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金色の湖風の行き先に  作者: 永井 華子
本編

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16/21

16.急転

 馬車の速度が上がり、客車が激しく揺れる。

「クリスティーナ!」

 ユリウスは倒れ込むクリスティーナを抱き寄せると、馭者台をのぞく小窓を拳で叩き割った。


「おい! どうした?」

 しかし、応じる声はなく、ただ暴走する馬の背が見えるのみである。街道を逸れて森の中の整備されていない道を、恐慌状態の馬が走る。いつ客車が外れて投げ出されるかわからない。


「クリスティーナ! 口を閉じていろ、舌を噛む」

 ユリウスは左腕にクリスティーナを抱えると、右手に魔力を集中させる。水色の光の中に金の糸が渦を巻く。


 クリスティーナは言われた通りに口を閉ざして、ユリウスの体にしがみついた。

「そのままつかまっていろ!」


 魔力の塊を馬車の扉にぶつけて、扉に穴を穿つ。ユリウスはクリスティーナを抱いたまま、空へ身を乗り出した。

 ユリウスの腕がクリスティーナを強く抱き込む一瞬、結界を張るのが遅れた。扉の端がユリウスの頬を裂き、血が流れる。


 結界によって摩擦を減らし、ふたりは地面にゆっくり落ちていく。ユリウスはクリスティーナを抱き締めて、背中から着地した。


 軽くなった馬車は道が途切れた先で、巨木にぶつかって客車は砕けた。二頭の馬は止まることなく走り去ったが、一頭の脚に矢が刺さっているのをユリウスは視認した。


「クリスティーナ、大丈夫か?」

「……はい、ユリウス様、血が」


 頬の傷に伸ばしたクリスティーナの手を、ユリウスは握りしめて留めた。

「かすっただけだ。……事故に見せかけるつもりだったか。確認に来るだろう。立てるか?」


 クリスティーナがうなずいて体を起こすと、ユリウスは彼女を支えて立たせた。

「森のかなり奥まで来ている。街道へ戻るのは危険だな……」


 ユリウスは『王家の精霊石』を取り出し、魔力量を確認すると、クリスティーナをもう一度抱き締めた。

「一緒に転移する。絶対に手を離すなよ」

「えっ」


 そんなことができるのか、とクリスティーナが口にする間もなく、ユリウスは腕を彼女にしっかりとからめて、結界を張り直した。


 クリスティーナは、金の糸が流れる水色の帳に閉じ込められる瞬間、ユリウスの背に手を回した。


 そのまま結界の中がユリウスの魔力に包まれて、クリスティーナはまぶしさに目を閉じた。ぐらり、と体の中心がなにかに乱暴に引っ張られて、宙に浮くような不快な感覚にとらわれる。


 気持ちの悪い浮遊感から解放されると、どさっと体が投げ出されるが、クリスティーナはユリウスにかばわれて包み込まれた。


「クリスティーナ?」

 ユリウスの胸に顔が押しつけられて、話すことのできないクリスティーナは首を振って無事を伝えた。


 ほっとしたユリウスが腕をゆるめたので、クリスティーナは顔を上げて周囲を見まわした。

 岩壁に囲まれた空間は、別邸のサンルームほどの広さがある。ふたりが倒れた周囲には、緑色の薄明かりを放つ霧がたゆたっている。

 クリスティーナが霧の流れをたどって見ると、中央に積み上げられた石の隙間から、緑に光る霧が湧き出ていた。


「ここは、どこでしょう?」

 ユリウスはクリスティーナを抱えたまま、体を起こして座り直す。


「西の森の中にある『森の精霊』の加護の泉だ。バレンシュテット家が辺境伯として騎士団を預かっているのは、本来はここを守るためだ。泉の魔力を知っていれば、魔法陣のように転移の目標とすることができる。入口は泉の番人が封印しているから、安全だ」

「『精霊の加護』の泉が、王都のほかにもあるなんて知りませんでした」


「王都にある泉は『王家の泉』、すべての加護の力が湧く。ほかの泉にはひとつの加護だけだ。多くはないが、国内にいくつか存在する」


 そこでユリウスは大きく息を吐くと、再びクリスティーナを腕に閉じ込めた。彼女の肩に頭を置いて顔を伏せる。

「……いつから、気づいていた?」


 ユリウスの動きに翻弄されて、固まっていたクリスティーナは、一気に体の力を抜いて身を任せた。


「お顔を見せてくださいませんか?」


 クリスティーナを包む腕がぴくりと動いた。少しの間沈黙したユリウスが、耳もとで聞いたことのない音を発した。目の前の大きな背中が、ふわりとユリウスの魔力をまとう。


 一瞬の光が飛散して、肩をつかまれたクリスティーナの前に現れた瞳は魔力と同じ色。

 陽の光を弾く湖面のように輝く瞳が、クリスティーナを静かに見つめていた。


 クリスティーナは肩に置かれた手を取って、きゅっと握った。

「ありがとうございます」

「どうしてわかったのだろう? 父上ですら、私がふたりいるのでないか、と疑っていたこともあったというのに」


 ユリウスの瞳は凪いでいる。それでも、透き通るような水色に浮かぶ金の輝きは、そのまま変わらない。


 『水』と『風』ふたつの加護が同時に存在する、それがユリウス・アーダルベルト・バレンシュテットの瞳であった。


「はじめは、お聞きした通りに理解していました。どちらもユリウス様だと。ですが、金の瞳のユリウス様はとても真っ直ぐでいらっしゃるのに、水色の瞳のときには、なにかを隠しておられるように感じていたのです」


 ユリウスは眉根を寄せると、ははっと乾いた声を上げた。不思議そうに見上げるクリスティーナに、苦い笑みを見せた。


「おかしなことだな。瞳の色は魔法で変えていただけだ。だが、金色に装っているときには、暗示の魔法をかけていた。叔父にとって都合よい人物に見えるように。尊大な世間知らずであるように。クリスティーナに会うときも、同じ暗示をかけていたのだがな」


 ユリウスの瞳が、ふたつの加護を備えている。クリスティーナは安堵を覚えて、落ち着いた声で話す。


「わたくしはユリウス様がふたりいらっしゃる、とは思いませんでした。ただ、どちらも同じ人だと感じるのに、どちらもなにかが足りないように見えました」

「水色のときは瞳の色を変えていただけだ。それでも?」


「なにかを我慢なさっているように思いました。金色のときはそれは感じませんでしたが、態度を装っていらっしゃるのはわかりました」


 その違和感を取り除けば、同じユリウスである。クリスティーナには、自然にそう思えた。


「確信したのは、夜会の夜です。眠りに誘う魔法をかけてくださったでしょう? あのときの魔力は、今のユリウス様のものでした。本来のユリウス様だと思いました」


 ユリウスは呆れたようにため息を吐き、クリスティーナに握られた手が離れないようにゆっくりふたりの間に下ろした。

「クリスティーナに後ろめたい気持ちがあった。利用しようとしているのは確かだったからな。暗示をかけているときは、それを考えずにいられた」


 だからこそ、クリスティーナへの想いを素直に表すことができた。


「ユリウス様、傷を」

「いい、もう血は止まっているだろう」

 顔の傷に治癒の魔法をかけようとするクリスティーナを、ユリウスは押し留めた。


「装っているはずだったが、本音を見せてしまっていたのだな。クリスティーナが、どちらも私だと認めてくれたからだ。はじめて金の瞳を見せたときにも『ユリウス・アーダルベルトの婚約者』になる、と言ったな」


「あのときは、混乱していましたので、思ったことをそのまま口にしてしまったのです」


 ユリウスが微笑み、クリスティーナはようやく少し落ち着きを取り戻した。


「クリスティーナには、愛されて育った揺るぎない自信がある。私はそれを、まぶしいほどにうらやましく思う。見せかけの魔法に騙されない強さも、すべてが愛おしい」


「……ユリウス様も、愛されておいでですわ」

「ああ、それに気づかれせてくれたのもクリスティーナだ」


 ユリウスとクリスティーナの視線がからまるが、互いに言葉を発することはない。同じ想いを抱いていることが、ようやく伝わったのだ。



 遠くからカツンカツンと響く音に気づいたのは、ユリウスのほうが先であったが彼は焦らず、身を強張らせるクリスティーナの肩をなでた。


「バレンシュテットの若様ですか?」

 現れたのはクリスティーナよりも年少の少女、十四、五歳くらいに見える。


「番人の娘だな?」

「はい、賊を捕えましたので、とう、父が騎士団へ引っ張って行ってます。若様がこちらに来られるかと思い、私は先に来ました」


 秋の夕陽のような赤い髪に濃い緑の瞳、身にまとっているローブは古いものらしく裾がいくらかほつれている。

「怪我はありませんか? そちらのお嬢様も」

「私は平気だ。クリスティーナも大事ないな?」

「はい」


 それでも少女が心配そうに見つめるので、クリスティーナは笑顔を作った。少女がほっとして見せた顔は、歳相応にかわいらしかった。


「スルーズ! もっときっちり結界を張っておけ。あんなんじゃ、魔術士がいたら破られるぞ」

 少しして、少女が現れた通路の奥から、壮年の男の低い声が響いた。少女の父親である泉の番人が姿を見せる。


「ごめんなさい、父さん」

「まあ、今回はたいしたのはいなかったがな。いつもそうとは限らねえぞ」

「はい」


 男と顔をあわせたユリウスは、苦い笑みを浮かべた。

「マグニ、面倒をかけたな」

「坊ちゃん、その色は」

「ああ、彼女には隠せなかった。まだ母上の遺言を果たせてはいないのだがな」


 マグニはクリスティーナに目を向けると、微かに目尻を下げた。

「守るものが増えれば、己が身が後回しにもなることもあるでしょうよ。ご立派になったってことですな」

「いや……、助かった、礼を言う」


 マグニは眉をゆがめて、首を横に振った。

「坊ちゃんの母君をお助けできなかったですからな。その詫びには足りねえでしょうが」


『森の精霊』の加護の泉の番人マグニは、ジークリンデの死の床にかけつけ、ユリウスを救った魔術士である。


 泉を守ることを一族の生業(なりわい)としているが、バレンシュテットの民ではない。常であれば辺境伯家とも距離を置いている。


 『森の精霊』の加護の泉を守ることは、バレンシュテット辺境伯の任でもあるが、番人の仕事を妨げることはない。


 互いの務めを尊重する関係であったが、二十年前、オットーは微かな可能性にかけてマグニを呼び出した。

 マグニにとっては驚愕の事態であったが、それだけに状況の深刻さを理解して応じたのである。


「馭者は射られて転げ落ちておりました。本邸へ届けたんで大丈夫でしょう。射った奴らは騎士団に放り込んどきましたよ。お(やしき)もごたついてましたが、卿は心配ねえでしょう。坊ちゃんのほうが心配されてるんじゃねえですか?」

「そうだな。なにからなにまで世話をかけたな」


 言いっこなしでさ、と笑うマグニの緑の瞳がクリスティーナに向けられる。足もとの霧と同じ色のおだやかな視線に、クリスティーナは笑みを返した。


 ユリウスは懐から、楕円の中央を切って半分にした形の黒い石の板を取り出して魔力を注いだ。

 黒い石が、金の波を浮かべる水色から、緑の光に変化すると、そこからオットーの声が響いた。


「ユリウスか? 無事だな?」

「はい、父上」

「こちらももう片づく。クリスティーナ嬢も一緒か?」


 ユリウスがクリスティーナの手を強く握り直す。

「はい、クリスティーナも無事です」

「わかった。一度本邸(こちら)へ戻れ。お前たちが帰る前には終わらせておく」

「承知しました」


 石はすっと光を失って黒い板に戻り、洞穴に静けさが満ちる。クリスティーナを支えて立ち上がったユリウスは、ゆっくり歩き出した。


「卿はお元気そうですな。馬も捕らえたんですが、一頭は傷を負ってるんで、気が立ってますな」

「一頭でいい。マグニ、またあらためて礼をする」

「勝手にやったことでさ。そちらのお嬢さんの顔が見られたんで、充分ですよ」


 くっとユリウスが口の端をゆがめたが、マグニは笑っている。

 クリスティーナはユリウスの腕につかまってついて行く。その後にスルーズが続く。

 緑の霧の流れに導かれるように、四人は外へ向かった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  マグニ! お久し振りですね。予言通りのようで、本当に良かったです。  ちゃんと向き合ったクリスティーナだからこそわかったこと。  ユリウスにはぜひとも、手放さない方向で考えてほしいです。…
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