10 新しい朝
「別にかまいません。あなたが過去に人殺しだったからといって、私の命の恩人であることには変わらないのですから」
私は毅然とした態度で言った。
それぐらいのことは、身のこなしでなんとなくわかっていたことだ。
「どうも、オーキッドは自分に自信がないようですね。それとも、そんなに私が醜いですか? 顔の好みは誰にだってあるものですし、それだったらそうおっしゃっていただければ――」
「そんなわけない!」
オーキッドが大きな声を出した。
「ティエラ、君が大変美しいのは誰が見たってわかる。僕には最初、君が銀色の髪をした天使に見えたんだ」
「天使って……また歯の浮くようなセリフを……。私は末端の伯爵令嬢にすぎませんよ。美貌を讃えられていたわけでもないですし」
オーキッドは少し不満げな顔をした。私の返答は問題があったらしい。
「おそらくだけど王都には様々な身分の人間がいるから、みんな、身分だけで人の判断をするのに慣れきっているんだ。血筋が変えられないというなら、君が美しいことも変わらない」
胸が熱くなった。
なんだろう、これじゃ、くどかれているみたいだ。
いや、まさにそういうことなんだろうか……。
「とにかく、ティエラがかまわないと言うなら。僕も結婚にはやぶさかじゃない。王子の性格からすると、結婚しないだけでも、自分の思い通りにならなかった気がして、へそを曲げそうだしね」
まるで今すぐに結婚しようとでも言いそうな口ぶりだったのに、オーキッドは笑顔でこう付け加えた。
「なので、出会った時に話したように、せめて2週間は村で暮らして、僕とこの土地とを見極めてみてほしい。当然、婚約破棄となっても、ティエラのことは保護する」
「そんなに王都の人間の言葉が信用できないんですか?」
私は少しあきれた。
そんな恋心の表白みたいなことまでしておいて、様子を見ましょうというのは冷静すぎないか。
それに、オーキッドの過去がわかったって、私の気持ちは変わらないと伝えもしたのに。
「そこは、今すぐ結婚しようと言ってくれたほうが大半の女性はうれしいものだと思いますけどね。貴族に恋愛結婚なんてほとんどないから、おかしいとは言いませんけど」
「王都と田舎じゃ、いろいろ勝手が違うからね。そこも見極めたほうがいい。ティエラは従者のいない生活なんて知らないだろ?」
それは一理はあるが、今更、家事が嫌だから婚約破棄するというなんて話にはならないと思うのだけど。
「それと……僕のほうも心の準備が必要で」
オーキッドは顔を赤くした。
「ずいぶん、人を殺してきたからね。深山伯の元にいた頃は、女性に恐れられることはあっても、好かれることはなかった……。それで僕のほうも理解が追いついていなくて……」
そうか、それだけ恐れられれば、自信のようなものもなくなる。
私も彼も落ち着く時間がいるのだ。
「わかりました。お互い時間をおきましょう。私のことを知ってもらうにも時間が必要ですし」
こんなふうに、含みのない笑顔ができる日が来るなんて、王都にいる時は考えたこともなかったな。
食事を終えると、オーキッドは私の宿泊先である教会まで案内してくれた。
外に出ると、月明かりがないせいもあって真っ暗だった。
「これはたしかにエスコートしてもらわなければたどり着けないですね」
「足下もそんなにいい道じゃないしね。あっ、そこは空堀がある! 落ちるから寄らないほうがいい!」
「えっ!」
言われて、びっくりして足を後ろに引いた。
「そういえば、ここは領主のお屋敷でしたもんね」
防御用に堀があってもおかしくない。
「幸い、役に立ったことはないけどね。教会はこぎれいにしていると思うけど、不都合があれば言ってほしい」
教会は丘の中腹あたりに立っていた。
中年の女性聖職者が一人で管理しているところで、おかげで内部はたしかにこぎれいだった。衣装箪笥などはすでに運び込まれていたせいで、狭く感じはしたが、生活はできそうだ。
「クリエラと申します。王都と比べると、足りないものも多いと思いますが、ご容赦ください」
「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします。あの、薬草伯家の使いは?」
山賊騒ぎの時にすべての人間が逃げ出したわけではなくて、薬草伯家から派遣された者は残っていた。彼らが荷物を運びこんでくれたのだ。
「ここは街道筋ではありますから宿はあって、そこでお泊りになっています。早朝には引き返すそうです。もし、何かお伝えすることがあればそれまでに」
「いえ、とくに何もないのでけっこうです」
これで私は薬草伯家から完全に切り離されるのだなと思った。
捨てられたとも言えるが、今では解放されたという気持ちのほうが大きい。
〇 〇 〇
翌朝、ニワトリの鳴き声で私は目覚めた。
そんなもので起きるだなんて、物語の中だけの話だと思っていた。
幸い、ベッドが硬いだなんてことも、ノミに悩まされるだなんてこともなく、安眠できた。私の田舎理解もずいぶん偏見にまみれていたらしい。
聖職者のクリエラさんは職業柄、すでに朝のおつとめを終えたところだった。
「せっかくですし、散歩でもなさってはいかがですか?」
そう言われたので、外に出てみる。
私は目を瞠った。
「絶景だ!」
ちょうど朝日が昇ってきた時間で、高台にある教会からは青々とした川の水面が光るのも、川を挟んだ向かいの斜面の畑地が輝いているのも見えた。
王都の人間からしたら、これは景勝地の景色と言っていい。
そして、これは観光で来た場所ではなく、私が新たに生きていく場所なのだ。
よほどのことがないかぎり、たとえばギルベール王子やアルデミラ侯爵令嬢がいなくなったりしないかぎりは、王都に戻ることはない。
この村では幸せに暮らせますように。
ここで第一部完(というか、村に到着するまでが完)です。
明日から第二部に入ります。朝7時更新予定です! 明日も複数回投稿予定しております!
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