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5. 帰りたまえよ

 

 温もりの説明がつかないまでも仮死状態を疑い、丹念に瞳の奥を探ると、微かに自分のものではない魔法の痕跡を捉えた。

 ルガルカは物置部屋の一画に放置されていた書物を引っくり返す。埃が立たないのは小人のお陰だ。


「あった」


 自分は使えないからと、一度見てそれきりになっていた魔法の本の一冊に、目的の記述を見つけた。

 魂分断の魔法。肉体から魂を引き剥がし、一時的に戻れなくする魔法である。長く分断できれば身体が先に朽ちて魂は戻る場所を失い、彷徨い続けることになる。転生を阻止する刑罰の一種として編み出されただの、高潔な魂をこの世に留め置き永遠の存在として祀るためだの、狂愛の産物だの諸説ある。

 原因がこれであるならば、肉体が健在なのだから待っていれば勝手に蘇生する筈だ。


「やれやれ人騒がせな」


 もっと早く気付いていればあれこれ頭を悩ませる必要もなかったと、気疲れの滲んだ吐息が漏れた。

 肩の荷がごっそり下りたルガルカは、気兼ねなく祠の前を行き来し、菜園の手入れをし、釣りや狩猟採集に出ては商品を作り、思い出したように小銭を稼ぐ。変わらぬ穏やかな日常を過ごし、二十日が経った。麗かな日差しの中、固く絞った洗濯物を籠に詰めて、川から家への道を上る。その細い道を通り抜ける風が、緩やかに頬に落ちかかる髪を背に流し行く。ルガルカは蜂蜜色の瞳を心地よさげに細めて────


「いや長いだろ」


 すっかり馴染んだ風景の一部として忘れかけていた祠を振り返った。小人達が萎れた花を小まめに取り換えているらしく、相変わらず華やかな祠の中で、巨躯も変わらず寝そべっている。よもや犯人の目的は、死ではなく魂の捕縛だったのかとすら思う。何れにしても、これだけ長期に渡り分断を維持するとは、余程力のある魔女かと恐れ入る。それとも防腐が魂の帰還を邪魔しているのか、人除けが魂だけの存在にも影響があるのか。

 長年人の出入りを制限してきた場所だ。一部分だけ一時的に解除しても、突然人間が迷い込んだりはしないだろう。そもそも魂だから上空でいい筈だ。ルガルカの頭が一つ通るくらいの範囲で人除けを解除した。問題は防腐だ。解けば十日かそこらで白骨化してしまう。蘇生の予兆が掴めればそれに合わせて解けば良いのだが、防腐が阻害要因である場合、予兆も遠ざけてはいないだろうか。

 ルガルカは洗濯籠を置いて巨躯の傍に跪き、久方ぶりにその頬に触れた。最後に触れた時より更に温かい。脈を確かめるべく首筋へと指を滑らせた瞬間、ルガルカの喉が締まった。大きな手が、首を鷲掴みにしている。上体を片肘で支え起こした英雄が、ぼんやりした目でルガルカを見上げていた。まだ意識がはっきりしていないからか、握り潰す程の力は込められてはいないが、圧迫されて声が出ない。ルガルカは素肌に触れられる指先を掴んで、皮膚が焼ける程の熱を送り込んだ。


「っ!」


 息を呑むような音と共に振り払われ、ルガルカの身体が投げ出される。洗濯物をぶちまけ、茂みに体を半分突っ込みながら英雄の方を見ると、片膝立ちになり剣の柄に手をかけていた。背後には花が散っている。


「落っ…ち着きな、このすっ、とこどっ…こ、」


 息が整わないまま声を上げたばかりに、ルガルカは咳き込んだ。英雄は今しも剣を抜きかけた体勢で止まった。


「お、前は………誰だ?」


 警戒と当惑の混じる声は、暫く声帯を使っていなかった所為か、掠れている。ルガルカを視界に入れたまま周囲の状況を確認する目は油断ない。


「あんたの身体を保存してた、しがない魔女だよ」


 返事を待つつもりがある様子なので、ルガルカは息が整う時間をたっぷりとって答えた。


「保存?」

「あんた死んでたんだよ。身体が腐らないように処置して、目が覚めんのを待ってた」

「死んでた?」


 英雄は眉を寄せて考え込んだ。何があったか思い出したのか苦い顔をし、はっとしてルガルカの首を見る。手の痕が付いているのを見てとって、更に顔を歪めた。


「すまなかった」

「別にいいよ、一ヶ月近く死んでたわけだしね」


 戦闘職の連中の、生存本能じみたそういった行動に腹を立てても詮無いことだ。


「………一ヶ月?」

「うん。丁度英雄サマが長期休業中で、こっちは助かったよ」


 英雄は言葉の意味を探るような目をしていた。ルガルカがただ見返すと、また思案に入る。ルガルカの言葉が事実かどうかも確認が取れない状況だから、無理もない。また、魂を抜かれていたのだから記憶障害があっても不思議ではないし、そこに到るのに諍いもあったかもしれない。そんな状況で一ヶ月を失えば、考えることも沢山あるだろうことは想像がつく。厄介事の匂いしかないから、ルガルカは不用意に問うことはせずに、散らばってしまった洗濯物を籠に戻し始める。回収し終えても英雄はまだ難しい顔で考え込んでいるので、そのまま置いて去ることにした。生き返ったのだから、好きに帰ってくれたらいい。


「魔女殿」


 ルガルカが立ち上がると、英雄も立ち上がった。少しふらついたのは、矢張りどこかしら弱っているのかもしれない。


「すまない魔女殿、迷惑をかけた。助けてくれたことに感謝する」


 一先ずはルガルカの言葉を受け入れることにしたようだ。


「うん。あ。処置解いておこうね」


 二進も三進もいかず放置していた結果だが、敢えて訂正する必要もないだろう。此処で別れればもう会うこともない人間だ。ルガルカが洗濯籠を左脇に抱えて右手を英雄に伸ばすと、触れる前に手首を握って止められた。


「処置とは?」

「防腐魔法。なんか変なところない? 頭とか目とか腹ん中とか」


 英雄は自分の身体の調子に意識を向けるように黙った。


「………膜が張っているような、鈍いような感覚はある」

「ふうん…私は困らないからあんたが嫌ならそのままでもいいけど、生きた人間にかけたことないから、この先どんな症状が出るか判んないんだよね」


 英雄はルガルカを全面的に信用しているわけではないのだ。ルガルカとて初対面の魔女に軽々しく身を委ねたいとは思わないから、無理強いはしない。ただ、英雄の身から自分が関わった痕跡を消したいとは思うので、不安を煽る言い方を選ぶ。嘘は言っていない。要因は複数あるのだから、そんな微妙な症状は何が原因か判断し難い、ということを口にしなかっただけだ。

 英雄はまた黙った。暫しの黙考の後、周囲をぐるりと見回す。


「此処は何処だ」

「森の中」

「それは判る」


 英雄がなんとも言い難い顔でルガルカを見下ろした。


「あんた厄介事抱えてるだろ」


 英雄がルガルカを信用していないように、ルガルカも英雄の為人を知らないのだ。言いたいことが解ったのだろう、英雄は苦い顔をした。


「巻き込まないと約束する。不調が出た場合に魔法を解いてもらいに来たいんだ。駄目か」

「駄目」


 考える余地もない即答に、英雄の眉間に困ったような皺が寄った。


「……では暫く此処に置いてくれないか」

「やだよ帰んなよ」


 ルガルカは平穏を望んでいる。






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