ローレシアの出産
ローレシアの身体に最初の異変が生じたのは、妊娠5か月頃のことだった。
酷い腹痛に襲われ意識を失ったローレシアは、目を覚ますと自室のベッドに寝かされ、主治医である大聖女クレア・ハウスホーファによる治療を受けていた。
「気が付いたのねローレシア」
「・・・クレア様」
妊娠出産を担当するナツはまだ意識を失っており、クレアの問いかけに応じたのはこの身体の本当の持ち主であるローレシア本人。
そのことをクレアに告げると、だが優しい笑みを浮かべて診断結果を告げた。
「おなかの子は無事よ。ただ気になる兆候があるから出産までは絶対安静にしていること。特にナツにはちゃんと言っておいてね」
「承知いたしました、クレア様」
そのことがあって以来、ローレシアは自室から一歩も出ずベッドで執務を行うようになり、彼女の夫である皇帝クロム・ソル・ランドンも、執務机をローレシアの部屋に運び込んで彼女の傍らで自分の執務を行うようになった。
そしてクレアも妖精の森にある研究室と帝都ノイエグラーデスを往復する日々が始まった。
◇
それから数か月が過ぎてローレシアの出産を間近に迎えたある日、クレアはローレシアの診断結果を携えメルクリウス・シリウス教王国の聖地アーヴィン法王庁を訪れた。
そこで神使徒アゾートとその巫女ジューンと面会し、ローレシアの出産とその後についての話し合いが行われた。
「このまま何もしないと、ローレシアの子供は助からないわ」
クレアの考えを知っている二人は、悲痛な面持ちで彼女の次の言葉を待った。
「だから決めたの。私が彼女の子を育てる」
クレアは自分のお腹をさすりながら笑顔を見せると、真っ青になったアゾートがようやく口を開いた。
「・・・でもそんなことをすれば俺たちの子供が」
「それは分かってる。でも既に安定期に入ってるし、対策も十分に取った。こう見えても名医なんだから、私を信じて」
「そうは言っても時空転移の衝撃は並大抵のものではないし、仮に成功しても人間の生存を許さない危険な場所かも知れない。俺の愛する妻にそんな危険な賭けをさせるわけにはいなかい」
「・・・ありがとうアゾート。でもだからこそ私は行かなくてはならないの。せっかく生まれてくる元気な赤ん坊が生まれてすぐに異世界転移して、そこで命を落とす未来を知ってしまったから」
「ネオン・・・」
ローレシアが倒れてからの数か月。クレアとアゾートは手分けしてその原因を探っていた。
クレアは自作の医療機器で膨大なデータを収集し、アゾートはそのデータを魔導コア内にある人工知能型統合思念体「SIRIUSシステム」で解析を行った。
そして古代ルシウス時代より蓄積されたマナ情報データベースとも照合して出た結論は、ローレシアの子供には地球で輪廻転生を繰り返していた魂が偶然宿ってしまったということであった。
しかもその魂には「禁呪魔法」がかけられており、それはこの世界に存在することを絶対許さない「呪い」とも言える代物だった。
その禁呪魔法の動作原理は一応解析できたものの、ルシウス文明の生み出した魔法とは異なる理論で作り出され、その解除は不可能という結論に至った。
アゾートは打つ手なしと早々に諦めたが、クレアは何か方法はないか考え続け、法王庁が所蔵する古文書の解読に没頭した。
そこで南方新大陸に生息する妖精族ハーピーが持つ別の魔法体系を活用する方法に思い至り、その後自分の研究室に籠って実験を重ねた。
「ハーピー族は人の命と引き換えに奇跡のような魔法を使うの。系統的には生命に作用する聖属性魔法に属するけどそのバリエーションは豊富で、複数の魔法を組み合わせれば時空を転移することも可能よ」
「それは前に聞いた。俺は転移魔法のことより、ハーピー魔法自体の危険性を心配している。一体誰の命と引き換えにハーピー魔法を使うつもりだ。まさか自分のお腹の子供の命を・・・」
「せっかく授かったあなたとの大切な子供なのに、そんなことするわけないでしょ!」
「じゃあ誰の・・・」
「誰の命も犠牲にするつもりはないわ。少なくともこの世界のはね」
「この世界の・・・つまりキミは地球の魂を犠牲にするつもりかっ!」
「そうよ。正確には地球の魂をこちらに転移させて、その超過魔力でハーピー魔法を発動させる」
「超過魔力・・・つまりこの世界の魔力収支をプラスにして、そのままハーピーどもにくれてやるということか。だがそれは古代ルシウス人が地球にしていたことと同じ。強制転移させられた人を不幸にするだけ」
「そうね。でも剣と魔法の異世界への転移を望む日本人なら、むしろご褒美なんじゃない?」
「いやまあ、そういう人もたまにはいるだろうけど、ほとんどの人はそんなもの望んではいない」
「そこは大丈夫。この世界への転移を望む人を特定してハーピー魔法を発動させる実証実験を既に成功させているから」
「ウソ・・・だろ」
「本当よ。実際、こちらに転移させた日本人はみんな元気に生きているし、その中の一人は今も私の研究室で楽しそうに暮らしているわよ」
「ネオン、お前というヤツは・・・」
「これで心配はいらないでしょ。それからジューン」
「何でしょうか、クレア様」
「私はこの世からいなくなるから、次の大聖女にあなたを指名します。アゾートと法王庁のことをお願い」
「しっ、承知いたしました! クレア様が無事ご帰還されるまで、このわたくしがしっかり代役を務めさせていただきます」
◇
その2日後、ローレシアの出産が始まった。
この後に起こることを聞かされたクロム皇帝は、愛する妻と息子のために危険な賭けに出てくれた大聖女クレアの両手を握った。
「そなたへの謝意が表現できる言葉を、どうにも余は持ち合わせておらん。だからせめてそなたと我が子が無事帰還できることを願わせてほしい」
「ありがとうクロム。それより出産と同時に転移が始まるから、最後に赤ちゃんの名前を呼んであげてね」
「もちろんだ。ナツと一緒に考えた余の大切な息子の名前を・・・」
ローレシアの初産はかなりの難産となり、明け方近くになってようやく赤ん坊の頭部が姿を現した。
うっすらと生えた頭髪はクロム皇帝と同じ黒髪で、目鼻立ちもスッキリ整った気品溢れる美男児だった。
だが闇のオーラがその赤ん坊の頭部にまとわりつくと、身体が徐々に消えて行った。
「デボネア、詠唱を開始なさい」
「はい、大聖女さま」
クレアの肩から飛び立ったハーピー族の長・デボネアがハーピー魔法を詠唱する。
詠唱が進むに連れて禁呪魔法の効果が薄れ、消えかけていた赤ん坊の身体が再びこちらの世界に引き戻される。
「禁呪魔法より先に、こちらの魔法を発動させる」
だが闇のオーラも負けてはおらず、再びその勢いを強めるとハーピー魔法との間に赤ん坊の奪い合いが始まった。
そして明滅を繰り返す赤ん坊の全身がこの世に現れたのと同じタイミングで、ついにデボネアの詠唱魔法も完成した。
【ハーピー合成魔法・時空跳躍】
途端、ローレシアの部屋全体を覆うように魔法陣が展開して全属性の7色のオーラが光を放つ。
産まれたばかりの赤ん坊を両手で優しく抱き上げたクレアは、出産を終えてぐったりしているローレシアと、そんな彼女の手をしっかりと握りしめるクロムに赤ん坊を見せてあげた。
「じゃあ行ってくるわね、ローレシア、クロム」
クレアの身体が聖属性オーラで満たされると、目に涙を浮かべたクロムが無理やり笑顔を作った。
「ありがとうクレア・・・俺たちのミズキを頼む」
二人を安心させようとクレアが笑顔を見せた途端、全身が輝きだしてスーッと肉体が消え去った。
「ミズキーーーーっ!」
この世界から完全に消滅した二人に向けて、クロムは何度も何度も我が子の名前を叫び続けた。




