16 店を開きたい
オールモット村に到着して3日目。
その日から私は村を歩き回った。
歩き回るといっても、たかが村の中だろうと思われるかもしれない。だが、王都郊外の小さな農村とは、規模がまったく違うのだ。
村の全域を歩き回るだけでも相当な距離とアップダウンがあって、かなり疲れる。
それにしても、村の中から出なければ、やることもほとんどないだろうと思われるかもしれないが、そんなことはない。
「その黄色いヒゲみたいな植物、名前知らないんだけど知ってる?」
「これはネナシカズラです。根は強壮剤になりますね」
「これはニワトコの木だけど、これも使えるのかな?」
「はい。ニワトコの葉っぱを使った生薬はむくみをとるのに使えます。ほかにもいろいろと効能はありますが、私はむくみ用に使うと習いました」
私は村の周辺に生えてある植物の確認をしていた。時間があるならオーキッドもついてくる。
意味合いは私の護衛だが、村に悪漢が入ってきたりはしないので、私が薬草学の知識を教える格好になっている。
「ニワトコかあ。入浴の時に乾燥させた葉っぱを入れたことはあるんだけどね」
「それも間違いではないですよ。急に何かの病気が治ったりなどはしないですが、慢性的な神経痛などには悪くはありません。昔から伝わってる民間の使用法はそうおかしくないことも多いです」
「なるほど。こんなどこにでもある木でも役に立つんだ」
「だから、薬草についての知識を持ってた私の先祖が貴族として認められたわけです。親にも、知識があれば身分が上がらなくてもどうにかなるから覚えておけと言われました」
私の立場なんて昔から不安定なものだった。貴族としていられなくても、薬草学の知識さえあれば生きていけるというわけだ。
逆に言えば、親は私を庇護する意識はさらさらなかったとも言えるが。
まともな貴族の娘と思っているなら、縁談の一つや二つは来ていたわけで、最初から私は薬草伯家から一歩はみ出した存在だったわけだ。
「それにしても、この村は本当にいろんな植物の宝庫ですね。畦にも本で学んだ草花が生えています。山のほうまで分け入れば、とんでもない種類になると思いますよ」
村に来た当初はわからなかったが、田舎というのはそれだけ緑が多いわけで、薬草学を勉強した人間には、胸が高揚するフィールドだった。
「それはわかる。だって、ティエラの目が輝いてるからね。すっごく楽しそうだよ」
「あっ、そうですか……。そんなにはっきりとわかるものですか」
伝わらないと思っていたわけではないが、露骨にわかるというのも気恥ずかしい。
「うん。どちらかというと、目立つ感情表現をしないタイプだと思っていたけど、それはあまり楽しいものが近くになかったからなんだね。ティエラは薬草学は本当に好きらしい」
薬草学が本当に好き……。
はっきりと意識したことはなかったが、たしかに薬草学の勉強を苦痛と感じた記憶はほとんどない。
そうか、私は薬草のことには自然と真剣になれるらしい。
だったら、それを仕事にしたら、笑顔でいられる時間も長くなるかもしれない。
「オーキッド、私、薬草の店を開きたいと思うんですが、どうお考えですか?」
具体的に計画を立てる前にオーキッドに尋ねた。私にとっては珍しい性急な反応だった。
「えっ? 質問の意味がよくわからない……。反対するケースなんてあるの?」
オーキッドは不思議そうな顔で、逆に質問してきた。
「だって、私はオーキッドの婚約者なわけですよ? ええと、そこまでは問題ないですよね……?」
「当然じゃないか。僕は婚約破棄した覚えなんてないよ。そうする理由もないし」
理由に関しては、私のせいで山賊と戦うことが二度あった時点で怖くなる殿方も大勢いそうだが、それは置いておこう。
「婚約者が働きたいと言っていたら渋い顔をする人もいるはず。妻になる人間なわけですから。庶民のような真似をするなという貴族の方も多いでしょうから」
東部の常識は、王都の常識と多少はズレているかもしれないが、妻がせっせと働くようなことを多くの貴族は認めないだろう。
この場合の働くというのは、賃金が発生するような労働のことだ。外交や政治に、妻の立場で参画することは別だ。
私が王太子邸に出仕したのも、あれが王家に仕えるという貴族の役割の範疇だったからだ。
妻が薬草の店を開くというのは、普通の貴族なら嫌がる内容だろう。
「ははは、そんなこと、気にするわけないだろ。だいたい従者もいない貴族がそんな体面を考えてたら、それこそバカにされるよ」
オーキッドの反応で、許しが出たことはすぐわかった。
「それに、ティエラは薬草を扱うのが楽しくて仕方ないんだろ。だったら、どんどんやるべきだ」
「ありがとうございます。必ず繁盛させますからね」
こうして、私が薬草の店を開くことは決定した。
次回は12時更新します!




