11. 営業妨害お断り
リン、とどこからか小さな鈴の音がした。甘味を対価に仕事をしてくれる小人の合図だ。魔女の敷地とその周辺に散りばめてある光る誘導草に、人が引っかかると教えてくれる。誘導草には人除けを緩和する作用を付加してあるから、誘導草に囚われた人間はそのまま光に従えば魔女の家に辿り着ける。ルガルカの夜は英雄より大分遅いが、そういう日は更に遅くなる。だから時折、英雄の部屋から叫びのような唸り声のような音がしているのも知っていた。原因はなんとなく見当がついているから、聞こえぬ振りで過ごしている。暫くして台所に水を飲みに来るのも、ルガルカの姿を認めて空気が緩む気配があるのも、見て見ぬ振りだ。
大きな水瓶からコップで掬った水を二杯呷って、英雄がルガルカを振り返った。
「まだ寝ないのか」
ルガルカは昼間の服を着替えないまま、時間を潰すように食卓に広げた魔草を選別している。
「うん、今夜は客が来そうな気配があるからね」
「………客?」
リン、リン、リン
鈴が三度鳴る。迷い込んだ人間が近くまで来ていることを告げる音だ。
「来た。英雄サマ、ちょっと小一時間程引っ込んでてくれる?」
ルガルカは布で魔草を包んで片付けると、乾燥した各種魔草の棚の間に埋もれるように置かれている鏡に向かい、小指で唇に紅を引く。
「………何故紅を引く」
「演出」
「演出?」
「視覚効果って大事だろ。紅一つで反応が全然違うんだ。ほら、商売の邪魔だから引っ込んで」
ルガルカは焚くと思考を鈍らせる煙が生じる魔草の入った香炉に火を入れようと蓋を開けて、出ていく気配のない英雄を振り返った。
「聞いてんの? 他に人がいたら客が…っ!?」
思わぬ近さにいた英雄にルガルカが仰反ると、英雄がその顎を掴み、親指で乱暴に唇を拭った。
「なっ、何す」
「今までそうやって金を稼いできたのか」
英雄の声は低く、表情が険しい。
「そうだけど、何、え、何なの、何怒ってんの?」
「もう客を取るな」
「いやあんた何の権限があって」
「取るな」
有無を言わせない迫力にルガルカは怯んだ。だが一瞬だけだ。問答しているうちに客が来てしまう。
「……文句があるなら後で聞くから、今はほんと出てって」
「………わかった」
魔法を封じる為か、英雄は片手でルガルカの両手首を一纏めにして拘束し、奥に向かって歩き出した。
「解ってないね!? ちょっと、いい加減にして」
ルガルカはのめるように引っ張られ、踏ん張ってはみたものの、英雄には大した抵抗になっていない。寝室の並ぶ短い廊下へと差し掛かって、ルガルカは英雄の手の甲に噛み付いた。傷付いた皮膚から入眠の魔法を染み込ませる。間を置かずして英雄の足元がふらつき、肩を壁にぶつけるようにしてうつ伏せに倒れた。手の力は然程緩まなかったので、ルガルカも一緒に倒れ込む。
「無駄に硬い」
ルガルカは拘束から逃れ、英雄の腕に打ち付けた鼻を押さえた。文句を聞くべき相手は健やかな寝息を立てている。狭い廊下に巨躯が寝そべると尚狭い。台所と居間を兼ねている部屋から靴の裏が見える状態だが、灯りは落とすから問題はないだろう。万一見えたとしても、ちょっとした恐怖の演出になる。ルガルカは急いで準備をし直し、ローブを羽織って灯りを消した。
一仕事終えたルガルカは、英雄の頭の側で壁を背に座りこみ、煙管を吹かしながら目覚めを待った。放置して寝てもよかったが、ルガルカの寝室の戸は英雄が塞いでいる。
「おはよう」
重い瞼が緩慢に瞬きをするのを捉えて、ルガルカが声を掛けると、英雄はかっと目を見開き起き上がった。ルカルガの様子を見、自分のいる場所を見回して、英雄は少しばかり呆然としている。
「客、は」
「お陰様で無事営業終了したよ。で? どしたのさ」
英雄は狙われている身であるから、来客に過敏になるのも不思議ではない。ならば心配がない事を理解してもらえば済む事である。それで納得がいかないなら出て行けばいいのだから、ルガルカはのんびりと話を促す。
「金なら俺が持ってる!」
ルガルカの凭れている壁が揺れた。英雄の大きな両手が、ルガルカの顔の両脇に叩くように置かれたのだ。就寝前の気怠さが一遍に吹き飛んだ。ルガルカは至近で睨む英雄の顔を、何度も瞬きして見る。
「………だ、だから?」
「こんな商売やめろ」
ルガルカは不可解さに眉を寄せた。ちょっと怖い思いをするだけで、結果的に人助けになる商売である。価格とて定期的に相場を調べているから、まあまあ適正で、暴利を貪っているわけではない。帰りには人が作った道に誘導までしているのだ。とんでもなく良心的な商売だと、ルガルカは自負している。こんな商売呼ばわりされるのは心外だ。
「………これからは英雄サマが遭難しに来るってこと?」
「は?」
英雄は間の抜けた声を発した。
「………遭難者に体を売ってるのか? どんな状況だそれは」
「は?」
ルガルカも間抜けな声が出る。
「はぁ!?」
言葉の意味を理解すると、ルガルカは驚愕した。
「誤解! 食料売りつけてるだけだよ」
「遭難した奴がそんな金持ってるか?」
「後払いだよ」
「それは……踏み倒されるんじゃないのか」
「そうできないように、払いたくなる仕組みはできてる」
「紅は」
「だから演出だって。色気のじゃないよ、恐怖のだよ。血みたいな真っ赤な唇に感じる色気ってなんなの。毒々しいだけだろ」
「………体を、売って、ない……?」
「そう言ってんだろ」
不愉快さを隠さないルガルカに英雄は脱力し、その肩に額を落とした。
「ちょっと、重い」
ルガルカの苦情には反応がなかった。巨躯を動かせる力はないので、諦めて自主的に動き出すのを待っていると、ルガルカの首筋で鼻から息を吸い込む音がした。英雄がすんすんと匂いを嗅いでいる。ルガルカはぎょっとするも、仰反る空間が背後にない。
「え、何? 急に犬?」
英雄は答えず、首筋から胸元、腹部へと頭を下げて匂いを嗅ぎ回った。
「ちょちょちょ何してんの変態、やめ」
両手で押してもびくともしなかった頭が急に持ち上がり、ルガルカの手が取り残される。
「男の臭いはしないな」
「当たり前だろ!」
ルガルカは呟いた英雄の頭を、ありったけの力を込めて叩いた。




