39 薬草伯の涙【王都側視点】
薬草伯ドーミルの元にヘルティアの場所を知らせる書状が届いた時も、彼はたいして驚きはしなかった。
ずっと王都から出なかった貴族はその外に逃げる場所を持ってはいない。
もし王都を出るとしても、娘が嫁いだ先の地方貴族のところに厄介になったりということが多い。縁もゆかりもない地方貴族のところに逃げた者も皆無ではないが、きっと居心地は悪かっただろう。
だからヘルティアが落ち着く先も、あるとすればティエラの嫁いだナクレ州の小さな村ぐらいしかないと思っていた。
問題はこれからどうするかだ。
ヘルティアは嫡女の地位にある。しかも婚約者もいる。婚約者の家との確認もなく、身分にかかわる大きな処分はできない。
たとえば当主の権限で勘当したりすれば、それは婚約者の家への敵対行為とみなされかねない。なので、よほどのことがないかぎり、穏当な処分で済ますしかないわけだ。
かといって、そのことまでヘルティアがわかっていて、逃散したかというと、そんなことはないだろう。すべてが嫌になって突発的に逃げ出したのだ。
すぐに結論を出さずにドーミルは様子を見ることにした。
田舎貴族の家で保護されているなら、野垂れ死ぬこともないし、ドーミルのほうから謝罪するいわれもないのだ。
しかし、しばらくして意外な手紙がヘルティアから届いた。
それは家出した当人のヘルティアからのものだった。
そこには自分は薬草伯家の名を汚す存在であるのに対して、姉は優秀で多くの人を治療しているので、姉を嫡女としてほしい――という旨が書いてあった。
最初、ドーミルはその内容を完全には信用できなかった。
なにせヘルティアは母親のクレアノールと一緒になって姉を蔑んでいたのだ。居候しているとはいえ、こうも態度が変化することがあるだろうか?
クレアノールも「これは謀略か何かです。家出ではなく、我が家を快く思わない何者かが誘拐でもしているのではないですか?」などと言い出したほどだった。
「それはないだろう。あいつが消えたのは私に叱られた翌日だ。誘拐にしては、タイミングがよすぎる。服も持っていっているのがわかるしな。それに筆跡もあいつのものだ」
「正真正銘、あの子のものだとしたら、これはあの子なりの意趣返しの可能性もあります。嫡女ではなくなると願い出ることによって、私たちを結果的に困らせようとしているんじゃないかしら」
「それはありえんとも言いきれないな」
さすがに誘拐は考えづらいが、ヘルティアの考えが変わりすぎていることの違和感はドーミルにもあった。
とにかく、ドーミルはティエラの夫であるオーキッド・ハルクス宛てに、娘を預かってくれていることに対する感謝を述べた礼状だけを送り、様子を伺うことにした。
ヘルティアが何を考えているのか、もう少し泳がせておくのだ。
いや、泳がせるというのは都合のいい表現でドーミルも訳がわからなくなっていた。
そして、さらにヘルティアからの手紙が届いた。
そこには体調を壊してしまったこと、姉の看病を受けて回復したこと、姉こそが薬草伯家を継ぐのにふさわしいと改めて実感したこと――が書いてあった。
手紙の末尾には以下のようなことが書いてあった。
『今はお姉様に薬草についてわからないことを教えていただいています。知識においてかなわないことを悔しいと思う時期は終わりました。今は足りないものを補おうと思っております。王都へはお許しが出次第、帰る旅程を考えたいところです。
嫡女の地位を譲ることは難しいかもしれませんが、せめてわたくしが相続する財産の一部をお姉様に差し上げることはできないでしょうか? 長らく子爵夫婦にご迷惑をおかけした慰謝料としてです。
王都に戻ることができたら心を入れ替えて勉学に励みたいと思います』
ドーミルは読み終わると、手紙を妻にも回した。
クレアノールは娘の財産相続の敵であるティエラをよくは思わない立場にいた。
しかし、自分の娘の真摯な手紙の文面を読んだ時には、後悔か感動か理由はわからないものの、涙を流していた。
「これから先、ティエラさんを悪く言えば自分の娘の気持ちを踏みにじることになってしまいますね」
「まさか、お前までそういう気持ちになるとは思わなかった」
「あなたもそうですよ。泣いていないつもりかもしれませんが、目元がうるんでいます」
表情を顔に出さない薬草伯ドーミルが泣くことなど、前例がないことだった。
「もしかすると、あいつが家出してくれたおかげで、すべてがいいように転んだのかもしれんな」
ドーミルがそんなふうに軽口を叩くのも、また珍しいことだった。
身分を覆すような真似はできないが、それでも援助をするようなことはできる。ドーミルは遠方に貴重な薬草学の写本などを送る準備をしようと思った。
それと、ヘルティアの帰還を許すだけでは芸がないと思った。
「たまにはティエラが実家に帰ってきてもいいな」




