4. 隙あらば
ルガルカは日帰りできる範囲で一番大きな街へと飛んだ。
屋根の上や荷台の上に留まり、行き交う人々の会話に耳を傾けるにつけ、英雄行方不明の報はまだ届いていないようである。王族や評判の歌姫、英雄の姿絵を売る店先でも話題になっているようではない。店主は新作を売り込み輿入れしてきた隣国の姫の話をし、若い娘達は麗しの王子の姿絵を手に取り盛り上がり、鼻の下を伸ばした若者が歌姫の姿絵を買い求めている。子供が母親の手を引き英雄の姿絵を強請り、老人が拝んでいたりもして、これといって変わった風景ではない。客の邪魔をしないよう、隅の方で商品を納品している金髪の青年には見覚えがあった。ルガルカは物陰に下りて変化を解き、青年に歩み寄り声をかける。
「セス」
「えっ、久しぶり! 俺と夫婦になる気になった?」
青年はルガルカの顔を見るなり驚いたかと思えば、直ぐに目を輝かせた。
「ないない」
ルガルカはおざなりにいなす。この男はルガルカを見ると、条件反射のように求婚するのだ。煩わしいが、王都にも出入りしていて世情に明るいので、情報が欲しい時は声をかけるようにしている。
「その涼しげな目でつれなくされると痺れる。好き」
「新しい姿絵?」
「こっちが当代一の色男、王都中の女性を虜にした舞台俳優。こっちが英雄の竜退治。どう、いい出来でしょ」
めげないセスの告白を無視して商品に興味を示すと、商人の性なのか、セスは直ぐに右手に線の細い眉目秀麗な男の洒脱な姿絵、左手に荒ぶる竜に剣を突き立てる猛々しい英雄の姿絵を持って見せた。
「そうだね、竜退治のはいい出来だね」
「姐さんは英雄みたいなごついのがいいわけ?」
薦めたくせにセスは拗ねる。セスは英雄に一発で伸されそうな優男だ。
「まあ悪かないかな。でも天下の英雄サマだ、もう嫁の一人や二人くらいいるだろ」
ルガルカはセスの機嫌はさほど気にしない。欲しい情報がそこにあるのだ。
「いやそれがさー、独り身らしいよ」
「そんなわけないだろ」
「いやまじでまじで。英雄の結婚なんて隠せるもんじゃないし」
「恋人の三人や四人」
「姐さん、英雄なんだと思ってんの」
「英雄色を好むって言うだろ」
実際、ルガルカにも武勇を誇る男はその傾向が強いように見えていた。生命の危機を感じる機会が多く、種族保存の本能が刺激されるのだとか、好戦的な男は精力が強いのだとか言われているが、事実かは知らない。
「そっちの方はお盛んだろうけど、特定の女がいたらそれだって噂になってるよ。偉い人からの縁談も断ってるっていうし、まだ遊びたい盛りなんじゃないの? 羨ましい。あっ、でも俺は姐さんだけだからね」
「ふうん。名を揚げたって、それじゃあ親は気を揉んでるだろうね」
「揉む親もいないから断れるんじゃないの」
「天涯孤独ってやつ?」
「戦災孤児らしいよ。だから余計に民衆が熱狂するのさ」
身内にこっそり引き渡す線が消えた。セスと別れたその後も、暫く街を巡って情報収集を行った結果、英雄が長期休業の最中であるとの話も仕入れた。
森に戻ると、祠の中に花が咲き乱れていた。背に羽を持つ小人達が、せっせと巨躯の周りに色とりどりの花を運んでいる。
「……なんかの祝福してんの?」
ルガルカが声を掛けると、小人達はわきゃわきゃと楽しそうに散って、祠の後ろに隠れた。
「おきないからー」
「しんでるからー」
「したいだからー」
「したいかざったー」
「かざったのー」
弾む声と気配が消えた。棺の中に花を詰める風習を、どこかで見たか聞いたかしたのだろう。死体だから間違いではないが、埋めていないので本格的に祀っているようになってしまった。英雄の死体を飾る魔女の庭である。
「何してくれてんの…」
ルガルカはげんなりするが、害のない悪戯だ。諦めたように首を振って、華やかになった英雄の傍で膝をつく。土産というわけでもないが、街で購入した毛布を巨躯に掛けた。そう気温の下がる時期ではないが、人間が寝転がっている様を見るにつけ、何かしら掛けたほうがいい気がしてきたのだ。当人は寒暖も判るまい。
「騒ぎになるまで猶予があるのは良いけどさ、嫁ぐらい貰っときなよ、面倒だったのかい?」
名声に加え、厳しいながらも整った容姿だ。街で見かけた若い娘達は線の細い美形に熱を上げているようだったが、女性からの好感度は悪くないのではないかと思う。
顔周りが窮屈そうに見えて、密集している花を抜き取る。ふと触れた頬が温かくて手が止まった。首筋に触れ、鼻先に手をやる。相変わらず脈も呼吸もない。顔色も変わっておらず、腹部も膨れた様子はないから、中が腐ってガスが溜まっているということでもないだろう。
「ちょっとごめんよ」
ルガルカは指先で順番に左右の瞼を押し上げた。灰色の双眸はどちらも虚に見えるが、光が入った瞬間、瞳孔が収縮した気がした。