3. 祠が出来ました
ルガルカは英雄に、防腐魔法と虫除けの魔法を施した。
届けるにしても事情を説明するにしても、現状保存が必要だ。内臓や眼球、脳など、柔らかく腐りやすい部分は特に丁寧に仕上げて、改めて巨躯と周囲を検分する。
英雄は数多の死地を掻い潜ってきただろうことが窺える、厳しい顔つきをしているが、確か三十になるかならないかと、若かった筈だ。とはいえ、若くても心臓発作はあり得るし、持病があったかもしれない。俗世から遠のきがちの魔女でも知っているくらい有名なのだ、命を狙われもするだろうから、毒や呪いかもしれない。物理で抹殺するのは骨が折れるだろうから、この推測は悪くないと思った。
ではどこから来たのか。道は乱れていない。巨躯の向こう側も、昨日ルガルカが通った時と変わらない景色だ。横道ができているといったこともない。上を見た。背の高い木の枝が、折れているのが見えた。皮一枚でぶら下がっているものや、他の枝に引っかかっているものが見える。
「空か」
空は想定していなかった。人除けも獣除けも、障壁等で弾いて侵入を防ぐといったものではない。原初の恐怖がそこにあると錯覚させる、言わば幻惑の魔法だから、本人の意図がなければ降ってきても不思議ではない。
見た目では判らないが、どこかの骨にひびくらいは入っていそうだ。それとも筋肉に守られて無事だっただろうか。落ちたのか捨てられたのか。どちらにしても不運な英雄の顔を眺めて、ルガルカは途方に暮れた。この現場を見せたところで、ルガルカの嫌疑は全く晴れない。確実に魔女が関わっているからだ。
現在の所、飛行手段を持つ人間に類するものは、魔女だけである。変化して飛ぶか飛竜を操るかのどちらかだが、飛竜は人間が手懐けられたとしても、飛ぶ際に風圧、高高度を飛ぶなら気圧や空気の薄さから人体を守るのに、魔法が必要になるのだ。
できることならどこか遠くに捨ててしまいたい。然りとてこの巨躯を運ぶのは、大きな魔法を使えないルガルカには骨が折れる。
ルガルカは釣竿と木桶を持って立ち上がった。
「よし釣ろう」
ルガルカは日常に戻った。現実逃避とも言う。
然し水を汲むにも洗濯をするのにもそこを通るので、逐一現実が目に付く。腐らないとはいえ野晒しが不憫になり、巨躯の下に茣蓙を敷いた。次の日には木の柱と梁、ルガルカが丸ごと隠れる程大きく、固く丈夫な葉を数枚重ね屋根を作り、またその次の日には三方向に木の壁を作った。道の途中に祠が出来上がる。信仰心もないのに、英雄を祀っているかのような現場になってしまった。供物は捧げていないが。
ルガルカは祠の前に木製の椅子を設置し、そこで煙管を吹かしながら英雄の顔を眺めて、思索に耽るのが日課になっていた。自分で人里に下りてもらうのが一番良いのだが、死体を操ることはルガルカにはできない。できたとしても相当な騒ぎになり、余計に魔女の嫌疑が濃くなりそうだ。吐き出す煙が溜息混じりに長くなる。
「ねぇ英雄サマ。あんたなんで死んじゃったのさ」
遂には語りかけるようにもなっていた。毎日見ていると親しみも湧く。
「こんなとこで死んでていい人間じゃないだろう。多くの人間があんたの帰りを待ってるだろうに」
ルガルカもその一人だ。おそらくこの世の誰よりも強く英雄の帰還を願っている。早くこの祠を引き払いたい。
雁首を叩いて煙を吐かなくなった葉を掌に落とし、まだ熱を持ったそれを指で解してかき消した。
「しょうがない、ちょっと行ってくるよ」
煙管を仕舞いながら立ち上がると、ルガルカは音もなく黒鳥へと変化した。羽ばたきの起こした風が、物言わぬ英雄の赤毛を揺らした。