第5話 一日目
「え? なんだって?」
「うん。だからね。私のお兄ちゃんになって」
「……」
──お兄ちゃん。
その言葉に、オレは耳を疑った。
オニイチャン、ってなんだ?
おにいちゃんて、あれだよな。
一番最初に産まれた、兄貴的な……
「はぁ!? それダメだろ!?」
「あ、だめ? なら、弟でもいいよ」
「そういう問題じゃねーんだよ!! それ、嘘だろ!!? オレはお前の兄貴じゃねーし、むしろ人間でもねーし! お前、なに開始早々、オレのこと消滅させようとしてんの!?」
この一週間は、絶対に嘘をついてはいけないといわれている。
それなのに、お兄ちゃんなんて嘘をついたら、オレの魂は即刻天上界につれ戻されて、消滅させられちまうじゃねーか!!
「おまえ、オレの話きてたのか!? オレ今、嘘つけないって」
「これは嘘じゃないよ。家族ごっこ」
「か!?」
瞬間、オレは目を見はった。
「か……家族、ごっこ?」
「うん。ただの”ごっこ遊び”だもん。だから嘘にはならないよ?」
嘘には──ならない??
予想だにしなかったコハクの返答に、オレは困惑する。
天使であるオレが、人間の『兄』になるというのは、あきらかに嘘だと思う。だって『偽りの家族』になるのだから。
それなのに……
(あれ? でも、嘘って、いったいどこからが嘘になるんだ?)
遊びならセーフなのか?
それともアウトなのか?
よくよく考えたら、どこからどこまでが嘘になるのか、その基準が全く分からない。
サリエルは、今、オレの心の声を聞いているんだろうか、もし聞いているなら、答えが知りたい。
だが、聞いているのかいないのか、サリエルから答えが返ってくることはなく……
「ねぇ、ダメかな?」
「……っ」
すると、コハクは、困りはてるオレを見つめて、可愛らしく、お願いをしてきた。
小首をかしげて、柔らかくほほえむコハク。それをみて、オレは、グルグルと考える。
コハクは一週間後に死んでしまう。そんな余命幾ばくも無い、女の子の最期の願いだ。
心優しい天使なら、聞いてあげるべきなのだろう。
そう、コハクを、傷つけずに看取れというのなら──
「あー! わかったよ!!ごっこだな!! 遊びなんだよな、これ!」
「うん」
「よ、よし。じゃぁ、お前の兄貴になるってことで」
「わー、ありがとう。じゃぁ、今日からクロは、私のお兄ちゃんね!」
そういうと、コハクは、とても嬉しそうに目を細めた。
◇
7月1日
浅羽コハクが死亡する日まで──あと6日。
◇
それから一夜明けて、その日の朝。
オレは、ベッドの横に備えつけられた来客用の丸イスに腰かけて、なにをするわけでもなくコハクを見つめていた。
あの後、再びベッドに戻ったコハクは、朝起きても変わらずに落ち着いたままだった。
目が覚めて、顔を洗ったり、看護師がきたりしたあとは、午前8時になり今は朝食の時間。
運ばれてきたコハクの病院食は塩分ひかえめの健康的なメニューばかりで、オレが見るかぎり、どこか物足りない食事だったが、コハクが言うには、そこそこ美味しいらしい。
コハクは、それをゆっくりと平らげたあと、最後にとっていたリンゴをひとつ口にする。
「なぁ、兄貴ってなにをすればいいんだ?」
すると、あまりにもヒマすぎたからか、オレはなにげなしにコハクに問いかけた。
「え? わかんない」
「は?」
「だって、私、お兄ちゃんいないし」
「……」
いや、テキトーすぎるだろ?
てっきり、”お兄ちゃんになって”なんていうものだから、してほしいことがあるのだと思ってた。
「なにもないのかよ。なんだ、その名ばかりの兄ちゃん」
「だってクロ、他の人には見えないし、幽霊みたいなものでしょ? クロはお兄ちゃんとして、私とお話してくれてたら、それでいいよ」
「……」
幽霊……そうきたか。
さっき看護士が朝食を運んできたとき、コハクのそばにいたオレには、一切気づかなかった。
だからか、"他の人間には見えていないこと"を、コハクは理解したのだろう。
それゆえに「幽霊」なんていってくるのだろうが
「……ほら」
「え?」
コハクの前に手をさしだすと、いきなり差し出されたその手を見て、コハクは目をパチクリと瞬く。
「握ってみろ。看取られるやつは、ふれられるぞ」
「ええ!!?」
瞬間、コハクが人一倍大きな声を発した。
昨夜から、ずっと穏やかに笑っていたコハク。だからか、そのびっくりしている姿は、とても新鮮で
(なんだ、そんな顔もできるんじゃねーか……あんまり感情ださないから、ロボットかなんかだと思ったぜ)
手を差し出したまま、そんなことを考えていると、コハクはとまどいながらも、ゆっくりとオレの手にふれてきた。
「……わ、ホントだ。私、幽霊にさわってる……っ」
「だから、幽霊じゃねーって。天使だ、天使!」
まぁ、実際に他の人間には見えてないわけだから、幽霊という気持ちも分からなくはないけど…
「へー……クロの手、あったかいね」
「……」
すると、ふいにコハクがそんなことを呟いて、なんだか不思議な気持ちになった。
触れた手は、確かに温かい。
でも、なんでだろう。
ただ、手をつないでいるだけなのに……
「本当に、ふれられるんだね?」
「まーな。あとは」
すると、少し感動しているコハクを見て、オレはついでとばかりに、あいているもう片方の手をコハクの手元に伸ばすと、コハクが食べていた一口大のリンゴをヒョイと手にとり、そのまま口の中にほうりこんだ。
「え? リンゴ、食べられるの?」
「あぁ、食べ物も食べられるし、物も持てる。ただし、まわりの奴にはオレの姿は見えてないから、もし他の人に見られたら、リンゴが宙に浮いてるように見えるぞ! よって、この病院にホルターガイスト現象疑惑が持ちあがる!」
「ええ!? それは病院に迷惑かけちゃう!」
そうなんだよ。
だからこそ、細心の注意をはらうよう、サリエルにも言われてるんだよ。
「まぁ、周りに見えないだけで、オレたちも普通の人間とそんなに変わんねーよ。でも、見えてないのは事実だからな。人前でオレに話しかけるなよ。頭おかしくなったって思われるぞ」
「あ……そっか。誰もいないところに話しかけてる今の私は、まわりから見たら、おかしい子なのかな?」
コハクは手をはなすと、少し残念そうにそう言った。
「あ、リンゴまだ食べる?」
だが、その後また、にこやかに笑うと、フォークに刺した一口大のリンゴを再びオレの方に差しだしてきた。
……て、このまま食えってことか?
「いらねーよ。自分で食え」
「え? でも、クロお腹すいてるでしょ? 食事とかどうするの?」
「あーこれは仕事だからな。食事は天界から差しいれてくれる」
「へー。いたれり尽くせり、ていうか、本当にお仕事なんだね?」
そう、これは案外、楽な仕事だった。
ただ、死ぬ人間のそばにいて、死ぬまで付き添えばいいだけ。
特に面倒なこともないし、食事や必要なものだって、使いの鳥たちが運んできてくれる。
オレの場合は罰だからでないけど、ちゃんと給金もでるらしい。
(本当……こうして、コハクと話してるだけでいいんだから、楽な仕事だよな)
そう。これは仕事。
一週間、嘘をつかずに、この仕事をこなせば
一週間後、コハクが死ぬのを見届けさえすれば
オレは晴れて、自由の身だ!!