第5話 侯爵令嬢の常識と嗜み
部屋でしばらく待っていると、二人分の荷物を抱えたアンリエットがそーっと部屋に戻ってきた。
「お待たせしましたお嬢様。お着替えをして、早くここを脱出いたしましょう。この服にお召し替えを」
そういってアンリエットは荷物袋から修道服を取り出し、俺の死装束を脱がせ始めた。
(あなたっ! すぐに目をつぶりなさい。わたくしの素肌を見てはなりません)
(わ、わかったけど、アンリエットに着替えさせてもらってもいいのか)
(当然です。わたくしは自分では動けませんし、あなたに着替えさせる訳には参りません)
(俺は目をつぶっていても、ローレシアが指示してくれれば、着替えをすることぐらいはできるぞ)
(・・・・・)
(ローレシア?)
(わたくしはまだ、自分で着替えることに慣れておりません。それまでは侍女に着替えさせてもらうのが当然でしたので。・・・早くアンリエットに任せて、あなたは目をつぶっていなさい)
俺は慌てて目をつぶり、アンリエットにされるがままに修道服に着替えさせてもらった。貴族って、自分で着替えができないんだ。
部屋を出た俺は、アンリエットの後ろについてそーっと廊下を歩いた。ローレシアが生き返ったことが知られれば大騒ぎになって、また暗殺者が舞い戻って来るかもしれないからだ。
ひょっとしたら暗殺者と通じている者が修道院内にいないとも限らないし、ここを脱出するまでは他の修道女に気付かれないようにしたほうがいい。
修道服には頭からすっぽりとかぶるベールがついていて、網の目の黒い布を顔の前に下ろせば、外からは顔が判別できなくなるようだ。俺はこのベールを下ろした状態で移動する。
今はすでに朝のはずだが、廊下には窓が一つもないため薄暗い。いくつかある部屋には扉がなく中は物置になっており、ここは地下倉庫だったようだ。
廊下の突き当りの階段までたどり着くと、周りに人がいないことを確認して、そーっと階段を上り一階に出て、すぐに物陰に隠れる。
一階ホールでは、たくさんの修道女がバタバタと朝の仕事を始めているのが見えた。
「お嬢様、あの修道女たちの中に紛れ込みましょう」
アンリエットがうまくタイミングを見計らい、ホールから外へ向かう修道女の集団の最後尾に付くと、何事もなかったかのように裏口から修道院の外に出た。
外では洗濯当番の修道女たちが何人か集まって懸命に働いていた。その脇を通り過ぎようとすると、修道女の一人が俺たちに気付いて声をかけてきた。
「あなたたち、どこに行くの」
するとアンリエットが、
「修道女長さまからのご指示で、今から街まで食材の買い出しに行ってまいります」
「・・・そう。昨日の事件もあるし、まだ不審者がいるかもしれないから気を付けて行くのよ。さもないとシスターローレシアみたいに殺されるから」
「お気遣いありがとう、シスターメアリー」
俺たちは軽く会釈をすると、足早に修道院の門を潜り抜けて敷地の外に出た。
誰にも気づかれずに、なんとか修道院を脱出することができたが、アンリエットはそのまま街の中心に向かって歩いて行く。
「これからどこへ行くのですか? アンリエット」
「この街から離れてクールンという街に滞在しようと思います。ここからは乗り合い馬車を利用致しますが、いかがでしょうかお嬢様」
(クールンって?)
(このあたりで一番大きな街の名前です。身を潜めるにはちょうどいい場所だと思います)
(なるほど、まずは暗殺者から身を隠さないとな)
おれはローレシアからアドバイスをもらうと、アンリエットに答えた。
「それがいいと思いますが、クールンに行ってどうするつもりですか?」
「最終的には国外に脱出しよう思いますが、今後の逃亡資金を稼ぐために、しばらくそこで冒険者をします。私は騎士ですのである程度高いランクのクエストで賞金を稼げると思いますが、その間お嬢様には宿屋に潜伏していただきます」
冒険者!
暗殺だの修道院からの脱出だの、いきなり騒動に巻き込まれてすっかり忘れていたけど、俺は異世界に来たんだった。
よーし、冒険者になるぞ。
「アンリエット。わたくしも冒険者になります。一緒にクエストをしましょう」
(えっ! あなた何をおっしゃってるの。わたくし、戦いなどできませんわ)
(え、そうなの? 侍女のアンリエットが冒険者になれるんだったら、ローレシアにだってできるんじゃないのか)
(アンリエットは騎士になるための訓練も受けておりましたが、わたくしは受けておりません)
(えぇぇ・・・でも全く戦えないことはないだろ?)
(全く戦えません。わたくしは王家に嫁ぐための教育しか受けておりませんので、身体を動かすのはダンスぐらいです)
ダンス?! ガクッ・・・。
俺が冒険者になると言ったため、アンリエットも困ったように、
「・・・大変恐縮ですが、お嬢様は冒険者には全く向いていないと思います。魔力がもう少し強ければなんとかなったかも知れませんが、今のお嬢様では大変危のうございます」
「魔力ですって!」
俺はこのパワーワードを聞いて、がぜんやる気がでてきた。
やはりこの世界では、魔法が使えるのだ。
(ローレシア。君は魔力を持っているのか!)
(・・・ほんの少しだけですが)
(すごい! ちなみにどんな魔法が使えるんだ?)
(一応、癒し系の魔法が使えますが、あまり得意ではありません)
(いわゆる回復職か。あまり戦闘向きではないな)
(・・・申し訳ございません)
(謝ることはないよ。俺の世界にはそもそも魔法がなかったから、使えるだけでも大したものだ)
(そ、そうでしょうか?)
(ああ。それじゃあ俺たちは、回復職で冒険者になろう)
「アンリエット、わたくしの癒しの魔法では、冒険者は務まりませんか?」
「お嬢様の癒し魔法ですか・・・うーん。まあ・・・そこまでおっしゃられるのならお止めいたしません。あまりお勧めはできませんが」
アンリエットの表情がベールに隠れて見えないが、とても遠回しに断られている気がする。そこまでローレシアの魔法は微妙なんだ・・・。
俺とローレシアがガッカリしながら歩いていると、徐々に下腹部に違和感が生じてきた。
これはまさか!
(いやぁぁぁぁぁ!)
(落ち着けローレシア!)
(もう・・・嫌っ! 死にたい・・・わたくしをひと思いに殺して!)
(こんなことで死ぬんじゃないっ! と、とにかく、どうしたらいいのか俺に教えてくれ)
(そんな恥ずかしいこと言えるわけないじゃないですか、バカっ!)
(それでも教えてもらわなければ、このままここで漏らしてしまうんだが・・・)
(漏らすのは絶対にダメ! ・・・し、仕方がありません・・・最初にごにょごにょして・・・ごにょごにょして下さい。そのあとは、全てアンリエットにお願いしてくださいませ)
(ええっ!? そんなことをアンリエットに頼めるわけないじゃないか!)
(構いません。アンリエットにはいつもしていただいておりました)
(えぇぇぇ・・・貴族ってまじか。ついていけねぇ)
「あの・・・アンリエット」
「なんでございますか? お嬢様」
「クールンへ出発する前に、先にお花摘みに行きませんこと」
「私もその方がいいと思っておりました。それではこちらにいらしてください」
そう言うとアンリエットは俺を連れて、とある建物へと入って行った。
(しくしくしく・・・)
ことが終わり、アンリエットに処理をしてもらってからずっと、ローレシアは頭の中で泣いていた。この押し寄せる絶望感と羞恥心を何とかしてほしい。
(なあもう泣くなよ、ローレシア)
(しくしくしく・・・)
(俺は何も見てないし、身体にも一切触れていない。アンリエットが全部してくれたよ。いつもと同じなんだろ)
(アンリエットはいいのです。わたくしが泣いているのは、わたくしがそのようなことをしたという事実を、殿方に知られてしまったことが恥ずかしいのです)
(・・・いや人間なんだから仕方がないじゃないか。それともこれから毎日、泣いて過ごす気か)
(これから毎日っ! ・・・もう死にたい)
ローレシアの気持ちも分かるが、俺はどちらかと言えば、アンリエットにあんなことをさせた方がショックだった。
侍女とはいえ幼馴染みにあんなことさせてはダメだろう。日本の男子高校生には理解できない世界だ。
俺も侯爵令嬢の常識にしばらく慣れそうにないが、ローレシアも諦めがつくまで時間がかかりそうだ。
こんなので俺たちうまくやっていけるのだろうか。
次回は、逃避行そして新生活です
ご期待ください