17. 放っておかれない男
マドックは暗殺の依頼主が判らないうちは正体を隠すべきかとも思ったが、新天地を探して他国を見て回っていた最中の出来事であったから、犯人の大凡の見当はついている。再三の縁談や叙爵を断った挙句他所へとなれば、最早葬り去るのみと判断してもおかしくはない。マドックは自分以外に気に掛けるべきものがあるでもなく、ただ傭兵業に勤しんで、政治的な思惑など気にしていなかった。その結果なのだ。王城にとってマドックが生きていたことは寝耳に水だろうが、イアチフ王国の仕事を請け負えば、そちらは一先ずは静かになると踏んだ。せいぜい暗殺が脅しとしてきいたとでも思っていればいい。更なる刺客が送り込まれるなら、その時はその時だ。
昨今では大きな戦はないが、火種は幾つもある為、幾つか小競り合いがある。先の大戦により落ちた国力を各国が持ち直してきた今、そのうちのどれかが、また大きな戦に発展する可能性は秘めていた。マドックは暫く世間から隔絶されていた為、情勢には疎くなっていたが、騎士団へ出向けば直ぐに必要な場所へ斡旋してくれる。彼の有名な英雄であることは直ぐに気付かれて、激励や期待の声とともに送り出された。
マドックは防衛戦が長引いているという西の国境へ向かう。途中の街で乗合馬車から下りると、頭髪も眉もない凶悪面の男が待ち構えていた。
「マドック、探したぞ。どこにしけこんでやがった」
堂々と顔を晒し歩いていれば、馴染みの顔も集まってくる。根無し草とはいえ、生死を共にすれば結束や信頼が生まれるものだ。マドックを慕って仕事を共にしたがる者がいて、そういう連中はどこで嗅ぎつけてくるのか、呼ばなくても姿を現すようになっていた。カミーユというこの男もそういった中の一人で、マドックが英雄と呼ばれる前からの古い仲だ。マドックとしても、気心の知れた連中とは連携がとりやすい。つまり生存率が上がる。
「丁度いい、次の仕事に付き合え」
「西に向かってるってことはテゼンとのやつだな、向こうにつくのか?」
「いや、こっちだ」
「ああ? どういう風の吹き回しだよ」
イアチフ王国と縁を切りたがっていることを知っているカミーユは、怪訝な顔をした。
「欲しいものができた」
「何だよ、土地か、身分か」
「そういうんじゃ……いやそうか、土地でも間違いではないのか」
ルガルカを手に入れることは、妖しの森の定住権を得ることでもある。あの暮らしごと欲しているのだから、土地を欲するのと変わりない気がした。
「今更手柄立てなくても、強請れば嬉々として差し出すだろ」
「王国の所有じゃない」
「おいおい何だよ、まさか魔物か妖精とでも取引してきたんじゃないだろうな」
人間が領土の線引きをしたところで手のつけられない土地は各地にあって、人智の及ばないその場所は、人ならざる者の領域とされている。数多の戦場を渡り歩いてきた屈強な男でも、正体の知れないものは怖いらしく、カミーユの頬が引きつっていた。
「いい女でな」
マドックがにやりと笑うと、カミーユは毒気を抜かれたような顔をして、は、と短く笑った。
「天下の英雄サマは狙うもんもでっけぇな! 土地ごとかよ! いいぜ、大勝してその人外の女を虜にしてやろうぜ!」
カミーユが力強くマドックの背を叩くと、どこから聞いていたのか、別の男が歩み寄ってきた。
「それ大丈夫ですか? なんか変な術に惑わされてません? 狙われてるのはマドックさんの方ってオチありませんか?」
柔和な造りの顔の左頬に大きな古傷のあるゼブロンが、挨拶もなく胡乱げに二人の間に割り込んだ。マドックやカミーユよりも年若いが、初陣でマドックに危ないところを助けられて以来、殆どの仕事に顔を出していて、こちらもそれなりに長い付き合いだ。
「それはない。初めから俺を追い出したがっていたからな」
「脈無しじゃないですか」
「だから勝利を持ち帰って気を引こうってこったろ!」
呆れるゼブロンにカミーユが代わりに答え、マドックは苦笑いをする。勝敗は問わないのだが、マドックも好き好んで負け戦をするつもりはないから、訂正はしなかった。カミーユの士気に水を差す必要もない。
「いやいや、その取引、真意は戦で死んでこいってことでは」
「それはそれで熱いだろうが! こっちゃ死ねと言われて死ぬようなしみったれた想いじゃねぇんだよ! だから行って証明してやんだろ! 死ぬと思ってた男が生きて帰ってくんだぞ、女は意表を突かれてついでにぐらっとくんだよ! そんなに私が欲しかったのねってなぁ!」
「その顔で夢見がちとか悪夢ですか」
「何をお!?」
疑惑を解かないゼブロンと、当人そっちのけで熱く語るカミーユが、騒がしく騎士団の屯所へ向けて歩いてゆく。ゼブロンも参戦を決めたらしかった。現場は同じなのだから、二人を待つ必要はない。マドックは騎士団で支給された支度金で、盾や兜、鎧を補強する防具など戦に必要なものを揃え、また西に向かった。
「折角骨折ってやったのに、なに出てきちゃってんのぉ?」
素泊まりの安宿から出た途端、非難の声がかかる。マドックは当然のように極彩色の魔女にも見つかった。このまま死んだことにしておいた方がマドックには都合がよかったのだから、ガリンダが腑に落ちないのも無理からぬことだ。マドックが嫌な顔を隠さずとも、頓着せずガリンダは後をついてくる。
「のっぴきならない事情ができただけだ」
「えっ、ヤダぁ、追い出されたの? 何しでかしたのこの木偶の坊! 甲斐性なし!」
マドックが煩わしさだけの声を投げると、罵倒の形で追及が返ってきた。
「……ガリンダ。許すとは言ったがお前は好かん。信用ならない」
「知ってる~」
「ついてくるな」
「ついてっちゃう~」
マドックが無言を貫く間も、なぜなぜどうしてを引っ切り無しにぶつけてくる。言葉を覚えたての子供が、親にまとわりついているのと一緒だと思い込もうとしたが、ガリンダと親子というのも無理があった。まったく優しい気持ちになれない。耐えかねてマドックは舌打ちした。
「過去の糞野郎と同じだと思われたままじゃ、癪だろうが」
ガリンダが目を丸くし歩みを止め、一拍の間ができる。
「きゃあ~ん! おっとこ前ばか~! いいねいいね! そういうの待ってたあ! がっちがちになったルゥちゃんの心、ぶち抜いちゃってちゃって、やっちゃってえ~!」
ガリンダの機嫌が爆発的に跳ね上がった。跳ねたり回ったりと、小躍りしている。一言で粗方汲み取ったらしい。長年の傭兵仲間との間にある以心伝心とはまた別の通じ合い方をしているようで、マドックの機嫌は底無し沼を突き抜けた。
「もうあたし全面支援しちゃう~!」
「いらん失せろ」
無駄と知りつつ低く吐き捨てたマドックの声は、当然のように聞き流された。この魔女のやる気を折る方法を、マドックは知らない。