第1話 プロローグ①(ある侯爵令嬢の末路)
プロローグ前編です
暗いスタートですが、明るい物語にしたいと思います。
よろしくお願いします。
ある侯爵家の紋章をつけた馬車が長旅の末に、ある修道院の門の前で2人の少女を降ろすと、雪が解けたばかりのぬかるんだ道をもと来た方向に走り去っていった。
走り去っていく馬車を見つめていた2人の少女は、足下の荷物を担ぎ上げると、その門をくぐって修道院の敷地へと入って行く。
「ローレシアお嬢様、お荷物をお持ちいたします」
「いいえ、アンリエット。これからわたくしとあなたは同じく修道女となるのです。これぐらいの荷物を自分で運べなくて、どうするというのですか」
「・・・わかりました、お嬢様。でも辛かったらいつでも私を頼ってください」
「ありがとうアンリエット。・・・結局あなただけが最後までわたくしの味方だったのですね」
修道院の建物の中へと入っていった2人の少女は、これから修道女としての生涯を生きていく、
・・・はずだった。
修道女の朝は早い。
朝5時には一斉に起床し、礼拝堂の掃除や全員の食事の準備など早朝からあわただしく動き出す。朝食の後は神へ祈りをささげ、その後再びそれぞれに割り当てられた仕事をこなしていく。
新米修道女のローレシアにも早速仕事が与えられたのだが、食事当番も礼拝堂の掃除も洗濯も買い物も、ローレシアには何一つ満足にできる仕事がなかった。
「シスターローレシア! いったいいつまで洗濯をしているつもりなの。早く終わらせて、修道院の部屋の掃除に行きなさい。みんなもう始めているのよ!」
「申し訳ございません、修道女長さま。すぐに洗濯を終わらせます」
「早くなさいっ! 全くあなたは何をやらせてもダメなんだから。いつまでも侯爵令嬢の気分でいられたら、こちらが迷惑するのよ。あなたみたいな愚図は見てるとイライラするわ」
そうローレシアに苛立ちをぶつけると、修道女長はさっさと建物の中に戻って行った。
季節はまだ早春で水は冷たい。かじかむ手をさすりながら、ローレシアはこの修道院に来ることになったあの出来事を思い出していた。
ローレシア・アスターは王国の名門侯爵家の長女として生を受け、一族からの期待を一身に受けてすくすくと育った。ローレシアの髪は輝くような金色で、瞳はエメラルドグリーン、アスター家の始祖の特徴を正しく受け継いだ純血統であった。
アスター家は古くからの魔法の名門であったが、代を重ねるごとにその魔力が低下し、ここ100年ほどは政略結婚を繰り返すことで何とか侯爵家としての権勢を維持していた。
そんな一族の救世主との期待を背負って育てられたのがローレシア・アスターだった。
2歳、3歳と成長するにつれて、先祖返りともささやかれるほど完璧に現れた始祖の特徴に、きっとアスター家が本来持つ強力な魔力を宿しているに違いないと、一族の貴族たちは期待に胸を膨らませていた。
アスター家が魔法の名門に返り咲けば、本家だけでなく分家の自分たちの王国内での地位も向上し、重要なポストが得やすくなったり、政略結婚などで他の家門との立場が逆転するかもしれない、そう期待していたのだ。
だが5歳になったローレシアが受けた洗礼式では、ローレシアには普通の貴族の平均以下の魔力しかないことが判明した。もちろん魔法の名門侯爵家が復活するなど絶望的なレベルであったのだ。
期待が大きかった分落胆も激しく、これまでチヤホヤしていた親族たちはローレシアから離れていき、無視するならともかく、会えばまだ幼い彼女に対して露骨に皮肉をささやくような者までいた。
そんな親族の態度の変化は、幼いローレシアでも簡単に理解することができた。自分の魔力が少ないために一族の中に自分の居場所がなく、両親も自分たち本家の不甲斐なさに分家に対して強く出られず、自分を庇ってはくれない。
辛い幼少期を過ごすことになったローレシアだったが、やがて転機が訪れる。
ローレシアの優れた容姿が、王国中の注目を浴びるところとなっていたのだ。そしてローレシアが10歳の誕生日を迎えた日、4歳年上の第3王子エリオットに見初められ、王族の婚約者の座を射止めてしまったのだ。
王族との婚姻が成立すれば、王族の外戚として侯爵家の地位は当面安泰となる。すると親族たちは手のひらを返したように、再びローレシアに期待を抱くようになった。
そんな親族たちの期待を感じとったローレシアの両親も、彼女を王族の嫁として恥ずかしくないように、徹底した教育を施すようになっていった。
それから7年間、ローレシアは第3王子の婚約者として、社交界では一目置かれる存在となっていた。
王太子は第1王子のため、よほどのことがない限り第3王子が王位に付くことはなく、ローレシアが皇后になることもない。
それでも王族の一員になることには変わりなく、ローレシアとアスター侯爵家の発言力は次第に高まって行った。
そして正式な婚姻の日がローレシアの18歳の誕生日に決まり、あと1年も経てば王族の外戚になり、アスター家の抱えている問題の多くはそれで解決する。
そんな順風満帆な状態は、突如終わりを告げた。
その予兆は以前からあった。
少年時代は特に問題のなかった第3王子だったが、ある日を境に素行が悪くなり女癖が酷くなっていた。
最初は街にお忍びで出かけては、領民の少女たちをとっかえひっかえ遊んでいたが、それに飽きると今度は下級貴族の令嬢にまで手を出すようになった。
平民ならともかく、たとえ下級でも貴族の令嬢が相手ともなると王家の血筋にも影響が出てくる。慌てた側近たちは、王子の行動を厳しく諌めた。
ローレシアも、王族としてふさわしい行動を取るよう第3王子を説得したが、王子はそんなローレシアを疎ましく思い、逆に彼女が嫌がるのを承知で女遊びに拍車がかかって行った。
その様子を見た貴族の大半は、ローレシアに対して同情的だった。その筆頭が第4王子アルフレッドだ。
「ローレシア、いつも兄上がすまない」
「そんな滅相もございません。わたくしごときに王族が謝罪する必要などございませんので、頭をお上げください、アルフレッドさま」
「ローレシア・・・君のそんな表情を見ているのが僕にはとてもつらい。もし君が兄上の婚約者でなければどんなに良かったことか」
「お気遣いありがとう存じます。でもご心配には及びません。来年にはエリオットさまとの婚姻を結びますので、そうなれば少しは落ち着かれると思います」
「果たしてそうだろうか。兄上ではローレシアを幸せにはできない。できることならこの僕が、」
「あ、アルフレッドさま・・・それを口にされては困ります。誰かに聞かれでもしたら、あらぬ噂が流れてしまいます」
「・・・そ、そうであったな。すまない」
貴族の大半がローレシアを支持していたとしても、だからと言って第3王子の女遊びを止めさせられる者はいない。逆にこの状況を利用して、ローレシアを排除しようとする者が現れてもおかしくはない。それが貴族社会なのだ。
キュベリー公爵家はアスター侯爵家よりも歴史が浅い新興貴族であったが、権謀術数に優れていて何代かの当主を経る間に王国での権力が拡大し、ついには公爵にまで登りつめた家門であった。
そして現在の王太子である第1王子の正妻として、キュベリー公爵家の長女がしっかりと納まり、少なくとも次世代までの権力基盤は約束されていた。
だからローレシアと第3王子との婚姻などで公爵家の権勢に陰りが出るわけでもなく、アスター侯爵家など無視していても、別におかしくないはずだった。
だが、あの出来事が起きてしまう。
プロローグ後編に続きます