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8. 皆等しくお腹が空くのだ


 ルガルカはワンピースの下に厚地のズボンを履き、ローブを着て、各種道具を詰めた背嚢を背負う。革鎧を装備した英雄を伴い、家を出た。川岸に下り上流に向かって暫く歩くと、英雄が何かに気付いたように立ち止まり、振り向いた。その顔は心なしか緊張している。


「魔女殿。ここが境目か。安全だと知っているのに戻りたいと思えない。竜よりも恐ろしいものの気配を感じる」


 人除けの範囲から出たのだ。何の魔法かは教えていないが、家から遠く離れると戻れないことだけは伝えていた。


「目印はないから気を付けな」

「出るまで判らなかったぞ、気を付けようがない」


 ルガルカは瞬いた。


「それもそうだね」

「そうだねじゃないが」


 困ったような情けないような顔をする英雄が少し可笑しくて、ルガルカは空気を漏らすように笑った。英雄の目が恨めしげになる。


「遠くに行かなきゃいいんだよ」


 英雄は何か言いかけたが、諦めたように溜息をついた。


「気を付けよう。帰りはどうしたらいいんだ?」

「それは大丈夫。ほら行くよ」


 説明する気がないのが解ったのだろう、英雄は大人しくルガルカの促しに従った。


 川岸から木々の密集する場所に分け入り、暫くして、唐突に視界が開けた場所に出る。緩やかな丘になっているそこは、頂上に天高く聳える立派な木が二本ある他は、背の低い草が繁っているだけだった。頂上に登って四方を眺めても、同じ光景が広がっていて見晴らしが良い。


「妙な場所だな」


 英雄が周囲を見渡している間に、ルガルカは樹齢豊かな太い木の一本に登る。


「英雄サマがいるから、広い場所の方がいいと思ってさ」

「こんな見晴らしのいい場所に人気があれば、熊も寄ってこないんじゃないか? ……何してるんだ」


 英雄が訝しげに見上げた。一人乗った程度では揺れもしない太い枝の上に立ったルガルカは、ナイフで手首に線を入れる。


「呼ぶから待ってな」


 流れ落ちかけた血は、風に掬われるように端から散って拡散する。風に血臭を運ばせるだけの、簡単な魔法だ。わかりやすい獣寄せに、英雄の口端が引きつった。


「鹿や猪じゃ駄目なのか」

「探すの時間かかるだろ」


 肉食獣も処理さえ誤らなければ美味しい肉なのだ。よく食べる人間がいるので、沢山肉の取れる獣が望ましい。とはいえ例外もある。


「馬鹿みたいにでかい、森の主みたいな人食い熊がいるんだけどさ。そいつが来たら見逃して」

「そんな器用なことできるか。人食いなら狩った方がいいだろう」

「人里に下りるわけじゃないよ。食われるのは縄張りに入ったそいつが悪い。立ち入り制限に役立つ奴だから共存してるんだ」

「魔女殿は人間が嫌いなのか」

「そうでもないけど、誰だって自分家の庭に勝手に出入りされたくないだろ」

「庭の範囲が広す」


 英雄は言葉半ばで丘の下の森林部へ鋭く視線を走らせ、抜剣した。しきりに臭いを嗅ぐ獣の気配がある。妙に息が荒いその鼻先が、茂みの低い位置から覗いた。そこから体高の低い生き物と判断できるが、左右に気配があり、数が多い。一頭が躍り出たのを皮切りに、我も我もと丘を駆け上がってくる四つ足の獣達。ミツリンガロウの群れだ。後ろ足で立ち上がれば、英雄の背も越えるだろう犬科の最大種。犬歯が異様に発達し、涎の滴る口からはみ出ている。英雄は待たなかった。突出していた一頭に自ら突進するように駆け下り、その牙が剥かれる前に頭を叩き割る。歴戦の傭兵だ。高い場所で木を背にした方がやりやすいことは解っているだろうに、ルガルカの位置を気にしたらしかった。ルガルカは十分寄せたと踏んで、流れるに任せていた血を舐めとる。


「魔女殿!」


 背後からの牙にも遅れを取らず、振り向き様に一頭を叩き飛ばし、その隙にまた背後から襲いかかる一頭を屠る。巨躯に似合わず機敏なのだなとルガルカが感心していると、英雄から声がかかった。


「魔、女殿の血、にはっ、……獣を狂、わ、せる作用でも! …っある、のか!」


 複数を捌きながら、合間に疑問を呈している。野生動物の殆どは本来、子育て中に近付いたりしない限り、好んで人を襲ったりはしない。腹を空かせているにしても異様だった。仲間が次々と倒され、獲物が強者だと判っても退く気配がなく、目のぎらつきが少しも衰えない。野生にあるまじき執着だ。


「ないよ。……そういえばヌフォークの花が咲く時期だね」


 ヌフォークとは魔草の一種で、嗅ぐとその時の気分を増幅する作用がある。人間の間でこれは、気狂い草とも呼ばれている。獲物が豊富な森とはいえ、狼の狩りの成功率は然程でもないから、丁度よく空腹期に行き当たったとて不思議ではない。であるならば、とルガルカは英雄を呼ぶ。


「戻っといで。援護するから」


 ルガルカの立つ木の周辺に獣除けの魔法を施した。英雄が間隙を縫って木の下に戻ると、ミツリンガロウも追っては来るが、獣除けに阻まれて踏鞴を踏む。それ以上近づきたくはないが、獲物も諦めきれない相反する心情を表すように、ぐるぐると喉奥で唸ったり、行ったり来たりし出した。英雄がそれを屠るのは容易かった。最後の一頭を斬り伏せて一息つこうとした矢先、より大きな獣の気配がした。


「魔女殿。あれは件の主か」


 のっそりと姿を現した黒い影は、熊だった。ルガルカはそれ以上獣が入り込まないように、丘を獣除けで囲うようにして閉じた。内側に向けても効果を発生させたので、熊も閉じ込められた形になる。


「いいや。狩っていいよ」


 その熊は四つ足で歩いていても英雄の肩程の高さがあって頭も大きいが、主との比較では小さい方だ。目が燃えるように赤いヒノメグマだった。だがミツリンガロウとは違い、辺りの空気を嗅ぎ此方の様子を窺う、理性を感じさせる動きだった。地に転がる労無く食べられるものに近寄りたいが、人間の気配が気になる、といった風情だ。


「怒らせようか?」

「いや、いい」


 英雄はヒノメグマに向かってゆっくりと丘を下り出した。ヒノメグマは警戒し、丘の外周に沿って迂回するように歩く。英雄はそれを追うように距離を詰め、ヒノメグマが退がりながら威嚇の唸り声をあげた。だが退がった先には獣除けがある。一向に退路を探し当てられず、獣除けからの重圧と英雄が迫る状況に業を煮やしたのか、ヒノメグマは唸りを上げて攻勢に出た。人の頭を一撃で叩き飛ばせるヒノメグマの前足を、英雄はその振り下ろす力を利用して斬り飛ばした。骨や筋肉が軋む音でも聞こえてきそうな光景に、ルガルカは瞼を持ち上げた。次の瞬間には、英雄の剣がヒノメグマの喉を突いていた。



 丘には英雄の屠った獣がごろごろと転がることになった。

 ルガルカが防腐魔法を施してまわり、二人で手分けして血抜きをする。ミツリンガロウは太い木の枝の根本近くに吊るし、吊るしきれなかった分とヒノメグマは、頭を下にして丘の傾斜に沿って並べた。それらの作業を終えると、英雄は再度抜剣して周辺警戒に入る。


「何してんの」

「これだけ血の臭いをさせてたら、また寄ってくるだろ」

「大丈夫だよ、丘には入れないようにしてある」

「………本当か?」


 英雄は驚いたようにルガルカを見て、また丘の下をぐるりと見回す。


「アカテガも入ってこないから見張ってるといいよ」


 アカテガとは、屍肉を食う鳥だ。どこからともなく嗅ぎつけて舞い降り、木の上で鈴なりになって、牙のある捕食者が去るのを今か今かと待つのだ。

 言葉を重ねたところで目に見える変化はないのだから、直ぐに納得させることはできない。ルガルカは英雄の様子を放置して、血の流れ落ちてこない斜面の一方に腰を下ろし、背嚢に背を預けて煙管を咥えた。立て続けに魔法を使って、少々疲れているのだ。


「援護といい、魔女殿の魔法は本当に見えないんだな」


 剣を鞘に納める微かな音がした。ルガルカの緊張感のない様子で判断したようだ。


「いつもこんな危ない狩り方をしているのか」


 英雄の声がすぐ隣から聞こえた。ルガルカは背嚢から取り出した水筒を、放り上げるようにして渡す。


「いつもは罠猟」


 水筒に口を付けようとしていた英雄の手が中途半端に止まり、今回の狩りの必要性を問う沈黙が流れた。


「誰かさんがよく食うから、緊急だったんだよ」

「……それはすまなかった」


 それにしてもミツリンガロウの群れを誘い込んだ時点で閉じても良かったものを、熊が出るまで待っていたのは、熊肉が食べたかっただけである。ルガルカは謝る英雄を、都会の悪いお姉さんに騙される田舎育ちの純朴な少年を見るような気持ちで眺めた。


「なんだ」

「いや。あんたの狩った肉だからね。遠慮なくお食べ」

「………………………………子供扱いをするな」


 英雄の頬が引きつっていた。ルガルカの口調が、殊の外優しくなってしまっていたようだ。






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