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18. 誰が為の周知


「あいつ…」


 ルガルカは呻いた。

 随分素直に出ていくと思ったら、マドックはとんでもない置き土産をしていったのだ。勝手にやっていることだと割り切るには情を持ちすぎていて、ルガルカを動機にされては安否が気にならないわけがない。あの言い様では、ルガルカが信じていれば戦には行かなかったと言っているようなものだ。どこまで解っていて、どこまで意図していたのかは判らないが、忘れることは確実に阻止していった。マドックに買い与えた服も、此処が帰る場所だと主張するように半分置いて行ったのがまた憎らしい。処分すると死を望んでいるようで、処分しないでいるとまるで帰りを期待しているかのようだ。マドックが発った日から、要らぬ苦悩を強いられていた。

 だから頃合いを見計らって街に飛んだ。数ヶ月行方の判らなかった英雄が姿を表せば、噂はそれこそ飛ぶように駆け抜けているだろう。名を国のいいように使われるのを煩わしがっていたのだ、ルガルカのことなど忘れて他国にでも移動して、先の噂を実現していることを期待した。そうしてくれていたら、服を処分しても死を望んだことにはならないのだから。

 数分後。ルガルカは路地裏で壁に手をつき、頽れていた。


 ────おい知ってるか、英雄が女の為に戦してるんだぜ


 という噂で持ち切りだったのだ。

 百歩譲って宣言通りの参戦目的だったとして。何故それがそのまま漏れているのか。


「ねぇ聴いた?」

「聴いた聴いた!」

「『死か私か選べ』でしょ?」

「連戦に継ぐ連戦、もう死んだ方が楽なのではと屈強な男達でさえ次々と気力を失い、倒れてゆくような状況で、英雄が選んだのが『私』なのよね!」

「『貴女は私の光、生命の泉。生きることが貴女を手に入れることなら、喜んでこの死地から生還いたしましょう。たとえこの先にまた、どんな過酷な戦が待ち構えていようとも』」

「きゃーーーーーーーーーーーー!!」


 若い娘達が声音を変えて演じる声と、黄色い声の大合唱が表通りから聞こえてくる。


「何それ何それ素敵! その話どこ行けば聴けるの!」

「昨日の夕方中央の噴水でやってた」

「さらっさらの銀髪を腰まで伸ばした、美青年吟遊詩人よ! 美青年!」

「うっそ、それだけでも行く価値あるわ! 今日もいるかな?」

「まだ暫くはこの街にいるって言ってたわ」

「やった同じの聴けるかな、英雄の命を救う恋! 実話?」

「わっかんないけど、昨日ウチの宿に泊まった傭兵のおじさんも似たようなこと言ってたし、本当なんじゃないかな? 世紀の大恋愛に立ち会ってくるって、今朝早く張り切って出て行ったわよ」


 脚色が危険水域に達している。具体的には野次馬が死にに行き、ルガルカがマドックの首を絞めるべく現地に飛んでしまいそうな領域に。何にしてもこんなに大々的に広まっていては、ルガルカの平穏が脅かされかねない。今すぐこの街から消えてなくなりたい衝動に駆られていたが、ルガルカや森のことまで話に上っていないか、確認する必要があった。

 暫く心を無にして街中を歩き回ったが、それらしき情報はなかった。だから吟遊詩人にも歌われていないのだろうが、念のため、夕闇の迫る中央噴水広場に向かった。

 そこは既に、噂を聞きつけた者達で何層もの人だかりができていた。ルガルカは黒鳥となって広場を見渡せる街灯の上に留まり、吟遊詩人のその美貌に違わぬ流麗な歌を聴いた。丸みを帯びた本体から伸びた木の竿に羊の腸で作った弦を張った、指で押さえ弾いて音を奏でる撥弦(はつげん)楽器の調べにのせて、叙情豊かに物語が紡がれてゆく。

 昼間に娘達が盛り上がっていたそのままの内容で、恋の行方は紡がれない。結末は実際の戦が終わったその後で、というのが、また真実味を生む巧い演出だった。恋が成就するのか悲恋に終わるのか、女性達の、とりわけ若い娘達の心を掴んでいた。


「あれはね。魂をすり減らして戦う男達が、死地で見出す夢の話だね」

「綺麗な解釈するなあ。勝利や希望を女神に喩えた話、ってことか」

「そう考えると昔っからある話の英雄版だな」


 若い娘達が胸ときめかせて語らう一方で、通ぶった青年達は訳知り顔だ。


「身につまされますね。俺も若い頃戦に行きましたが、希望を持ってる人間とそうでない人間の落差は激しかったですよ。そんなとこで、っていう場面で殺られたり、もうちょっとだけなのにってとこで踏ん張れなかったり、駄目だってとこに自分で突っ込んでいっちまう奴もいた」

「ああ。だが今回の……テゼンとの。長引いてるって話だけど、英雄が行ってるんだから大丈夫だろ」

「英雄自身が希望になるからな」

「他所へ行くって話がガセで良かったな」

「まったくだよ」


 戦場経験者の話からしんみりと現実の戦況に思いを馳せる者達もいて、老若男女様々な受け取り方をしている。

 ルガルカは吟遊詩人が引き揚げて人々が思い思いに歩きだしても、暫くその場に残っていた。考えてみれば、相手の女は特定されていないのだ。女神や概念とも解釈されるような物語であったからか、女かどうかも怪しくなっていた。思いがけず広まっていて動揺したが、小匙ほどの事実から発展した、これは夢の話だ。そう過敏になることもないだろう。

 冷静になると空腹を覚え、半日近く食事をせずに歩き回っていたことを思い出す。連れ込み宿のある界隈から離れた場所の、比較的素行の良い客が利用する酒場を選んで潜り込んだ。ルガルカのようにフードを深く被っている客がカウンターにいて、人目を避けたいのであればこちらも絡まれまいと、一つ空けて隣の椅子を引く。


「おや、あんた……」


 座る際にフードの影から美しい横顔が垣間見えて、ルガルカが思わず呟くと、その青年は決まりが悪いような愛想笑いを浮かべた。先程広場を沸かせていた吟遊詩人だった。吟遊詩人を含む旅芸人の中には、実入りの悪い時は春をひさいで糊口を凌ぐ者もいる。あれだけ盛況だったのだ、今宵の青年にその必要はないだろうが、見目の良さも相まって、周囲が放っておかないのは想像がついた。顔が売れたら売れたで落ち着いて食事もできないようだ。


「人気商売ってのは大変だね」


 ルガルカはそういった目で見ていないことを示す一言を添えて、店の女将に食事の注文をした。一時の気の乱れは落ち着いていて、更には人目から隠れるようにして食事をする姿に哀れを感じれば、難癖をつけようとは思わない。


「……お隣、良いですか」


 無関心を決め込んだからか、青年の方から声がかかった。ルガルカが不審の眼差しを向けると、下心はないと示すように、媚びよりも詫びに近い眉の下げ方をした青年の顔がある。


「この店にいる間だけでいいので、話相手になっていただけると助かります」


 女、或いはその手の嗜好のある男除けというわけだ。ルガルカとしても一人よりは良い。隣の椅子を引いて了承を示した。


「ありがとうございます。ここは奢りますよ」


 青年の申し出は、当然の報酬として受け入れた。


「……英雄のやつ。良い題材を選んだもんだね」

「お気に召しませんでした?」


 ルガルカの物言いに含む、諦念に近い呆れを読み取ったらしく、青年は食事をしながらちらりとルガルカを見た。


「いい出来だったよ」

「貴女には響いていないようですが」


 作りもだが、結果的に女の正体を曖昧にしてくれたのだから本心からだったが、言い様が素っ気なくて、青年には真っ直ぐ受け止められなかったようだ。


「あたしらくらいになるとさ、いろんなことが見えてくる分、夢に酔いきることもできなくなるのさ」


 女将がルガルカに羊肉のスープとパンを出しがてら、苦笑いの青年に言った。女将はルガルカより大分年上に見えるから、おそらくは経験の話だ。


「あれは実話ですよ。本当に一人の女性を得る為に戦っているようです」

「へぇ! あたしはまた、噂を練り上げた創作だと思ってたよ!」

「………本人から聞いたのかい?」


 女将が驚き、ルガルカはパンを千切る手を止めて眉を寄せる。


「極彩色の魔女が教えてくれたのです」


 青年は悪戯めかした仕草で片目を瞑った。魔女とは気紛れで、常人には嘘か本当か確かめようのない話をすることもあるものだから、女将は話半分に聞くことにしたようだ。興味を引く為の手法の一つと解し、商売上手だねぇと笑って仕事に戻っていった。ルガルカは頭痛を抑えるように額を押さえる。


「………その魔女。また会う予定とかあんの?」

「ええ。経過や結末を教えてくれる約束をしているんですよ。ですから期待していてください」

「へぇ」


 ルガルカの声が地底を這った。






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