第62話 ローレシアの決断
「フィメール・・・王国」
「そうだ。だからこの話を受けるかどうかはローレシア自身に決めてもらいたい。もし断るのならそれでもいい。外交ルートを通じて正式に断りを入れる」
「ちなみに、どのような病気の治療を求められているのか、教えていただけますか」
「・・・エール病だ」
「エール病! ・・・フィメール王国にエール病が」
「まだ流行が始まったとは聞いていないが、あの病気は患者が見つかると一気に広がることは我々も経験済みだ」
「はい。早期なら制圧可能ですし、病気を蔓延させるネズミの退治を行えば、その後の流行も防げます」
「ただローレシアにあれだけの事をした国だし、あの国には未だにローレシアの身に危険を及ぼしかねない人物もいる」
「エリオット王子にキュベリー公爵家」
「だから我が王国としては、大切なローレシアをわざわざ危険な国に派遣したいとは思っていない。だから断ってくれても全く構わないのだが、まずはローレシアの意思を尊重したい。どうする?」
(フィメール王国か。この件に関しては俺は何のアドバイスもできない。ローレシアの判断に従うよ)
(そうですね。これはわたくし個人の問題ですから)
(ただ、ローレシアの気持ちは俺に伝わってくるよ。行きたくないんだろ。ローレシアだって人間なんだ。行くと殺されるかも知れない国に戻りたくないよな)
(ごめんなさい。エール病は一刻を争うとわかっていても、あの国には二度と近づきたくないという気持ちが強くて・・・)
(ああ・・・。もし、ローレシアが自分の口で断るのが辛いなら、俺が代わりに断ってやるよ)
(・・・・いいえ、これはわたくしの問題ですので、わたくしの口からお断りすべきと存じます)
(わかった。ただ辛かったらすぐに俺を頼れ。俺たちは二人で一人なんだからな)
(ありがとう、ナツ)
ランドルフ王子との話し合い中、アルフレッド王子はまだ一言も言葉を発していない。ローレシアとともに生きることを選択し、王族の身分を捨て去る覚悟まで見せたアルフレッド王子だが、やはり母国の危機を知ると複雑な気持ちになるのだろう。
アルフレッド王子は目をつぶって自分の表情を殺していた。だがそんな彼を警戒するかのように、アンリエットはただ黙ってローレシアの後ろに立っていた。
少しの間沈黙が続き、やがて決心を決めたローレシアが断りの言葉を発しようとした時、ランドルフ王子はさらに説明を加えた。
「これは冷静な判断を損なう可能性があったので言うのを躊躇ってしまったが、アルフレッド、お前にはやはりきちんと言っておくべきだと思った。だから冷静に聞いてくれ」
そこで初めて目を開いたアルフレッド王子は、ランドルフ王子を見据えて、
「なんだ、その言っておくべきこととは」
「ああ・・・今回フィメール王国から救援依頼のあった患者は、アルフレッドお前の妹のレスフィーアだ」
「レスフィーアが・・・エール病だと」
「病気が進行してかなり重症化しているようだ。このまま放っておけばおそらく助からないだろうが、ローレシアが治療すればまだ助かる可能性はある」
「くっ・・・」
(レスフィーアって、アルフレッドの妹なのか。あの様子だと、アルフレッドはレスフィーアのことを大切に思っているようだな)
(ええ。フィメール国王には王妃とは別に何人かの側室がいて、アルフレッドとレスフィーアは同じ側室から生まれた実の兄妹です)
(じゃあエリオット王子みたいな腹違いの兄弟とは訳が違うってことだな。ローレシアはそのレスフィーアとはどんな関係なんだ)
(一応幼馴染みですが、わたくしはエリオット王子の婚約者だったため、レスフィーアとは積極的に関わることを避けていました。・・・でも、いい子ですよ)
(そうか)
実の妹が患者だと聞かされて苦渋の選択に迫られるアルフレッド王子。王子が頼めばひょっとしたらローレシアは、レスフィーアを助けにフィメール王国に戻ると言うかもしれない。
そんなことは絶対に許せないアンリエットは、アルフレッド王子のことを警戒して睨み付ける。そんな重い緊張感が部屋の中を充満していた。
そしてついにアルフレッド王子が重い口を開いた。
「この話は断ろう」
その一言に、みんなの顔に安堵の色が浮かんだ。
だがアルフレッド王子の沈痛な表情に気付くと、やがてそれは彼を気遣うものへと変わっていった。
ランドルフ王子がアルフレッド王子に尋ねる。
「ローレシアのことを考えればそれが正しい判断だとは思うが、お前は本当にそれでいいのか」
「ああ。僕はローレシアのことを一番に考えている。だからレスフィーアのことはもう・・・」
「お前がそれでいいなら俺は構わん。フィメール王国はまさに自業自得だし、我が国がこの話を断ったところで文句を言える立場ではない。まあ今後の両国関係は多少ギクシャクするかもしれんがな」
「すまんなランドルフ。迷惑をかけることになるが、この話は断ってくれ」
(ローレシア、お前・・・)
(なんでしょうかナツ・・・何か言いたいことがあるのならハッキリとおっしゃってください)
(・・・・いいのかローレシア。アルフレッド王子が断ってしまったぞ)
(わたくしはこの話を断ろうとしてましたし、王子もわたくしのために断ってくれたのです。二人の結論は一致していますし、ナツはわたくしの判断を尊重するのでしたよね)
(ああその通りだ。・・・だが同時に俺には今のキミの感情も分かる。ローレシア、キミは心の中で泣いているじゃないか。あんなにも辛そうにしている王子を助けてあげたい。できればレスフィーアの命を救ってあげたいって)
(そんなこと・・・)
(フィメール王国も今さら虫が良すぎるし、そんなのにローレシアがわざわざ付き合ってリスクを冒す必要もない。こんな話は無視すればいいし、王子の判断も当然だ。だがそんな理屈とは無関係に、キミの気持ちは違う結論を出している)
(わかっています! それでも・・・)
(ローレシア、キミは高位貴族としてはきっと優しすぎるんだよ。合理的な判断ができて貴族的な一面もあるけれど、どこか冷徹になりきれない人間的なところがあるのがローレシアなんだと思う)
(ナツ・・・)
(確かにフィメール王国は危険だ。だが修道院で暗殺された頃のローレシアと今のローレシアは全く違う。なぜなら今のキミにはこの俺がついている)
(ナツが・・・ついている?)
(ああそうだ。俺とローレシアは二人で一人、聖女で勇者な俺たちなら、エリオット王子だろうとキュベリー公爵だろうと、ちんけな暗殺者にだって、むざむざとやられることはないだろう。だって俺たちあの遠足の優勝者だぞ)
(ナツとわたくし・・・聖女で勇者・・・)
(それに俺たちには、アンリエットもアルフレッド王子もついているんだ。これほど心強い味方はいない)
(アンリエットとアルフレッド王子が・・・)
(だからそういう戦力分析のもと、今の自分の気持ちに正直になって、改めて自分が今何をすべきか、もう一度考えてみないか)
(・・・わかった)
「ランドルフ王子、そのお話受けとう存じます」
ローレシアの一言に、アンリエットが反応した。
「ローレシアお嬢様、何を!」
「アンリエット、それからみなさま聞いてください。本件は外交ルートを通じて国と国との間で正式に要請された依頼です。そしてわたくしはこの魔法王国ソーサルーラの大聖女、アスター侯爵です。ならば国の職務としてフィメール王国に赴くのみで、そこに個人的な感情が介在する余地など一切ございません」
そのローレシアの言葉に、ランドルフ王子は思わず目を瞠ったが、アンリエットはなおも食い下がる。
「しかしお嬢様。そのフィメール王国はお嬢様を殺そうとした犯罪者がまだ国中枢に潜んでおり、エリオットのごときゴミ虫が外交ルートを使ってお嬢様の身柄を要求するような、常識知らずが王家に名を連ねるような国です。国と国との関係など歯牙にもかけない野蛮国に行くのは危険。ぜひともご再考を!」
「たしかにアンリエットの言う通り、あの国には危険な人間が国の中枢に控えています。でも魔法王国ソーサルーラの親善大使たるわたくしに危害を加えるとどうなるか分からないほどのバカではないと考えております」
「お嬢様・・・」
「それにエール病は村や街、場合によっては王国をも滅ぼしかねない危険な病。わたくしの個人的な好き嫌いで治療を放棄するなど、人として許されるものではございません」
アンリエットの反論を黙って聞いていたランドルフ王子がここで口を挟んだ。
「全くもってローレシアの言う通り、まさに正論だよアンリエット。このエール病は人類にとっての厄災。それを克服する力を持ちながら見て見ぬふりをすることなど、とても許されることではないだろう。ローレシアの英断には頭の下がる思いだ。ソーサルーラ王家を代表して心よりお礼申し上げる」
「・・・わかりました、ランドルフ王子。私はお嬢様の判断に従います。その代わりにお嬢様、この私をお嬢様の護衛騎士として常にお側に控えさせていただくことをお許しください」
「もちろんですアンリエット。あなたを頼りにさせて頂きます」
「はっ!」
「じゃあ決まりだな。ことが事なので、ローレシアには今すぐフィメール王国に出発してもらう。国境までは王家の転移陣を使って移動し、そこからフィメール王国に入国してからは向こうの便宜供与があるはず。ローレシアは準備ができ次第王宮まで来てくれ」
「承知いたしました」
ランドルフ王子はそれだけ言うと席を立ち、顔をうつ向かせたままソファーに座っていたアルフレッド王子の肩を軽くたたいて、部屋を出て行った。
そしてアンリエットに続いて部屋から出ようと立ち上がったローレシアは、アルフレッド王子の側を通り過ぎる際に、一言だけ彼に告げた。
「レスフィーア姫の命・・・助けに行きましょう」
ローレシアも部屋から立ち去って誰もいなくなった後も、アルフレッドはソファーに座ったまま席を立とうとしなかった。
いや、立てなかったのだ。
「ローレシア・・・すまない」
アルフレッドは泣いていた。目から流れ落ちる涙を自分の意思ではもう止めることが出来なかった。
次回、いよいよフィメール王国へ
ご期待ください




