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第174話 クロム皇帝の知略

 クロム皇帝生還の報は同時にヴィッケンドルフ公爵の元にも届いた。


 皇帝直筆の手紙を読んだ公爵はその場でガタガタと震え出し、自分が帝国の簒奪者にさせられた事実を理解すると、レオンハルトたちの所業に憤慨した。


「ワシはレオンハルトとバーツの二人に騙されていたのか・・・しかしどうしてワシは奴らのウソが見抜けなかった・・・いや、勇者が皇帝を暗殺するなんて、帝国貴族としても重罪の上に聖戦を戦うシリウス教徒としてもおよそあり得ない所業・・・こんなもの誰が想像できるものか! くそっ、あの二人は絶対に捕まえて殺してやる。やつらただで死ねると思うなよ」


 そしてもう一通のネルソン大将からの手紙を見た瞬間、このタイミングでクロム皇帝の帰還が明らかになったのが特殊作戦部隊によって仕組まれた罠だということに気がついた。


「完全にしてやられた・・・。ワシはネルソンのヤツを少し甘く見ていた」


 もちろん公爵は、カルの男色や枢機卿たちの行状を知っていたがそれは今に始まったことではなく、シリウス教会自体がこれを黙認していた。


 もちろん帝国貴族としては、シリウス教会の堕落が正しいものだとは思っていなかったが、シリウス教徒である自分達は教会の権威には逆らえない。


 だがこの堕落しきったシリウス教会を、まさか帝国貴族である自分を追い詰めるために、シリウス教会の枢機卿のネルソンが使ってくるとはさすがに考えてもみなかった。


 マルク皇帝の正統性を崩すために、ネルソンは自分の組織すらも破壊したのだ。


「なぜだ! ワシは聖戦を遂行するために融和派皇帝リアーネを排除して、この帝国の難局を乗り切ろうとしただけなのに。なぜ神はそのワシを苦境にたたせようとするのか!」


 クロム皇帝との帝位争いによって、皇室の直系血族がリアーネと属国の王妃となったマリンしか残されていない中、先々代の血族まで遡って選んだのが、甥のマルクだった。


 マルクは皇帝としての資質は無いが、自分が摂政につけば帝国の運営はできるし、融和派のリアーネが正式な皇帝になるよりは遥かにマシだった。


 そしてリアーネの身柄と玉璽を押さえる最後の一手として、正統政府義勇軍20万の軍勢で帝都の包囲を終えた瞬間、クロム皇帝とネルソンにより放たれたのがこの一手だった。


 つまりクロム皇帝の生存が明らかになった瞬間に、帝都ノイエグラーデスを攻める戦略的価値が喪失し、一戦も戦わずして20万の将兵が無力化した。


 寄り合い所帯である義勇軍は、共通の利益がなければ統一的な行動は望めず、今後まとまった軍隊としては機能しなくなるだろう。


 そして義勇軍が機能不全を起こしている間にも、アージェント方面軍は悠々と帝都を素通りして、たった2日の距離しかないここ正統政府のあるブラウシュテルンに攻め込んでくることが確実。


 あと一歩のところまで皇女リアーネを追い詰めたはずなのに、たった2通の手紙によって盤面が全て引っくり返されて、気がつけば自分の喉元に剣が突きつけられていたのだ。


「だがこのままでは終われん。戦争は最後に勝ったものこそが正義であり、歴史書には勝者のみが正義者として記される。つまりクロム皇帝を倒せば、簒奪の汚名も、堕落したシリウス教会の共犯者としての汚名も、何もかも全て奴らに負わせることができる。未来の歴史書に恥辱を刻むのは、このワシではなくクロムにせねばならんのだ!」


 そう言うと公爵は側近たちを集めて作戦を指示。


 義勇軍の14家当主たちには転移陣で緊急の書簡を送るとともに、全国の警察保安隊にはクロム皇帝とネルソン大将はリアーネと同様に魔族に魅了され、その魔族たちの国であるアージェント王国と講和を結んで我が帝国を売り渡そうとする売国奴だと通知した。


「何とか戦力をつなぎとめて、アージェント方面軍のクロム皇帝の攻撃を防がなければならない。マルク皇帝の勅命を全軍に通達、アージェント方面軍とそれを操る狂人クロムを討てと! アイゼンシュタイン大将には引き続き3方面軍の指揮をお願いしたい」


「・・・仕方がありませんな。東方諸国方面軍と北海方面軍はすでに戦端を開いており、今降伏しても軍務大臣であるこの私の責任が問われることは確実。もはやヴィッケンドルフ公爵と運命を共にするしか方法はなさそうですからな」





 同じ頃、帝国正統政府ブラウシュテルンの一角にあるシリウス教会の仮設本部では、クリプトン枢機卿を除く8名の枢機卿が総大司教カルを取り囲んでいた。


「これは一体どういうことですかな、カル総大司教猊下。ネルソンの書簡によると帝都に取り残された20名以上の枢機卿が、異端審問によりすでに火刑に処されてこの世にはおらず、シリウス教会の解散も宣言された。そして残った10数名の枢機卿で新たにシリウス中央教会を作り、同時に東西2つの教会も設立したそうじゃないか」


 詰め寄る枢機卿たちにカルは


「総大司教であるこの私に何の断りもなくネルソンが勝手にしでかしたことであり、彼の行ったことは全て無効です。帝国全土の教会は我々シリウス教会の下にあり、シリウス中央教会など所詮帝都の中でしか影響力を及ぼさない名前だけの組織でしょう」


「では我々シリウス教会の正統性はそのままで、ネルソンたちこそが邪教だと」


「その通りです。帝国全土及び東方諸国の教会にはネルソンの発表は全て虚言であり、シリウス教会はネルソン枢機卿を異端者として火刑に処すことを決定したと通達しなさい」


「では我々の醜聞も・・・」


「神に仕える我々にそのような事実があろうはずもなく、異端者ネルソンの言を信じるものは異端審問の対象となることを通達に付け加えておくといいでしょう。それと新たに30名の枢機卿を全国の教会から選定する旨を伝えて神官たちの意識を我々に引き付けるとともに、帝国臣民にもシリウス教会が未だ健在であることも知らしめなさい」






 一夜明けた義勇軍の陣地では、20万の将兵の立場がそれぞれ変化していた。


 すなわちザグレブ侯爵と同様に今回の戦いに意義を失い、なるべく咎が少なくなるように立ち回ることを決めた家門の騎士団と、クロム皇帝の元に戻ることを完全に諦めマルク皇帝の元で新たな帝国を築かんとする家門の騎士団に分かれたのだ。


 前者の筆頭がザグレブ侯爵とメロア伯爵であり、後者の筆頭はクラーク伯爵だ。


 一方、当主不在で騎士団を派遣しているだけの家門には未だ一切の情報が伝えられず、自分たちを指揮する14家の判断にただ従っているだけだった。


 そんな義勇軍にあって、早朝にザグレブ侯爵の天幕を訪れたメロア伯爵は、クラーク伯爵家の討伐に改めて賛同の意を示すと、クロム皇帝から聞かされたという勇者アランの最後を聞いて悔し涙を流した。


「・・・アランが、我が息子がそのような最後を。アランは、レオンハルトとバーツの二人によって瀕死の重傷を負ったクロム皇帝陛下を自らの命を捨ててまでお救いしたというのに、この私は薄汚い反逆者の二人の口車に乗せられてとんでもない間違いを犯してしまった。このまま死んでは、天国にいるアランに顔向けができん! レオンハルトとそれを匿うクラーク家の奴らを皆殺しにして、アランへの手向けとしようぞ」


 それを聞いたザグレブ侯爵も、再びメラメラと怒りが沸き起こり、


「そうだ・・・我々は被害者なのだ。だから絶対にここで終わるわけにはいかない。ヴィッケンドルフの首を手土産に、クロム皇帝の元で復権を果たすのだ!」


「・・・侯爵、我々に同調する家門に呼び掛け今すぐにクラーク家に奇襲をかけましょう。そしてその勢いでブラウシュテルンに攻め入りましょうぞ!」





 一方その頃、クラーク家と同様にクロム皇帝に敵対する覚悟を決めた当主たちは、クラーク家の天幕に集まっていた。


「ヴィッケンドルフ公爵からの書面にもあるように、歴史を刻むのは戦争の勝者だ。そして兵力はまだまだ我々が圧倒的に優勢のはず。これに勝てば、すべては我々の手に入る」


「クラーク伯爵、今すぐヴィッケンドルフ公爵に呼応して帝都を制圧しましょう。そして玉璽とレガリアを我々の手に」


「いや、まずはクロム皇帝を討ち取るのが先だ。ヤツがあんな手紙を送りつけて来たのは、兵力の差を埋めるための言わば作戦。斥候の情報によるとアージェント方面軍は12万ほどであり、我々20万には遠く及ばん。ザグレブ侯爵を説得して方面軍に奇襲をかけるのは、今を置いて他にはない」


 当主たちが勇ましい意見を交わし合う中、クラーク伯爵が出した答えは、


「ザグレブ侯爵の説得は現時点では難しい。現に昨夜は一晩中、侯爵の衛兵がレオンハルトの奪還に躍起になっていたからだ。だがクロムさえ倒せば、状況は昨日の時点にまで巻き戻せる。そうすればザグレブ侯爵も我々に味方して、義勇軍を再結成するはず。よって我々は他の諸侯に呼びかけつつ、直ちにアージェント方面軍に向けて出撃する!」






 クラーク騎士団の一員としてアージェント方面軍への出撃に加わったレオンハルトとバーツは、周囲の騎士からの軽蔑の視線に晒されながら馬を並べていた。


 大多数の騎士たちからは、二人の魔力を封じて地下牢に拘束しておくべきとの強硬な意見が出されたが、当主のクラーク伯爵がそれを許さず、騎士団の一員として戦闘に参加させることが決定されたのだ。


「レオンハルト・・・俺たちはこれからどうなってしまうのだろうか。仮にクロム皇帝を討てたとしても、俺たちにはもう居場所がないのではないか」


 精神的に参ってしまったバーツに対し、周りの目など気にもならないのかレオンハルトは、


「畜生・・・こんなことになるならちゃんとクロムにトドメを指しておくべきだったな。だが今となっては後の祭り。この戦いに勝ちさえすれば、俺たちのことは伯父上が面倒を見てくれるはずだ」


「お前はそれでいいかもしれんが、俺は所詮田舎の騎士爵家の出で勇者の肩書がなければ何の価値もない。クラーク伯爵が俺を守る義理もないし、くそっ!! こんなことなら、あの時お前と逃げずに、勇者アランの側に残っていればよかった」


「バカなのかお前は。あのまま残っていても今頃クロム皇帝に処刑されていただけだ。こうして生きているだけでもこの僕に感謝してもらはないとな」


「レオンハルト・・・貴様」


 レオンハルトのあまりの言い方に、バーツが悔しさで顔をゆがめていたその時、部隊後方から伝令が急報を知らせて来た。


「騎士団の後方で戦闘が始まりました! 敵はザグレブ侯爵とメロア伯爵が率いる騎士団です!」


 レオンハルトの少し前を進んでいたクラーク伯爵が馬を止めると、伝令から報告を受けて苦渋の表情を見せた後、側近たちに号令を発した。


「全軍反転! ザグレブ侯爵とメロア伯爵がクロム皇帝側に寝返った。まずは反逆者どもを攻撃せよ!」


 そしてその命令が即座に全軍に伝わると、義勇軍を二つに分けた本格的な戦いが帝都近郊で勃発した。






 アージェント方面軍司令部の天幕では、クロム皇帝とヘルツ中将以下幕僚たちが軍議を開いていた。


「カフス中佐、義勇軍の状況を報告せよ」


「はっ! 皇帝陛下の目論見通りに、ザグレブ侯爵とメロア伯爵を含めた7家とヴィッケンドルフ公爵家とクラーク伯爵を含めた7家に分かれて、同士討ちを始めました」


「そうか! あの手紙にはそうなるように、あえて各家門の処遇に差を作っておいたのだ。だがここまで見事に策が決まるとはバカな奴らだ。よしちょうどいい機会だ、このまま奴らを自滅させて帝国に溜まった膿を出し尽くしてやれ」


 クロム皇帝が高笑いをしたところでヘルツ中将が、


「皇帝陛下、我々は予定通りに進軍を再開しますか」


「そうだな、偽装工作はここまでだ。昨夜アージェント王国陸軍と話をしたとおり、我が方面軍は帝都北方のヴィッケンドルフ領に向けて進軍。痴れ者マルクを擁立する正統政府を討つ。その間、王国陸軍は帝都の南方に展開して、商都ゲシェルシャフトからの物資や帝都全土からの増援を阻止するとともに、ライゼンカナル運河の攻略を敢行する。つまり後背は彼らにまかせて、我が帝国の主敵は我々自身が始末をつける」


「では帝都への帰還は」


「時間の無駄だ。帝都はこのまま籠城戦を続行。リアーネには帝都を死守するよう伝えるのと・・・あとはそうだな、帝都に軟禁中の貴族たちを自領に帰させるタイミングを上手く考えるよう指示しておいてくれ」


「はっ!」

次回、ローレシア側のエピソードに戻ります


お楽しみに

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