22. どういうことなの
転送箱はそもそも、先代とペニナの他愛のない交流から始まったもので、権利を売買する類のものではない。ルガルカは事情を訊くべくパン屋に飛んだ。
店先には憔悴した様子のオーランが、短毛の中型犬ミルと座り込んでいた。まだ昼前だというのに店が閉まっていて、訝しく思いながらもルガルカは歩み寄る。転送箱に残る匂いと同じものでも感じ取ったのか、ミルが興味を引かれたようにルガルカの周りを嗅いで回る。
「おっちゃん、何がどうしたって?」
「ルゥちゃん。ごめん。箱、取り上げられちまったよ」
ルガルカがミルに手の甲の匂いを嗅がせてやりながら声をかけると、オーランは力なく眉を下げた。
「多少は不便になるけど、なくて困るってわけでもないから」
「そうかい? ……ほんとにごめんな、取り上げられたっていっても、ルゥちゃんが使う分には問題ないんだよ。ただ、ウチのじゃなくなったってだけでさ」
「ばあさんは? 奥?」
ルガルカにとって転送箱はただの道具に過ぎないが、ペニナにとっては古い友人との思い出の品だ。さぞ気落ちしているだろうから、寝込みでもしたのかとオーランの背後へと目を向ける。
「それが、まあ。捕まっちまって」
「………うん?」
オーランが溜息を吐き出し、ルガルカは言葉の意味が脳を素通りして、目を瞬いた。
ルガルカに促されて、オーランはぽつぽつと経緯を話し出す。
ルガルカが帰った後、ゲインはペニナと世間話をし、オーランのパン屋を買い上げると言い出した。この街にはまだ商会が進出していないから、支店にしたいのだと。古くからある店は信用がある、その信用が欲しいのだと尤もらしいことをゲインは言ったのだというが、個人経営の小さなパン屋だ。最近出来た、若くて可愛い看板娘のいる大きなパン屋に押されがちの、家族で細々と営んでいるパン屋だ。支店として魅力的かと言えば、否である。ルガルカは腑に落ちず首を捻った。
「若い客は取られちまって、母ちゃんの代からの昔馴染みもだんだんあの世にいっちまうし、ただパン焼いてるだけじゃ、駄目なんだなぁ」
オーランは家族を養っていければ十分という商売っ気のなさだが、このままではそれもできなくなりそうだったから話を受けたのだ。ルガルカは気紛れに顔を見せるだけなので、胡散臭い話に乗るほど店の経営状況が悪くなっていることまでは知らなかった。魔女といえども、幼い頃からの付き合いなので、オーランから見ればいつまで経っても小娘である。愚痴を零される対象でもなかったから、知る由もなかったのだ。
「俺は支店長ってことになるんだけどよ」
商会から派遣される従業員に学びながら、経営改革をするという。ありがたい話だと思ったが、まさか、転送箱の権利まで持っていかれるとは思わなかったとオーランは言った。
「店舗をでかくするから家は出て行かなきゃなんねぇんだが、箱は母ちゃんの私物みたいなもんだからよ、出てく時に新しい家に持ってこうとしたんだよ。そしたらそれは商会のもんだからおいてけっつうんだよな。店買い取ったんだから、当然店の備品も商会のもんだって。備品じゃねぇ、つっても契約書に書かれちまってたんだなぁ。ちゃんと読んだ筈なんだけどよ、見落としてたんだろうなぁ」
大きな身体は一日二日で簡単に萎むものではないだろうに、肩を落としているオーランは小さく見えた。平民は文字が読めない者も多い。オーランも簡単なものならなんとか読み書きできるが、契約書のような専門用語が多用されるものは、補助が必要だ。単純に見落としたという話ではない可能性も高い。タイミングといい、箱の件といい、目的が自分である可能性がちらついてルガルカは眉を顰めた。
「店のことは母ちゃんも仕方ないって感じだったんだよ。けど箱はなぁ」
目を離した隙にペニナは箱を持ち帰ってしまった。惚けが始まっているから、駄目なことを忘れてしまったのか故意かは判らないが、それが契約違反と窃盗ということになったのだ。箱を戻し、惚けているから見逃してくれるよう商会の人間に頼んだが、聞き入れられなかった。ただ、老齢だから、鞭打ちを省き禁固刑だけにしてくれているという。
「カミさんが様子見に行ってくれてんだけどよ……俺は駄目だなぁ。母ちゃんが牢屋に入ってるとこなんて、見てらんなくてよ」
商会の人間は恩情をかけたつもりなのだろうが、牢屋は地下にあり、暗くじめじめとしていて不衛生で、食事も粗末だ。二度と戻って来たいと思わないように快適さとは無縁に作られていて、とても老体が健やかに過ごせるような場所ではない。刑期は一ヶ月ということだが、もし健康なまま出られたとしても、惚けは確実に進行するだろう。
「ミル。お前も母ちゃんいなくて寂しいなぁ」
構ってアピールをしていたミルは、話が進むにつれ、ルガルカの持つ空気が徐々に不穏になっていくのを感じ取って、オーランの元に避難していた。オーランはミルを抱き締めて項垂れる。俺がちゃんと契約書読んでればと、悔やんでも悔やみきれない様子で、鼻を啜る音が聞こえた。
「……………待ってな」
ルガルカは低く一言言い置くと、パン屋の裏手に回り飛び立った。