第165話 総大司教カルの暗躍
ブロマイン帝国摂政ヴィッケンドルフ公爵は憂鬱な顔で、謁見の間に勇者レオンハルトと勇者バーツ、そして総大司教カルの3人を迎え入れていた。
彼が憂鬱なのは別にこの3人が悪いわけではなく、マルク皇帝のために差し入れた奴隷女があっという間に使い物にならなくなり、朝からその処分をさせられた上に、メイドにまで手を出そうとしていたところを慌てて止めて、次の奴隷女が手配されるまでマルクを部屋に監禁しておくことにしたからだ。
「全くあのバカは! 皇帝のメイドともなると全員が貴族家の令嬢なんだぞ。権力基盤が固まりきっていない今は、一人でも多くの支持者が欲しいというのに、令嬢を奴隷女と同じように扱って無茶苦茶にされてはかなわん」
そしてマルク皇帝の代わりに玉座にふんぞり返り、肘をついてげんなりしていたところに、この3人の突然の訪問だった。
「どうしたのだ、3人が雁首をそろえて」
公爵が不機嫌そうにそう言うと、勇者レオンハルトが開口一番、
「摂政ヴィッケンドルフ公爵閣下にご助力頂きたいことがあります。帝都を包囲していた我が騎士団が逆徒リアーネの軍に大打撃を受けてしまいました」
「またそれか・・・。他の者からも報告があったが、たかが帝都を包囲する先見隊がやられたぐらいで狼狽えるでないわ。帝国軍本体や主だった騎士団の到着はまだこれからなのだぞ。それに報告内容がにわかには信じられんのだ。敵騎士団の陰すら見えないのにいきなりエクスプロージョンが放たれたとか、魔王がやったと言うバカまでいる始末だ」
「・・・いいや、あれは魔王の仕業に間違いありません! 我々勇者部隊は魔界の門での戦いで魔族に辛酸をなめさせられ、特にダゴン平原の南に展開していた変異種どもの中には、信じられないほど強力なエクスプロージョンを撃つ個体が存在したのです。決して魔族を侮ってはいけない!」
「勇者レオンハルト、お前までそんなことを。だが、魔族の変異種か・・・魔王が復活したなどという話は信じていなかったが、変異種だというなら話は違う」
「その通りです公爵! 魔王は変異種であり、おそらくは先祖帰りかと」
「だが仮にそうだとしても、なぜその変異種がいきなり帝都に現れリアーネの味方をするのだ。ヤツは魔族の宿敵であるブロマイン帝国皇帝なんだぞ」
「そ、それは・・・」
レオンハルトとは以前から面識のあったヴィッケンドルフ公爵は、思い込みの激しい彼をどこか信用しきれずにいた。
「勇者バーツも帝国に入り込んでいた魔王がリアーネに味方していると思うのか」
バーツはレオンハルトのような名門の出ではなく、帝国辺境の騎士爵のため本来は公爵と直接会話をできる身分ではないが、勇者であるため高位貴族としての立場が得られている。
だから公爵は、身の程をわきまえ本来実直な性格のバーツなら、さすがにおかしな発言はしないだろうと信頼を置いていた。そんなバーツが、
「俺はそれが魔王なのか、正直言って分かりません。ですがリアーネがローレシアの側近だったという話をお聞きしてからは、魔族とのつながりがあってもおかしくはないと考えるようになりました」
「またか・・・お前たちはいつもローレシアを魔族だと言うが本当なのか? アスター家といえば東方諸国では名の知れた古くからの魔導の名門。その辺の貴族よりもよほど身元がしっかりしているのだぞ」
「それは・・・お、俺は地方の出なのでアスター家のことはよく知りませんが、あいつの魔力はあまりにも強大。我ら勇者仲間で最強だった勇者アランをはるかに凌駕する強大な魔力を、たかが成人前の少女が持っていることが異常。もはや人間のレベルをはるかに越えており魔族だとしか説明がつきません。実は我々の名誉のために今まで黙っていましたが、彼女はあの戦場ではどの魔族よりも強くほとんど無敵状態でした」
「なんだとっ! 勇者ローレシアはそこまで強かったのか・・・。それに腑に落ちないのは、なぜローレシアはクロム皇帝を殺す必要があったのかだ。クロムはローレシアに求婚をしていたから、殺すよりそのまま結婚して皇后の地位についた方がよほど理にかなっている。クロムを殺害する動機が全くないのだ」
「そ、それはローレシアが魔族だからとしか言いようがありません! 実際、ローレシアが皇帝を殺害する現場をこの目で目撃しましたし、おそらく皇帝が死ねば帝国を手に入れられると思ったのでしょう。本当にバカなやつめ!」
レオンハルトの説得に応じてクロム皇帝暗殺の共犯になってしまったバーツは、帝都に戻ってからも嘘に嘘を重ねていた。
バーツは勇者ということもあり、普通の貴族は彼の言うことに疑いを持つことはなかったが、帝国の実権を握るこの公爵だけは簡単には騙せそうになかった。
バーツは冷や汗をかきながら公爵をみると、納得は行かないものの半ばうんざりしたような顔で、
「ローレシアがそんなバカには見えなかったが、まあローレシアが何を考えているのかなど、ここで議論しても仕方がないか。ヤツのことは置いておいて、今はリアーネの軍への対策を考えるのが先か。だがそんな強力なエクスプロージョンを撃つぐらいだから、戦場で敵の姿は目撃されているのだろうな」
「いや・・・それが、誰も姿を見たものがいないと聞いています」
「だからそれがおかしいと言うのだ! 魔法の威力は距離が離れるほど小さくなる。皆が報告するような破壊力を持つエクスプロージョンが本当に撃たれたのだとすれば、かなりの至近距離で撃つか、あるいは神の如く膨大な魔力の持ち主が遠方から放っているかのどちらかだ。もし後者なら人間が太刀打ちできるレベルではないし、それこそシリウス神に直接討ち取ってもらうような話だ」
「・・・・・」
「後者だと手の打ちようがないし、ここで議論しても意味がないから前者だと仮定して、リアーネの軍は戦場のどこかに必ず潜んでいるから、お前たち二人が戦場に出て直接退治をしてくればいいだろう。現時点で帝国最強の勇者なんだからそれぐらいできるはずだ」
「いや・・・さすがにそれは・・・」
「なんだ、お前たちは・・・。正体不明の敵の始末ぐらい勇者の力でなんとかならんのか! たかが軍本体が到着するまでの時間稼ぎなのに、そんなこともできないなら勇者など大した存在ではないな」
「くっ!」
朝から機嫌の悪いヴィッケンドルフ公爵に悪し様に言われたレオンハルトとバーツが何も言い返せずにいると、これまで黙って話を聞いていた総大司教カルが穏やかな笑みを浮かべて、
「まあまあ、この若い勇者たちをあまり追いつめるものではないですよ、ヴィッケンドルフ公爵閣下」
「総大司教猊下、そうは言いますが彼らは文句を言うばかりで、自分で何とかしようという気概にかける」
「そうではなく、勇者だからこそ魔王の力を正確に認識できている証拠なのです。その魔力の格差から今のままでは確実に負けることを本能で理解している」
「総大司教まで魔王などと・・・」
公爵と総大司教に軽くみられた勇者レオンハルトは忸怩たる思いをしながら、
「くそっ・・・た、確かに総大司教猊下のおっしゃるとおり、あのエクスプロージョンに耐えられる人間などこの世のどこにも存在しないでしょう。たとえあのローレシアであっても」
レオンハルトが悔しさを滲ませるが、カルは穏やかな笑みを湛えて、
「ではお二人にもこの指輪をお渡ししましょう。かのローレシアにも渡した、アポステルクロイツの指輪。シリウス神の祝福を得たこの指輪があれば、神の加護によってその膨大な魔力を一身に受けることができ、たとえ人外の能力を持つ魔王のエクスプロージョンであっても、二人が力を合わせれば必ずや超越することができるでしょう」
そしてカルは二つの指輪を、レオンハルトとバーツの指につけた。
「では神使徒レオンハルト、神使徒バーツ。シリウス神の加護を受けたお二人なら、必ずや魔王とその眷属たる魔族どもを根絶やしにできるはずです。そして、全ての栄光を一身に受けて歴史に名を刻むのです!」
「この俺たちが神使徒! あ、ありがたき幸せ。シリウス神と総大司教猊下に祝福のあらんことを」
同じ頃、アスター王国の王都にある貧民街のとある借家に2人の男と1人の女が住んでいた。
その家の主人の名前はステッド・アスター。
彼はローレシアの弟だが、アンリエットに無礼を働いてナツとローレシアの怒りを買い、アスター家を放逐されていた。だが彼は、冒険者として生計を立て始めてすぐ幸運に恵まれ、当面の生活には困らないほどのクエスト報奨を得ていた。
そして今から数か月ほど前、商売女に飽きたステッドが適当な女をひっかけようと繁華街をうろついていると、とある奴隷商の店舗で売られていた奴隷女に目を奪われた。
その奴隷女こそマーガレット・キュベリーだった。
「おいおいおい、なんだって公爵令嬢がこんなところにいるんだよ」
「あなた・・・もしかしてわたくしのことを存じ上げているのですか」
奴隷としての教育が施され、店頭に出されて数日しかたっていないマーガレットは、いきなり自分を知っている者が現れて困惑と羞恥心に苛まれた。だがその男の正体を知るとさらなる衝撃を受ける。
「そら知っているさ。俺の名はステッド・アスター、お前のライバル令嬢、ローレシア・アスターの弟だ」
「まさかっ!」
「ははぁ、なるほどな。この前このあたりで大きな戦争があって、なぜか姉上が女王になってしまったが、あのままアスター家とキュベリー家が戦争になってそれに負けちまったのかよ」
「くっ・・・」
「それでお前は奴隷として売られたんだ・・・フハハハハハ! 惨めだなあ、あの飛ぶ鳥を落とす勢いだったキュベリー公爵家が、あの甲斐性なしの親父殿やヒステリックなクソババア、それに美貌だけが取り柄の出来損ないの姉上相手に負けたのか。これは傑作だ、ハハハハハ!」
「ギリッ・・・」
「うひひひひ、そうかそんなに悔しいか。ようしお前に決めたよマーガレット! 俺がお前を買ってやる。いいか、今日から俺がお前のご主人様だ。お前性格は最悪だがその身体つきは俺好みだったんだよ。まさかこの俺が公爵令嬢さまを手に入れられるなんてな」
「やめて! わたくしは奴隷紋でエリオットとは絶対に別れられない奴隷夫婦なのです。なのでエリオットから引き離されてわたくしをそのような目的で買われてしまうと、わたくしは死んでしまいます!」
「なんだ? 第3王子のエリオットまで奴隷落ちしたのかよ! ははあ、ひょっとしてこれは姉上の復讐だな。虫も殺さないような顔をして、実にえげつないことをするじゃないか。だがいい趣味だ、俺もその復讐に協力してやろう」
「あ、あなた、一体何を考えているの・・・」
「よし、夫婦まとめて俺が買ってやる。それなら奴隷紋の契約には反しないよな。そして旦那のエリオットの目の前で、お前のことを存分に可愛がってやるよ。うひうひ、うひゃひゃひゃひゃ」
「ひっ・・・ひーっ! 嫌よやめて、本当にそれだけは許して! ぎ、ぎゃーーーーーっ!!」
「ほう、それが奴隷紋の効果なのか。命令を嫌がったら激痛が走るのかな? 実にいいね~」
「酷い・・・あんまりです。わたくしにはもうエリオットしか頼れる者がおらず彼に一生添い遂げるのに、う、うう、うあああ・・・あ・・・」
こうして泣きじゃくるマーガレットと、妻を寝取られることになり絶望のどん底に落とされたエリオットを購入したステッドは、貧民街の借家で3人での暮らしを始めた。
そして数か月が経過したある日、家の扉をノックする音がした。
エリオットが外に出てみると、そこにはシリウス教会の司祭が立っていた。
「私はシリウス教会の総大司教をしているカルという者です。あなたがフィメール王国の第3王子だったエリオット様で間違いありませんか」
「はい・・・エリオット・フィメールで間違いありません。ですが今はしがない奴隷の身。総大司教猊下が直接お話になるような価値すらない男でございます」
奴隷教育が行き届いたエリオットは、無気力にそう答えた。
「いやいや、ご自分をそう卑下なさらずに。まさかこのような場所に住んでおられると思わなかったので、探すのに苦労しました。だがようやくあなたにお会いできましたね。せっかくですので少しお話をさせて頂きたいのですが、家の中に入ってもよろしいかな」
「家の中にですか? い、いや今は絶対にダメです。今は私の妻とステッドが・・・その・・・」
「・・・なるほど、エリオット様は随分とお辛い立場のようですね。ではことが終わるまで外で待つことにいたしましょう。ところでエリオット様はブロマイン帝国皇帝のクロムに奴隷紋を刻まれ、命令に背くと激痛が走るのでしたよね」
「ええ、総大司教猊下はよくそんなことをご存じですね・・・奴隷紋のせいで奴隷の身分から抜け出そうとするたびに激痛が身体を貫くため、今はもうすべてを諦めて奴隷として一生を送る諦めがついたのです」
「そうですか・・・だが奴隷紋というのは一種の魔法であり、それを行った主が死ねば消えて解放される。もしよろしければ奴隷紋を見せていただけませんか」
「別にいいですが、こんな醜いものを見ても面白くはないですよ」
そういってエリオットは服を脱いでその素肌に刻まれた奴隷紋をさらけ出した。
「ほう・・・実に立派な奴隷紋だ」
「あの・・・もう服を着てもよろしいでしょうか」
「ええ、もう服を着て頂いても結構ですよ。・・・そうか、やはり皇帝はまだ生きていたか(ボソッ)」
「何か言いましたか?」
「いいえ、独り言です。それよりもここで待っている間にエリオット様の身上話でも聞かせてください。それにしてもステッドという男は酷いですね・・・」
しばらく外でエリオットと話したカルは、ようやくマーガレットとステッドが終わった後の静かになった家の中へと入り、薄汚い寝室へと案内された。
そこにはベッドが一つだけ置かれ、その上でシーツに包まって顔を伏せている若い女性と、その傍に腰かけて煙草をふかしている若い男性の姿があった。
「おい、オッサン! ここに何の用だ、出ていけ!」
その若い男性・・・ステッドが突然訪ねて来た司祭に警戒心を露わにした。
「突然押しかけて申し訳ありません。私はシリウス教会総大司教のカルと申す者。本日はステッド様に折り入ってお願いがございます」
「そ、総大司教だと?! そんな偉い人が何だってこんな貧民街の俺の家なんかに・・・」
するとカルは穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
「ステッド様、あなたはアスター王国の国王になる気はありませんか?」
次回、皇帝の帰還
お楽しみに




