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28. 誤算に次ぐ誤算


 ペニナの精神的身体的苦痛はなかったことにはならないが、オーランは家族を食べさせていかねばならない。事情を知った上で店の契約の履行を希望したので、話し合いの場にルガルカが同席し、元の契約にペニナの生涯に渡っての補償を加え、今後英雄絡みで何かがあれば、誰の仕業であろうともゲイン・カイオンの最も大事なものをもらう契約をした。新たな契約はルガルカとの契約である。


大事なもの(それ)が何かは言わなくてもいいよ。私には解っているからね」


 ルガルカの感情の乗らない微笑みに、ゲインは青い顔で冷や汗を大量に流していた。ルガルカはそれを愛おしげな甘ったるい眼差しで眺め、ゲインに更なる怯えを刻む。ゲインは持てる力の全てを使ってオーラン一家を守ることだろう。

 それらの仕事を終えて、ルガルカは森に帰った。暫くして転送箱からマドックの手紙が届く。転送箱を使用できたということは、オーランに直接詫びに行ったのだ。ガリンダがいたから、何があったのか直ぐに伝わったのだろう。ガリンダが怒りに任せて何をするかは、ルガルカは関知しない。イアチフ王に手を出さなかったのは、ガリンダに残しておいただけだ。

 キャナロで一服しながら文面に目を通す。今回の件の詫びと、ケリをつける旨が書かれていた。


「ケリ……」


 詳しく書かれていないから内容は判らないが、態々詫びを寄越したのだから、今後ルガルカに被害が及ばないように手を打つのだろうと解した。王が無事なら直談判でもするのか、はたまた別の女と所帯を持って見せるのか。

 ルガルカのマドックへの言葉は、実質決別宣言だった。あれだけの名声だ、本人が願ったところで捨てることなどほぼ不可能だろうから、マドックがマドックである限り、ルガルカのことは諦めてもらう他ない。そういう意味だ。にも拘らず、自分のものにならない女に対して骨を折るつるもりのようだ。


「いい男なんだけどねぇ」


 ルガルカは苦く感じるキャナロの煙を、細く吐き出した。そういったことを示されると少し惜しいことをした気にもなるのだが、一時の感傷に過ぎないと、マドックの使っていた部屋に向かう。戦も終えたようであったから、服を始末してもいいだろうと思ったのだ。ところがどこを探しても見当たらない。


「ばぁば?」


 掃除ついでに処分したのかと呼んではみたものの、気紛れな小人がルガルカの声に応えることはなかった。今まで物を勝手に捨てることはなかったから、他の小人の悪戯だろうと当たりを付けて、肉を狩り植物を採集し迷い人を招いては小銭を稼ぐ、何事もない穏やかな日々に戻った。時折オーラン一家の様子を見にいく他は、人里に出ることもなくなっていた。求めなくても耳に入るだろう噂から、暫く距離を置きたかったのだ。

 短い冬も無事に越して、やがてヌフォークの花が咲く季節が巡ってきた。ルガルカはヌフォークの野の中心に立ち、遠見の魔法を展開する。山頂の砦は相変わらずで、土砂崩れなどの大きな地形変化も見当たらない。野盗の配置が少し変わっていて、数が極端に減っているのは奇妙だった。大規模な捕り物でもあったのか、流行り病でもあったのか。訝りながら周囲を探っていくと、あらぬ光景が目に飛び込んできた。山のように大きな熊の命が、今にも刈り取られようとしている。ルガルカが森の主と呼んでいる熊だった。

 ルガルカは直様現場へ飛んだ。

 が。間に合わなかった。そこで目にしたのは巨大な毛皮が地に這い、人間達が剣を納めるところだった。ルガルカは落胆したが、それだけだった。人除けに都合の良い共生者であって、特別な感情の結びつきがあったわけではない。人に倒されたということは、人そのものが強者であると同時に、主も力が衰えてきていたのだろう。であるならばこれも理のうち。ただ、余計なことをしてくれたなとは思った。森を荒らしに来た者ではあるまいなと、人間達の顔貌を記憶すべく改めて目を向けて、ルガルカはその目を瞠った。


「マドック」


 意識しない呟きが口から漏れていた。それはごく小さなものであったが、マドックが弾かれたように顔を上げた。


「ルガルカ!」


 それに反応して三人の男達の顔も上がる。うっすらと見覚えのある顔には、それぞれ安堵、期待、警戒の色がある。


「今、俺の名を呼んだな!」


 木々に紛れるように佇んでいたルガルカは、更に足を引いた。それを目敏く見つけて、ルガルカが最後に見た時より幾分髪の伸びた男が直ぐに目の前まで迫る。マントや、革鎧から覗く服が随分と草臥れていた。


「いやあんた何してくれてんの」


 喜色満面で伸びてくる手を避けて、ルガルカは木の裏に回り込んだ。


「お前に会いに来たに決まってるだろう」

「も~、大変だったんだよぉ? 飛ばしたげるって言ってんのに、自分の足で行くって聞かなくってさぁ。もう飽きちゃったぁ」


 ガリンダが木の枝に腰掛けたまま、退屈そうに足をぶらぶら遊ばせている。今までどこにいたのか、遠見の時点ではその派手な色彩は引っかからなかった。


「ほんとですよ。お陰で何日森を彷徨ったことか。あ、そっち持ってください」


 ユスフが熊の血抜きを試みようと、巨躯相手に四苦八苦しながらぼやいた。


「色々斬っちまってるからもう手遅れじゃねぇ?」

「多少臭くても俺はいけますけど、内臓やっちゃった気がしますね」


 熊を裏返すべく、カミーユとゼブロンが加わる様子は自然だ。男達の旅装もマドック同様草臥れていて、共に森を歩き回っていたのだと察するに易い。狩った獲物は食するものだ。それは良い。ただルガルカは一言言っておきたかった。


「……それ森の主だったんだけど」


 男達に呆れた目を向けている隙にマドックがルガルカを捕まえ、抱き寄せた。


「すまない。代わりに俺が森の主になろう」

「いや何言ってんの何してんの離しなそして嗅ぐな!」


 マドックはルガルカの髪に顔を埋めて匂いを嗅いでいる。ルガルカは背中を殴ったが、革鎧に阻まれて拳が痛んだだけだった。


「もう長いこと触れてなかったんだ。大目に見てくれ」


 万感の思いが詰まった深い吐息がルガルカの耳を擽った。ルガルカはまるで恋人同士の再会のようになっていることに気付く。


「待ちな色々おかしい」

「マドックもうずっと女も買ってねぇんだよ、許してやってくれ」


 血臭の濃い方向から、カミーユの弾んだ声が飛んできた。


「森を出てからずっと、お前のことばかり考えていた」

「まさかそれ口説き文句になると思ってんじゃないだろうね」


 カミーユの一言を挟んだばかりに、危機感を煽られたルガルカの声は氷点下である。マドックの腕の力が緩み、顔が持ち上がった。


「何を怒っている。迎えにきてくれて嬉しいんだ。会いたかった」


 誤解の原因を理解して、ルガルカははっとした。


「森を荒らす奴らかと思って見に来ただけだよ。もしかして野盗もあんたらの仕業じゃないだろうね」


 ルガルカはマドックの嬉しげに緩みきった顔を鷲掴みにして、近づくのを阻止する。


「おいあれは照れ隠しだよな」

「…そう思うと可愛い女……なんですかね…?」

「そこ! 誤解を上塗りすんじゃない!」


 期待の眼差しで覗いているカミーユと首を捻るゼブロンに、ルガルカはガリンダを叱る時のように鋭い声を飛ばした。


「もおおおお、外野煩ぁい!」


 ガリンダが苛立ちを吐き出した瞬間、ルガルカとマドックの姿が消えた。






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