3 家への報告
屋敷に戻り、在宅していた父――ドーミル・エキュールに婚約が決まったと話した。父の書斎は気づまりなのだが、行かないわけにもいかない。
父は話を聞いている間、まったくいかめしい顔を変えなかった。
書斎の中は貴族にしては不似合いなほど分厚い本で埋め尽くされている。薬草学に関するものだ。
「そうか。あの王子がやりそうなことだ。まあ、嫁ぎ先が見つかったこと自体は吉報だな。衣装箪笥と服の一式ぐらいは用意してやる。それと一緒に旅立つといい」
「家として祝ってくれるのですね」
「罪人ではないのだから当たり前だろう。それにお前はなんだかんだで役には立ってくれた。あんなバカ王子にも誰か一人は出仕させておかないと、王になった時に心証が悪いからな。お前はその役目をちゃんと果たしてくれた」
「徹底して、私は薬草伯家の道具なんですね」
まったく表情をゆるめない父に文句の一つも言いたくなる。
「お前も王子のバカがうつったか? 道具なのは当たり前のことだ。もちろんお前の腹違いの弟も、妹も、この私もだ。全員が薬草伯家を支えるための道具にすぎん。道具の代表が家長をしているだけだ」
親との間に愛はないが、ここまで事務的であったのは楽だったかもしれない。
おかげで、私もほとんど笑わない幼少期を過ごすことになり、それが今も続いている。王子は鉄面皮と言っていたか。
ただ、一人、王子にもてあそばれて、自害した身分の低い侍女がいたというし、それと比べれば鉄面皮と思われていたのは幸いだったかもしれない。
「別に嘆くことはない。遊女の腹から生まれたにしては、お前は十分にやるべきことをやった。頭も悪くない。ただ、頭のいい女を求めている貴族の次男や三男が王都にいなかったから、婚約者がいなかっただけだ。どこの田舎貴族か知らんが、お前にはちょうどいい相手だ」
自分の子供にここまで愛情を注がずにやっていけるものなのかという気もするが、古今にそんな例がいくらでもあるので、私もそういうケースなのだろう。
「あの、一つだけよろしいですか?」
「なんだ?」
「出立すれば二度と王都に戻れないかもしれません。私の母親が存命であればお会いしたいですし、死んでいるのであれば墓参りをしたいのです」
「お前にも言っているだろう。知らん。それとも、お前に遠慮して私が隠しているとでも思っていたのか?」
なるほどな。この人は私の母親にも一切の愛情を抱いてないのだ。本当に顔すら覚えてないだろう。
ならば、私にも愛情が行かないのは自然なことだ。
「これまで育てていただきありがとうございました。薬草学の知識を教えていただいたことは本当に感謝しています。一人、投げ出されてもこの知識があれば生きていくこともできますので」
これに関しては本当だ。
遊女との間にできた娘に勉学の機会を与えないという選択もあったはずなのだ。
だが、私も教育の機会だけは与えられた。むしろ厳しく指導された。
「お前はバカか。妻との間にできた子供が早世する危険だってある。その時はお前が婿をとって家を継ぐ可能性だってありえたのだ。ならば、薬草伯家として恥ずかしくないだけのものを教え込むに決まっている」
本当に素直に感謝もさせてくれない父親だ。
「そうですね。スペアになるかもしれない以上、スペアになれるだけの知識は必要ですね」
「ああ、そうだ。王子が婚約者を決めたとのことだが、あの王子、何かしたのか?」
冷たいがバカではない父親は何か察したらしい。
「この結婚も、一種の追放刑と見なせなくもないからな。お前が王都にいるのが煩わしい理由があったりしないか?」
ここで王の暗殺を考えていたと言っても、証拠もないし、意味がないな。
「いえ。ただ、それこそ王子は以前から私を煙たいと思っていたので、地方に飛ばしたかったのではありませんか。しかも、私を飛ばした程度では薬草伯家が腹を立てるほどのこともないですし」
「それもそうだな。あのバカ王子は気分屋だからな。そのうち墓穴を掘る。ああ、不愉快でも妹と義母には報告しておけよ」
たしかに、これからもう一つ面倒な仕事が残っていた。
1つ下の妹と、義母のクレアノールは婚約の話と、その子爵の名前と地名を聞くと、遠慮なく笑った。
「ナクレ州のオーキッド・ハルクスって本当に誰なの? 生まれてこの方聞いたこともないわね」
「お姉様が地方の大規模領主に嫁げるとは思っていませんでしたけれど、それにしても、聞いたことがない名前ですわね」
この親子は仲がいい。そして仲良く私を攻撃してくる。
「その点はまったく同意です。私も何者かまったく知りません」
「お姉様、僻遠の地で幸せになってくださいね。ああ、これは嫌味ではなく本音ですから」
意地悪く妹は笑った。
「だって、婚約をすぐに破棄して戻ってこられても困りますもの。王都が恋しくなっても戻ってこないでくださいね。私物も処分するつもりですから、名残惜しいものがあればすべて持っていくことですわ」
「ええ。私も王都にいい思い出はないからちょうどいいわ」
この家から出られることを思えば、遠方の領主のところに行くのも悪くないのかもしれない。