妖しの森への道(後)
「なあ、これは遭難してるって言えんのか?」
ちらちらと揺れる炎をその瞳に映して、カミーユがぽつりと呟いた。
「言えます……か、ね?」
魚から上がる煙を避けるように体を傾ぎながら、ゼブロンは頷き損ねる。
「ただの野営です」
ユスフは手際良く魚をひっくり返し、あっさり答えた。
複数人でも遭難はできるものだとして帰らなかった三人は、持参の食料が尽き、川魚を焼く焚き火を囲んでいる。マドックは食う物があっては遭難とは言えないと食事を拒否するのだが、ゼブロンとユスフがあの手この手で無理矢理口に入れようとする為、その攻防が馬鹿馬鹿しくなって、昨今では自主的に焚き火を囲むようになった。三人を撒くことはもう諦めている。こうして食事を用意している隙に行方を晦ませようとしても、目印を残しながらユスフが追ってきて、出来上がった物を持って二人が合流するのだ。ゼブロンもカミーユもユスフには気を許していなかった筈なのだが、いつの間にか結束していた。
マドックは思った。
────俺は一体、何をやっているんだ。
頑ななルガルカの心を開く必須条件と思われるものを満たし、ルガルカ本人が提示した条件も満たした。名声を捨てろというのはつまり、いつかの退去理由と同じで、それに付随する面倒事を忌避してのことだろうから、満たしたと言っていい筈だ。だというのに。予定では今頃ルガルカに会って口説いていた筈なのに、何故野郎どもとのんびり野営なんぞしているのか。
マドックはむしゃくしゃしながら焼き上がった魚にかぶりついた。
「おい」
「ええ」
「囲まれてますね」
それぞれ魚を食んでいた三人が目配せをする。野趣溢れる食事を綺麗な所作で終えたユスフが腰を上げようとするのを、マドックが目で制した。なんです、とユスフも目で問う。
「これだ」
次いで腰を上げようとしていたカミーユとゼブロンも、光明を得たかのようなマドックの声に疑問符を浮かべる。
「俺はやられるぞ」
食べ終えた枝を地面に突き立てて、雄々しくその言葉は放たれた。
「はぁ?」
カミーユが疑問たっぷりの声を発し、ゼブロンが言葉の意味を察して顔を引きつらせ、同じく察したユスフが残念なものを見る目になった瞬間、木陰から複数の人間が躍り出た。カミーユは反射的に、ゼブロンは思わずといった風情で、ユスフはマドックの意を完全に無視して応戦した。付き合わせるつもりはないから自己防衛を咎めるようなことはせず、マドックは三人を掻い潜って刃が迫るのを座して待った。
数秒後。死屍累々の中、悄然と佇むマドックの手には、抜き身の剣がある。
「何故いけると思ったんです」
ユスフの淡白ながらも呆れの混じる声に、マドックは片手で目元を覆った。
一行は獣が寄ってくる前にと現場を離れ、マドックはむしゃくしゃしすぎてどうかしていたことを認めた。マドック一人負傷したところで、他の三人が対処するから、大したことにはならないのだ。
「お前らがいたら遭難できない」
「貴方一人でも無理だと思います」
つい身体が反応して応戦してしまったことを言外に指摘されて、マドックは言葉に詰まった。先の野盗程度では、おそらくマドック一人でも退けられるとユスフは言っているのだ。
「こんなとこで何やってんのぉ? ルゥちゃんに野盗の討伐でも頼まれたー?」
いつから見ていたのか、ガリンダの声が降ってきた。この魔女の唐突な出現には、もう誰も驚かない。
「もう極彩色の魔女に頼んだらいいじゃないですか」
ユスフが当然のような口ぶりで言うのだが、マドックだけでなく、ガリンダに良い扱いを受けたことのないカミーユやゼブロンも渋い顔をした。ガリンダはそれだけのやり取りで察したのか、判りやすい驚愕の表情で口元を両手で押さえる。
「えっ、ヤダぁ! まさかまさかだけどぉ、まだルゥちゃんと会えてないのぉ~? 何やってんのぉ? どんだけ経ったと思ってんのぉ? 普通に何やってんのぉ? だから言ったじゃん、あたしが飛ばしたげるってさぁ!」
「煩い。お前の手は借りない」
ルガルカの許可も無く森に侵入して、良い印象になるわけがない。何よりマドックは、自分の手でやり遂げたいのだ。
「もぉ~。ほんと男ってめんどくさぁい」
呆れきったガリンダの声を無視して、マドックは更に彷徨うべく茂みの中に分け入って行った。
それから度々現れるようになったガリンダに、ユスフが洗いざらい話した。ガリンダの呆れは深くなったが、それでも初めのうちは楽しげに一行の動向を眺めていた。マドックが自分で状況を打開するのを待っていたのだ。だが一向に変化がない日々に、それも直飽きた。
「同じ彷徨くならさぁ、ルゥちゃんの目に留まりそうなとこ、教えたげよっかぁ?」
先が見えなくなっていたマドックは、眉間に抵抗を残しながらも助言をもらい、その地に向かった。ガリンダは説明しなかったが、そこはルガルカが森の主と呼んでいる熊の縄張りだった。
マドック一行が森の主と遭遇するまで、後少し。




