すれ違い交響曲
初めての恋愛ジャンルで、短編小説です。
先輩と後輩、学生特有の優劣で揺れ動く感情と、自分の想いを届けようとする強さを楽しんでいただければ幸いです。
ワックスがけされた体育館の中に、ボールが激しく床を叩く音や、複数の足音に続いてシューズの底が生み出す甲高い音が鳴り響く。
足音の持ち主である少女達は、残り時間僅かな試合の行方を握ったボール所有者を懸命に追いかけ、時には奪おうと仕掛けるも、所有者の行く手を阻むことが出来ずにいた。
そして、ゴール直下に辿り着いた少女は、黒く長いポニーテールを揺らしながら高く飛び上がり――。
「ナイスプレー。お疲れ様、深夏」
「いえーい! 勝利勝利ー!」
激戦の末に二点差で勝利を収めた少女が、俺の労いにピースをしながら笑顔で応じる。
爽やかな表情を浮かべる少女――杏野深夏だが、汗が止まらないようで何度もタオルで顔を拭っては荒い息を整えている。
そんな女子バスケ部のエースとして今日も奮闘した彼女のために、用意しておいたクーラーボックスからかなり冷えているスポーツドリンクを投げ渡す。
「ほら、いつもの」
「わぁ! サンキュー陽介! いつも助かるぅ!」
陽介と呼ばれた俺こと榊原陽介は、今日みたいな練習試合の時はマネージャーとして、部員が最高のパフォーマンスを出せるようにこうして陰ながら支援している。
キャップを開けて一気に喉に流し込む深夏を見た他の部員が、ゼッケンを脱ぎながら俺の方へと駆け寄って来ては、口々に強請り始めた。
「榊原くん! 私にも頂戴!」
「マネージャー! あたしもー!」
「分かってるよ。お前ら全員のもあるから……。ほらよ」
「ひゃぁ~! キンッキン! 幸せ~!」
「いつもありがとねー!」
試合に出ていた部員達に同じものを渡し、飲み始めたのを見届けてから俺はその場を離れる。
俺が向かった先は、さっきの試合中に足を捻ってしまった一年生の子の所だ。今はテーピングを施して冷やしてはいるが、まだ痛むようでしきりに足を気にしている。
「大丈夫か? 宮坂」
「あっ、先輩……。はい、まだ痛いですがさっきよりは良くなってきました」
声を掛けると、宮坂は少し弱った表情で俺を見上げた。彼女がいつも付けているヘアピンの猫の顔も、心なしか元気が無さそうに見えるのは錯覚だろう。
「そっか。もう少し休んで痛みが引かなさそうなら、俺が背負って学校まで戻るから遠慮なく言ってくれよ?」
「そ、そんな! 先輩におんぶしてもらうなんて恐れ多いです!」
「でも無理して歩いて悪化したら、練習が出来なくて困るのはお前だぞ?」
「それは……」
「こういう時くらい、先輩を頼ってくれ。いつも手伝ってもらってるお礼と思ってくれても構わないさ」
「……はい。ありがとうございます、先輩」
「それじゃあ、俺は相手の顧問の先生と話をしてくるからそのまま休んでてくれ。帰る時にまた声を掛けるよ」
コクコク、と俯きながら頷く宮坂の顔は赤いように見えた。風当たりの良い場所で休ませていたが、やはり八月の館内の熱気は堪えられないか……。
俺は近くで休んでいた部員に、宮坂にも飲み物を渡してやって欲しいと頼み、練習試合の礼をしに向かった。
後片付けも終わり、相手校からの帰り道。
案の定良くはならなかった宮坂を背負い、クーラーボックスを始めとした荷物を深夏に持ってもらいながら母校へと向かっていると、前方から制服姿の長身の男がこちらに向かって歩いているのを見つけた。
爽やかな短髪のその男は、声が届く距離まで近づくと、俺達に手を振りながら気さくに声を掛けてきた。
「やぁ! 今日は練習試合だったんだね。お疲れ様」
「お疲れ様です、三田先輩!」
「お疲れ様です」
「お、お疲れ様です……!」
俺達は男子バスケ部のエースであり部長を務める、三田俊介先輩に頭を下げる。三田先輩はにこりと笑って返し、俺に背負われている宮坂を見て疑問を口にした。
「おや? そこの彼女は怪我でもしたのかい?」
「はい。試合中に足を捻ってしまいまして……。これから保健室で診てもらう予定です」
「そうか。まだ先生はいらっしゃったはずだから、早く連れて行ってあげると良いよ」
「ありがとうございます。では、すみませんがお先に失礼します」
俺はこの先輩が個人的に嫌いだ。
やたら俺達――正確には深夏に絡んでくるせいで、話の邪魔を何度されたか分からないし、くだらない話で捕まったことも片手では収まらないくらいはある。だが、深夏が同じバスケのエースである三田先輩を尊敬しているようにも見えるから、俺としては何も言えずに黙ってやり過ごすしかないのがもどかしい。
それに、今日も女子バスケ部としての活動を労うつもりに来たのではなく、深夏狙いで来たのが丸見えだ。俺が宮坂を背負って去ろうとしていると、早々に深夏に今日の活躍について聞き始めている。
深夏も深夏で、少し表情を明るくして楽しそうに話しているし、お互いに恋愛感情を持っているんだと思う。
……やっぱり、身近過ぎる俺は視界に入らないよな。
内心に隠し続けていた深夏への恋心が揺らぐ。
深夏は昔から文武両道で、成績も良く運動もできるという子どもにとってのスーパースター的な存在だった。高校に進学した後もそれは続いていて、快活な性格も合わさってちょくちょく告白されているところも見かけているくらいには人気者だ。
そしてあの先輩。あの人も校内で一位争いをするほどの秀才らしく、すらりとした長身と爽やかなマスクが俺達のクラスの女子にも人気が高い。そんな二人だ、惹かれ合うのも無理は無いだろう。
至って平凡極まりない俺は、複雑な思いを伏せてその場を足早に去った。
保健室で宮坂の手当をしてもらい、肩を貸しながら下駄箱へと向かう。
「靴、履き替えられるか?」
「はい、大丈夫です……痛っ」
「大丈夫じゃなさそうだな。ちょっと失礼するぞ」
「せ、先輩!?」
宮坂のバスケットシューズを脱がし、上履きを履かせる。女子の足を触るのは少し気が引けるが、マネージャーとしてテーピングだなんだとやっている内にあまり気にならなくなってきていた。
だが、宮坂としてはかなり気にする行為だったらしく、顔を隠しながら赤面していた。
「あー……。悪い、無遠慮過ぎたな」
「い、いえ! 私を想ってのことですから、気にしてません……」
「教室まで送るよ。乗ってくれ」
「ありがとうございます……」
恥ずかしさで消え入りそうなお礼を述べながら、再び申し訳なさそうに背中に体を預ける宮坂。
彼女を背負って一階の一年四組へと向かい、教室に誰もいないことを確認してから扉を開いて中へ入る。
「着いたぞ。流石に着替えは一人でやってくれ」
「すみません先輩、ありがとうございました」
「気にしないでくれ。それじゃ、また来週」
別れの挨拶を済ませ、マネージャーとしての業務に戻ろうと踵を返した時だった。
「あ、あのっ!!」
俺のシャツの裾が強く引かれ、思わず体勢を崩しそうになった。
「な、なんだ? 何か忘れものでもしたか?」
あまり聞くことが無い宮坂の大声に驚きながら聞くと、何故か宮坂は涙目で俺を見上げている。その顔は真っ赤に染まっていて、今泣きだしたとしてもおかしくないくらいだ。
もしかして、足を触ったことを結構怒っていたのか……? と申し訳なくなってきていると、少しだけ視線を泳がせていた宮坂が、何かを決意したような表情で俺を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「わたっ、私! 榊原先輩の事が……好きです! 大好きですっ!!」
その告白を受けて、俺の思考が停止した。
い、今、何だって……? 好き? 俺を? 何でだ?
まともに回らなくなりつつある思考を懸命に動かして状況を整理しようとしている俺に、宮坂が言葉を続ける。
「先輩が好きで、バスケ部に入ったんです。運動は得意って訳じゃなかったんですけど、それでも先輩と一緒にいられるならって、毎日頑張って練習してきました。練習も辛くて何度も泣きたくなったりもしましたけど、いつも先輩が優しく支えてくれたり、一緒に練習してくださったから頑張れたんです。ずっとずっと、大好きな先輩に支えてもらって……もう、大好きの気持ちが抑えられなくなって……」
終盤、涙混じりになってきていたが、俺は黙って彼女の思いの丈を聞き続ける。
「先輩が杏野先輩を気にしてるのは、ずっと見てたので分かってます。きっと先輩が好きなのは杏野先輩なんだって、分かってます。でも、でも! 私は優しい榊原先輩の事が好きなんですっ!! 大好きなんです!!」
宮坂は一度大きく深呼吸をし、泣き崩れそうな顔で俺に言った。
「先輩……。私と、付き合ってくださいませんか? 私、先輩のためなら何でもできます。杏野先輩を超えるのは難しいかもしれませんけど、いつか絶対超えて見せます。だから、だから……」
そこまで言葉を紡いできた宮坂だったが、遂に感情を抑えきれなくなり泣き出してしまった。
俺をここまで好いてくれる子なんて、そうそういないだろう。告白されたのだってこれで二回目だ。本当に嬉しい。
いっその事、深夏を諦めて宮坂と付き合って仲を深めてもいいとすら思えてしまうくらい、彼女の想いは本気だ。
……だが、深夏をアイツに取られるのはやっぱり嫌だし、引きたくない。
揺らいでしまったとは言え、俺が深夏を想う気持ちもまた、本気なんだと気づかされた。
「ありがとう、宮坂。本当に嬉しいよ」
俺の言葉に、宮坂の小さな体がびくりと跳ねる。
ここまで慕ってくれている子に言うのは心苦しいが、それでも言わなきゃならない。
「でも俺……。深夏のことが好きなんだ。本当にごめん」
「…………そう、ですよね。分かってました」
泣きじゃくりながらも、無理やり笑顔を向けてくれる宮坂に心が痛む。
「私じゃ、先輩達の間には入れないんだろうなって、分かってました。でも……好きになっちゃったこの気持ちだけは、どうしても伝えておきたかったんです」
「宮坂……」
「ごめんなさい先輩、困らせるようなことを言ってしまって……。ありがとうございました、スッキリした気分です」
涙を零しながら笑う彼女の顔は、とても儚げで……とても綺麗だった。
言葉を失う俺に、宮坂は続ける。
「先輩。杏野先輩は、三田先輩のこと嫌いなんですよ。知ってましたか?」
「そう、なのか?」
「はい。いつも更衣室で愚痴を零してます。なんで興味もない人の話を、延々と聞かされないといけないんだって。愛想笑いするのも大変だって」
そうだったのか。俺はてっきり、アイツの事が好きであの顔をしていた物かと……。
「ふふっ。私から言えるのはここまでです。あとは先輩が考えてあげてください」
「……あぁ、分かったよ。ありがとうな宮坂」
「いえいえ。私はもう一人で帰れますので、あとは大丈夫ですよ」
「そうか。それじゃ、気を付けてな」
涙の跡を残したまま笑って手を振る彼女に、俺は背を向けて教室を後にする。
扉を閉めて僅か数秒後に再び宮坂の泣き声が聞こえてきたが、もう戻ることはできない。
俺も、この想いを言葉にしないといけない。
小走りで来た道を戻っていくと、まだ深夏は三田先輩に捕まっていた。
愛想笑いで対応する深夏が、俺の姿を見て驚きの声を上げる。
「あれ、陽介? なんで戻ってきたの?」
「お前に言わなきゃいけないことがあってな」
「私に?」
俺は頷き、三田先輩を真正面から見据えて言葉を放つ。
「三田先輩。悪いんですが、深夏はあなたには渡しません」
「ちょっ、陽介!?」
突然の言葉に声を失い驚いている三田先輩を無視して、俺は深夏に向き直る。
深夏は普段の俺と少し違うことを感じたらしく、黙って俺を見返してきた。
「深夏。俺、ずっと前からお前のことが好きだ。いつからかなんて分からない。だけど、お前が俺の側で笑っているのを見るのが一番好きだ」
俺の告白に驚いたような顔を浮かべる深夏。
宮坂のように一度深呼吸を挟み、真剣な顔で深夏に言葉を紡ぐ。
「俺は三田先輩のようには輝けない。勉強だって運動だって人並みだ。それでも、俺はこれからもずっとお前を傍で支えていきたい。お前がいつでも笑っていられるように努力する。だから深夏……俺の側で、ずっと笑っていてくれないか?」
「なによ、それ……」
深夏はいつものように軽口を言おうとしていたようだが、声が震えて上手く言えていない。そのまま何かを言おうとしていたが、やがて顔を俯けて鼻をすすり始めた。
彼女の返答を待ちながら観察すると、大粒の涙がぼろぼろと地面に零れ、染みを作っていた。それは数秒の間だったが、永遠にも等しい時間に感じられた。
しばらくしてから、深夏は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、俺に困ったように笑いかける。
「あんた、私がその言葉をどれだけ待ってたと思ってるの? ホント馬鹿。最低。万年平凡男子」
「悪かったな平凡で……」
「馬鹿。大っ嫌い。……嘘、大好き」
しゃくりあげながらも目元の涙を拭った深夏は、これまでに見てきた笑顔の中でも最高に可愛い笑顔を向けながら俺に告げてきた。
「私を泣かせたら許さないんだからね! 覚悟しておいてね陽介!」
「あぁ。お前を泣かせないって約束するよ」
「泣かせたら特盛パフェを毎日食べさせてもらうからね!」
「それはお前が太るんじゃないのか? まぁいいが……」
いつもと変わらない軽いやり取りを交わしながら、今度は三田先輩を見据える。
「俺は先輩に比べたら特筆するようなものもない平凡な奴です。ですが、先輩よりは深夏を幸せにしてやれる自信はあります」
「……やれやれ。初めから僕に勝ち目は無かったって訳か」
三田先輩は大袈裟におどけて見せると、表情を一変させて真面目なトーンで俺に言葉を返す。
「杏野ちゃんを泣かせたら、その時は僕が君を殴りに行くから覚悟しておいてね」
「……はい」
俺の返答に三田先輩は頷き、深夏に別れを告げる。
「それじゃあね、杏野ちゃん。お幸せに」
深夏からの返答も待たず、三田先輩はひらひらと手を振って去っていった。
その背中が見えなくなってから、深夏がぽつりと心境を零した。
「私もね、ずっと前から陽介の事が好きだったんだけど、最近不安だったんだ。ほら、陽介ってば宮坂ちゃんに優しくしてるから、宮坂ちゃんのことが好きなんじゃないかなって思ってた」
「宮坂は見てて危なっかしいからな。気にはしてたさ」
「私から見たら、好きな人を追うような目だったの! でもそれは誤解だったんだって確認できてホントに良かった。陽介が他の子を好きになっちゃったら、私立ち直れないとこだったから」
「それは俺も同じだ。俺はてっきり、三田先輩のことが好きなんじゃないかって思ってたからな」
俺の言葉に、深夏は心底嫌そうな顔を浮かべながら否定してきた。
「やだよあんな優男! バスケ部繋がりってだけで愛想良くしてたけど、ホント毎日毎日めんどくさかったんだからね!」
「悪かったよ、気づかなくて」
ぷくーっと膨れて見せる深夏に謝ると、深夏はクスクスと笑い出した。
本当に、表情がコロコロと変わって可愛い奴だ。
「それじゃあ、今日からは幼馴染から恋人になるんだね。やっと結ばれて嬉しいけど、なんだか実感無いなぁ~」
「それはそうだろ。別に何かが変わるって訳じゃないし」
「そうなんだけど……。あっ、ねぇ陽介。ちょっと屈んでくれない?」
「……こうか?」
言われるがままに若干姿勢を下げる。
すると――。
「んっ……」
顔の位置が下がった俺の頭を掴んだ深夏が、俺の唇に自分の唇を重ねてきた。
ゼロ距離で見える、彼女の長いまつ毛。俺の顔に掛かる、深夏の小さな息遣い。そして微かに震えながらも押し付けられる、深夏の柔らかな唇の感触。それらが俺の思考を埋め尽くす。
突然のことに動けないでいると、数秒間キスをして満足したらしい深夏が、いたずらっ子のような笑みを浮かべて俺から距離を取る。
「えっへへ~。陽介の初めて、奪っちゃった!」
「お、おおおお、おま、おまっ……!!」
「あっははは! 陽介の顔やばっ! 写真撮っていい?」
「良い訳あるか阿保!!」
「きゃー!」
全力で逃げる深夏を追いかける俺。
恋人同士になったからって、関係が急激に変わるなんてことは無い。
だが、募らせていた想いが通じ合った今日。俺達は確かに一歩、未来へと踏み出したのだ……。
【作者からのお願い】
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