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13. 確実に反省してない


 闇も深まり、ルガルカがそろそろ寝ようかという頃、獣のような叫び声が聞こえた。英雄の部屋からだ。今までは眉を顰めながらも放置していた。その日、ルガルカが鎮静効果のある茶葉を用意し、足を向けたのはちょっとした気まぐれだった。毎日顔を合わせていれば情の一つも生まれる。この家を守っている小人も認めたのだ、少しくらい親切にしてもいいだろうと思ったのだ。


「英雄サマ? 入るよ」


 ノックはするが返事は待たない。戸を開けると、英雄は寝台に腰掛け、片手で髪を握りしめるようにして頭を抱えていた。


「煩かったか、すまない」


 英雄は息を整えて手を緩め、顔を上げないまでも言葉を発した。


「いいよ、悪い夢を見るんだろ」


 ルガルカは部屋に入ると、サイドチェストにポットとカップを置く。


「………お見通しか」

「戦に行きゃ、まともな連中は大抵どっかやられて帰ってくるもんなんだろ。平気な顔して帰ってくんのは、初めからいかれてる奴だって聞く」


 酒を提供すれば幾らかましになるかもしれないが、料理酒くらいしかルガルカの家には置いていない。当初は酒癖も判らない相手に不用意に与えたくはなかったし、そこまで面倒を見る気もなかった。だがあまりに酷いようなら入手してやるべきかと眺めていると、英雄は頭から手を下ろし膝の上でだらりと垂れた。


「まともか。………俺はまともなのか」

「違うのかい」


 戦闘職の人間が酒に溺れるのも、薬物に頼るのも、まともだからだとルガルカは思っている。まともに、傷つき心を患う───心が真っ当な動きをしたからだ。


「どうだろうな……戦には自分で望んで行ったんだ」

「なんか理由があったんだろ」


 何が理由であったとて、ルガルカにはとやかく言う気はない。英雄の理由は英雄のものだからだ。戦とて直接ルガルカが被害にあったものではないから、そこに感情を添えることもない。素っ気ない口調でそれが判ったのか、英雄の口はまた動いた。


「理由…そうだな、俺から何もかもを奪った奴らを、殺しに行こうと思ったんだ」


 英雄は戦災孤児だったと聞いている。恨みや憎しみを動機とするのは正直で、自然なことだ。だからこそ連鎖は止まらず、皆苦しむ。


「そう、思ってたんだがな」


 声音に自嘲の色が混じった。落胆でもしているように肩は落ちたままだ。


「戦が長引くと、補給がままならなくなることは結構あってな。傭兵の俺たちは後回しにされることも多い。そもそも用意できなかったか、敵に補給線を断たれたか。まあ理由はいろいろだ。そんなことが続けば途中の村で略奪するしかないこともある。俺もやったんだ。同じことを。手は下してない。だがおこぼれにはありついたんだから、似たようなもんだ。戦ってのはそういうもんだって理解しちまってな。怒りとか憎しみじゃない。いや、そういう局面もある。いかれちまった奴の歯止めが効かない行為のこともある。だが多くは生き残ろうとした結果だ。そういうことが解っちまったら、もう、何を恨んでも虚しい気持ちにしかならなかった」


 誰かに吐き出したい夜もあるだろう。今日の英雄は、きっとそういう日なのだ。もしかしたらその先も求めているのかもしれなかったが、ルガルカはもう、そういう役はしないと決めている。ただ、様子を見に来たのはルガルカなのだから、聞き役ぐらいにはなる。口を挟まず部屋を横切り、窓を開けた。


「誰を殺したところで、そいつらは俺から家族を奪った奴でもない。戦うことに、意味なんてなかったんだ。だがつい足を向けちまう」


 濃紺の空を見上げると、星が静かに瞬いている。入り込む清涼な空気が、重く淀んだ空間を洗ってくれるようだったが、ルガルカも少し感傷的な気分になった。こうした話を聞くのは初めてではないからだ。


「戦場の方が、生きてる気がするんだろ」

「…よくわかるな」


 床に向かって落としていた声の語尾が聞き取りやすくなって、背を向けていても英雄が言葉半ばで顔を上げたのが判った。


「そういう男に覚えがあってね」

「……昔の男か」

「大好きな戦でおっ死んだけどね」


 ルガルカの声に感情の揺らぎはない。もういない男に未練はなかった。


「馬鹿な男だな」


 慰めか只の感想か、零れた英雄の言葉にルガルカは吐息で笑う。


「でもまあ、そんなもんなんだろ。生き死にの瀬戸際で感じる生と、平穏なぬるま湯でちょっと燃え上がっただけの恋だの、確認し合わなきゃ判らなくなるような不確かな愛だのなんてものじゃ、質からして違うんだろ。刺激も、充足感も、深度も、中毒性も。そりゃ、何もかも、物足りないんだろうさ」


 未練はなくても傷ついた記憶は残る。好いた男を引き留めるだけの、生かすだけのものを、ルガルカは何一つ持っていなかったのだ。強烈な印象で以って獲得した凶暴なまでの生の悦びが、平穏な生を色褪せたものにした結果なのだろう。そうは思っても、彼の人が戦を選んだ時の虚無感は、何年も経った今でも思い返すとルガルカを囚えようとする。あの時愛を囁き合い共に笑い合った時間は、戦場の記憶に蝕まれる心を慰め続けた時間は、共に傷つき尽くした心は、何一つ彼の人の中には残らなかったのだ。

 解ったようなことを口にしながら責める色合いの混じる声音に嫌気がさして、ルガルカは吐息した。英雄は彼の人ではない。


「つまんないこと言った。英雄サマには関係ないことだったね」

「魔女殿」


 ワンピースの隠しから煙管を取り出そうとすると、いつの間に近寄っていたのか、するりと背後から回った太い腕に阻害された。ルガルカはよろめいて、硬い胸板に支えられる。


「あわよくばとかそういうのないから」


 ルガルカは離せとの意思を込めて、英雄の前腕を叩いた。


「いやそういうつもりは……ないわけではないが。慰めたっていいだろう」


 ルガルカの側頭部に、慈しむような英雄の唇が触れた。慰めを必要としていたのは英雄の方ではなかったのかと、ルガルカは些かならず狼狽する。


「ちょっと、やめな。同じ質の男に慰められたって、気分悪いだけだよ」


 この男もきっと、平穏な日常に身の置き所などない。きっと、忌々しく思いながらも愛おしい生を求めて、戦場に舞い戻るような男だ。そんな男に心を許しても、泣きを見るだけなのは解りきっている。

 ルガルカは英雄の腕を掴んで剥がそうとするが、びくともしない。


「俺はその男より強い。そんな簡単には死なない」

「あんた一遍死んだろ」


 事実の前には説得力など皆無だ。だというのに、英雄は怯む事もなくルガルカの髪の間から耳殻を探し当て、口に含んだ。熱い舌が耳の形をなぞる。


「こら! やめなって!」

「だが魔女殿が俺を生かした。魔女殿が俺を望むなら、もう不覚はとらない」


 片手が腹に滑り、もう片方が胸を下から掬うように撫でた。


「変な恩の返し方すんな! 新手の脅し!?」


 胸元にある前腕を両手で掴んで下げようとするも、英雄は一向に緩める気配もなく、ルガルカは慌てた。


「慰めたいんだ魔女殿。俺もあんたが欲しい」


 英雄の手が襟元を探り、もう片方の手は服の裾をたくしあげて太腿に滑る。内腿を閉めて侵入を阻止する間に、くつろげられた襟元から手が侵入し直接素肌に触れた。


「っ、──まっ」


 捩る身体を押さえ込まれながらも、ルガルカは片手を伸ばして英雄のうなじを掴む。首筋を吸われ、がら空きになる胸元が思うがままにされるのに耐えながら口を開いた。


「いっ、くら、英雄サマでも、っ、ここは鍛え、っられないだろ」


 ぴたりと身体をまさぐる手が止まった。物理は無理でも、ルガルカは魔女だ。何某かの魔法を使う可能性に思い当たったのだろう。理性は手放していなかったらしい。逡巡する間があって、熱い息を吐き出した英雄が腕を解いた。


「身体を冷やしてくる」

「頭もだよ!」


 ルガルカは戸の向こうに消える英雄の背に向かって怒鳴った。


「これだから男って生き物は」


 身体に残る熱が不快ではないのも忌々しくて、ルガルカは乱れた服と息を整えながら吐き捨てた。






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