ、国王の裁定を待つ身となった。
ひと月の後、ロイドルフは死罪、ギーゼラは幽閉、アーデルハイトおよびエッツォーネン伯爵家に連なる者はヴラジエン王国へ身柄引き渡しの決定が下された。




