6 子爵の村
私は彼の前で腰をかがめた。彼と同じ目線になるように。
「顔を上げてください、子爵」
私は彼に笑いかける。
ようやく、彼は顔を上げてくれた。
この婚約が悪意によるものというのは、事実かもしれない。王子かアルデミラ侯爵令嬢が、とことん、力のない小領主を私に選んだのだろう。
けれど、偶然なのか、私とこの子爵はよく似たところがある。
上手くやっていけるかはわからないが、私はこの人のことが少しはわかる。
それに、今更ダメも何もないだろう。
王都に帰っても、比喩ではなく、私の居場所はない。
「もしよろしければ、私を妻に選んでくださいませんか?」
そう私は微笑みながら言った。
「選ぶだなんて……。僕と結婚すれば、従者がするような労働もやる羽目になりますよ。王都で何があったかわかりませんが、爵位はなくてもそれなりの商家に嫁ぐことなど、伯爵令嬢なら容易でしょう」
「わかっています。ただ、私と婚約をするようにという話は子爵にも届いているはずです。なら、結婚に至るのはごく自然なことでしょう? 少なくとも、私はあなたと人生を送ることにやぶさかではありません」
その言葉にウソはなかった。
命を救われたということは、当初の予定どおり、この人の妻となれということなのだろう。
それに、自分と似ているところがあって、自分の身を守ってくれた方となら、伴侶として申し分ないはずだ。
「あなたのお気持ちはわかりました。僕もうれしく思います。ただ、正式な結婚は先に……二週間は先にしましょう。あなたはまだ僕のことを何も知らないでしょうから。しばらく、村に逗留されてから判断されても罰は当たりません」
「わかりました。では、それで」
「僕もあなたに呆れられて、破談にならないよう気をつけます」
「あなたではなくて、ティエラと呼んでください。婚約者ではあるのですから」
「おそれ多いのですが……では僕のこともオーキッドとお呼びいただけますか?」
「わかりました、オーキッド。ただ、もう一つだけ注文をつけさせてください。オーキッドは4つも年上なんですから、普段の口調で話していただけませんか? 無理をなさっているのがわかります」
オーキッドの所領では、オーキッドより偉い人間はいないのだから、こんなにかしこまった口調で暮らしているわけがないはずなのだ。
「えっ……それでは、あなたも……」
「私はこの口調が自然体ですから。これ以上ぞんざいな口調は王都では使ったことがありませんので」
少しおおげさではあるが、ウソではない。
戸惑うオーキッドの姿は21というより16,7歳ぐらいに見えた。
「わ、わかった……。こんなしゃべり方でいいかな……? 伯爵家の人に対して使っていい言葉遣いだと思わないんだけど……」
「面識のない伯爵家の人間に言えば失礼でも、婚約者なのは事実なのですよ。おかしくはありません」
「……よし、じゃあ、これでいくね」
口調が変わると、余計に若々しく見えてきた。
「では、オーキッド、あなたの所領まで案内していただけますか?」
「うん……ここも所領には含まれてるんだけど、所領ってだけだからね。屋敷で料理も用意している」
私はそっと、オーキッドの前に手を出した。
エスコートしてくださいという合図だ。
王都の貴族の間では普通のことだ。
本当に不慣れなのか、照れながらオーキッドはその手をとった。
それぐらいのことは過去に何度もあったのに、その時は私もやけにうれしかった。
「無作法だったら言ってね。田舎なもので、貴族の令嬢との応対もろくにないんだ」
「わかりました。あと、オーキッド、殿方なのですから、もうちょっと堂々とされてもいいのですよ」
「努力するよ、ティエラ……さん」
「ティエラだけでけっこうです」
「ティエラ……。慣れるのには時間がかかりそうだ。君もおそらく、いろいろと大変なことがあったんだろうけど、よろしくね」
大変も何も、山賊に命を狙われたほどの大変な出来事は過去になかったなと私は思った。
〇 〇 〇
オールモット村に着いた頃にはかなり日も落ちていたが、それでも村の様子はだいたいわかった。
「ずいぶん大きな村なんですね」
「たしかに平野部の村と比べると、面積だけは広いかもしれない。でも、住める場所は限られてる。人口の大半は谷筋の下のほうに集まってるんだ。坂の上のほうは段々になった畑地ばかりでほとんど人は住んでない」
オーキッドが説明してくれたように、オールモットの村は川が作る谷合いの低地と、その谷に落ちかかるゆるやかな斜面を含む場所だ。
馬車は川沿いに進むので、見上げる先までが村の範囲内ということになる。
そして斜面は川の両側に広がっているので、一つの村としてはやけに広大に感じる。
川沿いから見れば、左右に村の斜面が伸びているわけだ。
「面積は広くても人口は本当に知れてる。家系図では僕で7代目らしいけど、貴族として残ってる一族はいない。分家がいたとしても平民になってるんだろう」
「たしかに、一つの村を分家に分けていくというのは難しいかもですね。山林だけを分与するわけにもいかないでしょうし」
「そうなんだろうね。ちょっと、クイズを一つ出そう。僕の屋敷はどこにあるかわかるかな?」
表情をゆるめてオーキッドが言った。
わざわざ問題を出すということは、意外な場所にあるはずだ。
「左右のどちらの斜面かはわかりませんが、いずれかの斜面のずっと上のほうじゃないでしょうか?」
「正解だ! なんで、そんなにあっさりとわかるの?」
オーキッドは心底、驚いた顔をしている。驚いた顔はさらに童顔に見える。
「問題を出すということは、低地の家が多い場所ではないはずですからね。この村は低地以外で言えば、斜面しかないわけですから、それならとことん上でないと答えとして適切ではないでしょう」
「君は本当に聡明だ。そうか、薬草伯家というのは勉学ができなければやっていけない家か。王都には専門の知識や技能で仕える貴族がいるもんね」
「そんなおおげさな話ではないですが、そんなところです。それに見下ろされる場所に住みたがる貴族は少ないですから」
「お見事。ただ、高台に住むのにはもう一つ理由がある」
オーキッドは少し真面目な顔になった。
「低いところに住んでいれば、戦争の時、高所をとられるリスクが増える」
「ああ、それはたしかに……」
「東部はまだ争いが起こる。祖父の代にはこの村でも戦いがあったんだ。さて、ここから屋敷までがまた坂が続いて大変なんだけど、もう少しお付き合いいただきたい」
オーキッドは高台のずっと先を指差した。
「これは、軽く汗もかいちゃいそうですね……」