20. 自重なき求愛行動
西の砦に着くと、マドック達は直ぐ様傭兵部隊に組み込まれた。本人が国境に着くより早く、王城には英雄参戦の報が届いている筈だが、道中マドックの元に刺客らしき刺客はやってこなかった。砦の責任者が部隊長の就任要請をする程信頼を見せているのが答えなのか、若しくは暗殺の件は王城で留められているのか。判断はつかないが、一先ずこの件は保留とする。
部隊長の件は断った。先任は何度か戦場を共にした見知った顔で、派手な戦歴はないが堅実な指揮で多くの傭兵仲間を生還に導いてきた、信頼のおける男だ。これまでの日々で、既に信頼関係は出来上がっているだろう。そうでなくとも、欠員によらない指揮官の交代は何かしらの軋轢を生む。名声があったとて、後から来た者が就任する類のものではない。
すると部隊長本人が、直ぐにマドックの元にやってきた。
「マドック、ちょうどいい所に来た。ちょっとやべぇことになってんだ」
「久しぶりだなダンカン。どうした」
マドックもダンカンが部隊長の時は、安心して目の前のことに集中できていた。だからこの男の指揮下に入るのに不満はないのだが、状況が芳しくないようだ。
「お前が向こうについてるって話が出ててな」
寝返りがあって、それがこの防衛戦を長引かせている一因にもなっているという。傭兵とて寝返りは褒められたものではないが、珍しくもなく、納得できる理由というものがいくつか存在する。その一つに英雄があった。所詮は雇われ兵だ。天秤にかけるのは金と命と仲間、個人的な拘りで、そこに雇い主への忠誠心を持ってくる者は稀である。
「実際向こうにいないんだ、直ぐ気付くんじゃないのか」
「それがな、それらしき奴が向こうに居るんだよ。俺もちらっと見たが遠目だったからなぁ、お前に見えないこともなかった」
「………気持ち悪いな」
「俺ぐらい髭が濃くて兜の下も隠れてたからな、近くで見りゃそんなに似てないのかもしれん」
騎士達は立派な頬当てと面当てが付いた、殆ど顔の判らない兜を使用しているが、傭兵はまちまちで、面相の判る形状の物も多い。マドックも頬当てと面当ての付いているものではあるが、鼻の下半分はあまり隠れていない。全く似ていなくても、その部分を髭で隠せばなりすますことは十分可能だ。
「寝返ったのはお前を直接知らねぇ奴らばかりだから、どっちでも同じだがよ」
まだ傭兵間の繋がりも浅い、若年層で起こっているということだった。
「お前の到着がもうちょっと遅れてたら他のも危なかったぜ。ここはお前が締めた方がいい」
ダンカン本人の口添えもあって、この時ばかりは誰もが納得し、部隊長の交代は安堵混じりに受け入れられた。どことなく浮き足立っていた傭兵達を纏めあげるうちに補充兵が続々と集まり、カミーユとゼブロンも合流する。
「ぬるいなぁ。何を待ってんだ?」
幾日かするうち、カミーユが不平を漏らした。
補充が完了し、数が敵勢を上回ったところで砦から出て戦線を押し返しているのだが、数の有利を活かして一気に畳み掛けることをしていないのだ。じわじわ後退させている、といった表現が正しい。寧ろそうするために数を集めたのかと思えるほどだ。
人を殺すことへの真っ当な抵抗感を飛び越えてしまった人間は、騎士達よりも傭兵達の方が多い。だから未だに戦場での優秀な殺人者は傭兵であり、圧倒したい場合は傭兵達に先陣を切らせる傾向にあった。その気配もなく、今傭兵部隊は方陣を横にいくつも並べた右翼に位置している。見晴らしの良い場所で数の多さを見せつけるには良い陣形だ。
数で劣るテゼンは、分断を狙って中央を突破しようとしている。それを囲むように右翼と左翼が背面に回るが、故意に抜け道を作るように指示されていた。殲滅を狙っていないのだ。これでは戦は長引く。
国同士の戦は政治だ。それ故に局地的な勝機を見送る事だってある。国境線が安定しない要所を無能が任されるとは思えないから、何らかの外交的戦略に従ってのことだろうが、その詳細をマドック達傭兵が現場で知らされることはない。
マドックも従来なら雇用主の方針に従い、その範囲内で目的に貢献し、如何に多くの仲間を生還させるかに気を配るのだが、今回は漫然と仕事をしているわけではなかった。
「ちょっと脅してくるか」
「マドックさん?」
英雄を騙っているという赤髭の男が、すぐ近くを通過するのを捉えてマドックが呟いた。ゼブロンが怪訝な顔をする。
「久々の戦場だからな、勘が狂ったんだ」
マドックはにやりと口角を上げ、その視線の先を見て意図を汲んだカミーユが、面白がって大口を開けて笑う。
「それじゃ俺の勘が狂ってもおかしくねぇな」
ダンカンがいるのだから、多少の珍事で崩れることもないという信頼もあった。少し離れた場にいるダンカンにこの場を頼む旨の手信号を送ると目を見開いていたが、マドックとカミーユは構わず陣から抜け出て敵陣に斬り込んでゆく。
「くっそ、貴方に相応しい女じゃなかったら許しませんから!」
「え! ちょっと、部隊長が何やってるんですか!」
ゼブロンが二拍遅れてやけくそ気味に続くと同時に、指揮官を失うわけにはいかないと、ユスフが慌てて追いかける。マドックがマドックに似た背格好の赤髭に斬りかかると、斬りかかってきたのが本物であることに気付いたのか、咄嗟に弾いた赤髭は瞬間的に怯んだ。
「いい剣だな」
マドックは獰猛に嗤う。赤髭の剣はマドックのものと瓜二つだった。引くわけにもいかない赤髭は、持ち直して低く唸る。
「国王陛下から賜ったものだ」
「そうか。だがくれた相手に使う程、俺は礼儀知らずじゃない」
英雄を示す宝剣が二本あることを目にした周囲に、動揺が走った。カミーユとゼブロン、ユスフがそれらを引き受け、マドックの負担を減らす。そこからは三合だった。
「俺の名を騙ったツケは払わせるぞ!」
マドックは屍となった赤髭の兜を剥ぎ、頭髪を掴み掲げて吠えた。
どちらが本物の英雄か確かめようがなくても、仮令屍こそが本物であったとしても、本物に勝った男が新たな英雄だ。この場ではそれが真理である。英雄が怒っている。それだけで寝返った人間共々、震え上がらせるに十分だった。動揺が伝搬し浮き足立ったテゼン兵を、残りを率いて来たダンカンが合流して蹴散らした。
「おい、やるならもっと早く教えろ」
「問題なかっただろう」
テゼン兵を退かせて早々に、ダンカンは苦虫を噛み潰したような顔で詰ったが、悪い顔で笑うマドックの信頼が見える態度に「俺か、俺の所為か」と唸った。
騎士団長からも叱責されたが、傭兵部隊の勇み足と言い訳できる範囲でもある。何せ優秀な代わりにいかれた連中であるから、少し対処を誤れば制御が利かないこともあるのだ。意に沿わない結果ではないこともあるのか、厳罰はなく、その代わり指示に従えないなら予め意見具申するように求められた。
「こうして後に英雄の求愛行動と言われる戦が始まったのであーる」
闇の深まる野営地に、聞こえるはずのない女の声が場に似つかわしくない軽々しさで響いた。マドックは眉間にぐっと皺を寄せただけで、剣の手入れをする手を止めなかった。代わりにカミーユが声の主を探して首を巡らせ、頭上の高い木の枝に坐して見下ろす極彩色の魔女を見つける。
「おい何で魔女がいるんだ」
「マドックの護衛だよ! 何があっても死なせないから安心してね☆」
「……マドックさん、護衛の依頼なんてしたんですか」
ゼブロンが困惑を隠せない目でマドックを見る。
「そんなわけあるか。勝手についてくるだけだ、構うな」
マドックは感情の失せた目で流した。いつの間にかガリンダの姿が見えなくなってすっかり忘れていたが、ガリンダの方は忘れてくれなかったようだ。
「おいやめろ。変な手助けあったら女がヘソ曲げるかもしれねぇだろ」
カミーユがガリンダを追い払うように片手を振る。
「え~なぁにい~それえ~。ルゥちゃんそんな心狭くないしい~」
「待ってくださいガリンダ、さっきから事情を知ってる口ぶりですね。女の正体まで知ってるんですか」
「何盛り上がってんですか、俺も混ぜてください。えっ、魔女? 何で?」
我関せずを決め込んでいたゼブロンが、はっとしてガリンダを見上げ、ユスフが人懐こく寄ってきてガリンダに驚く。
「正体がなんでも女の手借りたら台なしだろうが! 男見せる現場に女はいらねぇ!」
「何そのルールぅめんどくさあ」
「ガリンダ、そのルゥとかいう女と親しいんですか」
「どういう話ですか。誰か魔女になんか依頼してるんですか」
「知らねぇのか! 女が絡むと女神でもヘソまげんだよ!」
皆手前勝手に話し騒がしい。マドックはうんざりと息を吐き出した。
「ガリンダ、俺を買ってるなら余計なことを言うな。するな。大人しくしてろ」
「わかってるう」
にやにやと楽しげに目を細めるガリンダの思考はマドックには読めないが、ルガルカの情報を出さないところを見ると、少なくとも、ルガルカの不利益になることをする気はないようだった。