第4話 侯爵令嬢ローレシアと侍女アンリエット
扉が静かに開かれて、一人の修道女がこの薄暗い部屋の中へゆっくりと入ってきた。その修道女は頭からベールをかぶり、顔が完全に隠されている。
彼女は手に持ったろうそくの明かりをそっと俺の方へと向け、俺が木製の台座に腰かけているのに気が付くと、立ち止まってガタガタと震え出した。
「ろ、ローレシアお嬢様っ! ま、ま、まさか」
この修道女はどうやらローレシアの知り合いのようだ。俺の姿を見てお嬢様と言っている所を見ると、侍女か何かなのだろう。すると俺の頭の中で声がした。
(彼女はわたくしの侍女兼護衛騎士のアンリエットです。彼女から事情を聞きたいので、わたくしの言う通りに話してみてくれますか)
(わかった。やってみるよ)
「アンリエット。わたくし、今しがたここで目を覚ましたのですけど、わたくしの身に何が起きたのか教えてくださいませんか」
「はい、お嬢様・・・ですが本当に生きていらっしゃるのですか?」
「ええ、このとおりよ。・・・ということは、わたくしはやはり殺されたのでしょうか」
「はい・・・お嬢様は食事中に突然倒れられて、そのまま息を引き取りました。お嬢様のお食事を調べましたところ、食器に毒が塗られていたのです。修道院の中に暗殺者が紛れ込んでいたようです」
「暗殺者・・・正体はつかめたの?」
「申し訳ありません。お嬢様の食器を用意した修道女はその暗殺者に脅されてやったようなのですが、彼女が言うには見たことのない顔だったらしく、私が気が付いた時にはすでに修道院から姿を消しておりました」
「そう・・・・。では暗殺者のことは置いておいて、わたくしがこうして生きている理由を教えてくださいませんか」
「それは・・・私のおばあ様から頂いた形見の指輪のせいだと思います」
「形見の指輪?」
「はい。今、お嬢様が指につけているその指輪です。これは死者の魂を召喚できる魔術が仕込まれていて、我が家に代々受け継がれてきたものなのです。でも私ではその魔法が発動できず、どうしようか途方にくれていたのです」
見ると右手の中指には銀色の指輪があり、真ん中の大粒の宝石はその輝きを失って、ローソクの光を鈍く反射させていた。魔法が発動してローレシアが生き返り、指輪はその役目を終えたのだ。
「そんなに大切な指輪を、わたくしなんかのために使ってしまって・・・」
「お嬢様が生き返ってくださったのなら、それで十分でございます。お嬢様のお命に比べれば、こんな指輪など安いものです」
「アンリエット・・・わたくしのことをそこまで」
「もちろんです、我が主ローレシアお嬢様」
そう言うとアンリエットは、俺の前に跪いて騎士の礼をとった。
「それでわたくしは何日ほど眠っていたのですか?」
「お嬢様が毒に倒れられて、まだ半日しかたっておりません。明後日に簡単な葬儀を済ませて修道女用の墓地に埋葬される予定でした。もう一度死者復活の魔法を試してみて、ダメなら私もお嬢様の後を追って死のうと思いこの部屋に戻ってきたのですが、お嬢様が生き返っていて本当に良かったです」
「し、死んじゃダメです、アンリエット!」
「いいえ、私はお嬢様の護衛騎士。常にお側にいるのが私の責務。そして私が側にいながら暗殺を許してしまい、お嬢様があの世へと旅立たれたのならば、そこへお供するのが真の護衛騎士の責任の取り方です」
「わたくしはこうして生き返ったのだから、もうその話はやめましょう」
「わかりました。それで私たちはこれからどういたしましょうか」
「この修道院は危険ね。わたくしが生きていることがわかれば、いつまた暗殺者を差し向けられるか分かりません。ここを脱出しましょう」
「仰せのままに。それでは脱出の準備をしてまいりますので、お嬢様はこちらでしばらくお待ちください」
「わかりました、アンリエット。そしてあなたの忠義には感謝の言葉もありません。これからもよろしくお願いいたします」
「もったいないお言葉。それでは失礼いたします」
そういうとアンリエットは静かに部屋を出て行った。
「暗殺者を差し向けられるとは余程の事と存じますが、ローレシア様がどうしてそのような目にあわれているのか、差し支えなければご事情を教えていただけませんか」
(・・・少し長くなるので、ここを脱出してからゆっくりお話しさせていただきます。まずは身の安全を確保しなければなりませんから)
「承知致しました。それからアンリエットは信頼できる人物なのでしょうか。暗殺者の仲間という可能性はございませんか?」
(その可能性はございません。彼女はわたくしが幼少の頃より親しくしている大切な友人です。アスター侯爵家の臣下であるブライト男爵家の三女で、長じてからはわたくしの侍女兼護衛騎士を買って出てくださいました。わたくしがアスター家を追放されてこの修道院に入る時も、周りの反対を押し切って、わたくしと運命を共にしてくれたのです)
「そこまでのお方でしたか。一時でも彼女のことを疑ってしまい、お気を悪くされたのなら謝罪致します」
(いえ謝罪は不要です。彼女はわたくしにとってかけがえのない存在なのですよ。それよりも少し気になることがあるので、わたくしからあなたへ質問させていただいてよろしいですか)
「はい、なんでございましょう」
(わたくしが目を覚ましてあなたとお話させていただいた時、あなたはこの身体が女性ではないか確かめようとされていました。そして、アンリエットとの会話を始める前に、私の頭の中に男性の声が響いてきました。ひょっとして、あなたは男性ではないのでしょうか)
「はい、わたくしは男性でございます」
(・・・・・い、い、いやぁぁぁぁ!)
俺の頭の中にローレシアの絶叫と様々な感情が入り乱れて押し寄せてきた。ローレシアは完全に混乱してしまったようだ。
ていうか俺も頭の中で会話ができていたのか。
(まて、落ち着くんだローレシア!)
(ひーっ! 気安くわたくしの名前を呼ばないでくださいませ)
(そんなこと言われても仕方ないだろ。とにかく落ち着いてくれ)
(落ち着けませんっ! わたくしの身体にまさかと、と、殿方が入っているなんてっ!)
(俺が男で本当にすまない。でも俺だって好きでこの身体に入ったわけじゃないんだ)
(それは分かっていますが、殿方がわたくしの身体に入っていること自体が恐ろしいのです・・・しかも身体を自由に動かせるのはあなただけ。ど、ど、どうしましょう、わたくしの貞操が)
(俺だけがこの身体を動かせる・・・)
(な、なんですか今のあなたの感情はっ! 今あなた変な気持ちになったでしょう! もう嫌っ!)
(違う誤解だ! 俺はやましいことなど何も考えてない!)
(だったら何ですか、この感情はっ! あなたの感情がわたくしに直接伝わってきて、気持ち悪いのです)
ま、まずい。身体を共有しているから感情も駄々洩れで隠しようがない。これはとんでもないことになってしまった。
ローレシアはかなりショックを受けていて、心の中で大泣きしている。すごく居たたまれない気持ちになってしまったが、かといって俺もどこかへ離れるわけにもいかず、どうしようもない。
俺はローレシアの気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。
それから小一時間ほど時間がたった。ローレシアは相変わらず悲壮な感情を隠せていなかったが、さっきほどの混乱は見られず少し落ち着いたようだった。ちょっと話しかけてみるか。
(ローレシア、少し話しかけてもいいか?)
(・・・なんですの?)
嫌悪感と諦観が入り混じったなんとも言えない感情が俺の頭に流れ込む。俺の心が折れそうだった。
(どうしてこうなってしまったのかは分からないが、しばらくはローレシアの身体に俺も同居させてもらうしかないんだ。ただ本当に申し訳ないとは思っているので、ローレシアが嫌がるような変なことは絶対にしない。約束する)
(・・・本当に約束できますか)
(ああ。もしローレシアが嫌な気持ちになったら、いつでも俺に言ってくれ。すぐやめるから)
(じゃあ、今すぐこの身体から出て行ってください)
(俺もそうしたいのだが、その方法がわからない)
(・・・・・)
(じゃあ、この修道院を脱出したら、俺がこの身体から出ていく方法を探すことにしよう。なるべく早く見つけるから、それまで我慢してほしい)
(・・・わかりました。それではその方法を探すことを最優先にいたしましょう)
次回、修道院からの脱出です
ぜひご期待ください