第22話 死の儀式
それから、あっという間に一週間が経った。
青く澄わたる空は清々しい快晴。この日も天上界は、いつもと変わらない景色が広がっていた。
ある者は風に揺れる花を摘み、またある者は木陰で子供たちに本を読み聞かせ、またある者は、湖のほとりで歌を歌う。
活気に溢れた街の市場では、美味しそうなパンの香りと、色とりどりの果物。
そこでは、今日も天使達が、笑い、喜び、駆け回り。華やかな一日を過ごしていた。
だが、そんな中、サリエルがいつも使う部屋とは、また別の広間に通されたクロは、その中央に大きく刻まれた"魔法陣"の中にいた。
高い天井には、星座をモチーフにした美しい絵画。縦長の天窓からは、幾重にも重なる七色の光が射し、魔法陣を幻想的に照らす。
そこにあるのは、今にも神様が降りてきそうな、そんな神々しい光景だった──
だが、その場所で、今から行われるのは、決して晴れやかなものではない。
なぜなら今から行われるのは、天使の魂を消滅させる「死の儀式」だから。
「さて、始めましょうか」
魔法陣の外から、サリエルがクロを見つめそう言うと、クロはキュッと唇をかみしめた。
いつもの涼し気な表情を浮かべるサリエル。その背後では、ラエルがひどく神妙な面持ちでクロを見つめていた。
無理もない。なぜなら今からクロは、消滅させられるのだから──
「この一週間、楽しく過ごせましたか?」
「っ……このドS野郎……楽しいわけねーだろ…ッ」
その無神経な問いかけに、クロはきつくサリエルを睨みつけた。
楽しく過ごせるわけがない。
家族もいない。友達もいない。自分が死んだところで、悲しむ人もなんて誰一人いないクロにとって、この一週間は、自分が「必要とされていない天使」なのだということを、改めて実感した一週間になった。
嘘をつくのが好きで、たくさんの天使を騙し、その『心』を傷つけてきた。
今更、後悔しても遅いけど、だからこそ自分は、今「独り」なのだと思った。
死亡日時を告げられたのに、最期の一週間、誰も寄り添ってはくれなかった。
一人でご飯を食べて、一人で過ごした。
どこかに出かける気にはなれなかった。街の中で、楽しそうにしているほかの天使達をみると、無性に腹が立って、無性に泣きたくなったから。
でも、それも全部、自分のせいだった。
嘘をついて、傷つけてきた自分のせい。
まさに、極悪非道な出来損ない天使。そう言われていた自分にふさわしい
───『哀しい最期』だと思った。
そして、それから時が進み、正午を迎える5分前。
サリエルが、小さく呪文のようなものを唱えると、眩い光と共に大きな鎌のようなものが現れた。
その鎌は、サリエルの背丈ほどある大きなもので、持ち主の髪と同じ銀色に光る美しいものだったが、その鎌を手に取り、髪をなびかせるサリエルの姿は、天使ではなく、どちらかと言えば「死神」に近い。
「……ッ」
クロは、サリエルのその姿を見て、思わず息をのんだ。
これは、夢ではない。まぎれもない現実だ。今から自分は、消滅……いや
───処刑される。
「惜しい子を亡くしますが、仕方ありませんね」
サリエルが魔法陣の中に入ると、その鎌の切っ先を、スッとクロの首元に近づけた。
傷つけられているわけではないのに、鎌が自分の首筋にあるのかと思うと、そのわけもわからない重圧に、全身の肌が粟立った。
──怖い。
自分の目の前に「死」があるということが
「後悔していますか? あの時、嘘をついたこと」
あの時──そう言われて、クロは、コハクの最期の時を思い出す。
最期の最期で、クロはコハクに「会えるよ」と嘘をついた。
人間と天使──別々の世界に住む自分たちが、再び会えるはずなんてなかった。
天国に昇ったコハクは、そのうちまた人間界の生き物に生まれ変わる。
そして、生まれかわった魂は、コハクであり、コハクではなくて。
でも、それでも「会えるはずない」とわかっていて「会える」と嘘をついたのは、少しでも笑って、最期を迎えてほしいと思ったから
だから────
「後悔なんてしてない。オレはここまで覚悟して、嘘をついたんだから」
まっすぐサリエルを見上げ、クロはハッキリと言葉を放った。その姿にサリエルは
「そうですか……」
と、どこか悲しげにクロを見つめると、一度鎌を引き、その切っ先を頭上高く構える。
「大丈夫ですよ。魂を切るだけですから、痛みは、ほとんどありません」
「……っ」
覚悟はしていても、自然と体は震えた。酷く汗が流れてきて、立っているのがやっとだった。
そして、時刻は迫り、残り──あと1分。
「目を閉じていなさい」
「く……ッ」
その時が来たのだと実感して、クロは痛いくらい歯を食いしばった。
恐怖に震えるクロと、穏やかに微笑むサリエル。
その対象的な二人を遠巻きに見ていたラエルは、その光景に耐えきれず視線を反らす。
そして、時計の音がカチカチと耳に響くのを聞きながら、クロは、ゆっくりと瞳を閉じた。
オレは今まで散々、嘘をついてきた。
嘘をついて
たくさんの人を傷つけてきた。
きっとこれは
今まで傷つけてきた人達の痛みや悲しみが
全部、自分に返ってきたんだろう。
でも──
最期についたあの嘘だけは違った。
オレのついた嘘で、あの時コハクは
笑ってくれた。
嘘をついて喜んでもらえたことなんて
今まで、一度もなかった。
コハク──
もしかしたら、いつかまた
生まれ変わったコハクに会えるかもとか
そんなことを考えたりもしたけど
やっぱりオレには、叶えられそうにない。
ゴメン
ゴメン
ゴメン
あんなに、喜んでくれたのに
オレは、もう二度と、お前には会えない。
ごめんな、コハク
嘘をついて
──────ごめんな。
ザッ─────!!
リーン…
ゴーン…
その瞬間、鎌が風を切ると同時に、時計塔の鐘の音が天上界に響き渡った。
その音は、まるで死者の魂を弔うかのように、優しい音を響かせていた。