第15話 未来が変われば
「クロ、これは一体、なんのつもりだ?」
ラエルは、折り紙を手にして、クロを睨み付けた。
手にした、その折り紙には『7日の夜、23:40に、207号室に来てください』と書かれていた。
コハクの死亡日時は、23時46分。つまりこれは、コハクの死亡時刻より少し前に、コハクの病室まで来てほしいということ。
直接的なことは、なにも書かれてはいないが、これを藤崎が見れば、コハクが死ぬ直前に、コハクの病室に訪れることになる。
もし、藤崎の前でコハクの容態が急変したならば、コハクはその日――死なない可能性も出てくる。
「貴様、わかっているのか、自分のしたことが!!」
「……っ」
クロの胸ぐらを、きつく掴みあげ、ラエルが声を荒らげる。
「もし、俺が間に合わず、あの娘の未来が変われば、お前は神に逆らった大罪人になるところだったんだぞ!」
「わかってるよ! でも……でも、オレ、コハクが死ぬとこ……見たくないんだよ……っ」
「ッ……」
その悲痛な声をきいて、ラエルは言葉を失った。
あの娘の何が、クロをここまでさせるのかはわからないが、それは、嘘ではなく、紛れもない本心なのだということは、よくよく伝わってくる。
「……クロ、お前」
たかだか一週間。嘘ばかりついて他人を平気で傷てけてきたクロが、ここまでコハクに情を移すなんて想像もしていなかった。
きっとそれは、サリエルだって同じだったのだろう。だから、慌てて、あんなホコリ臭い書庫まで来たのかもしれない。
このまま天上界に連れて帰れば、クロはどうなってしまうのだろう。
もはや『二度と嘘をつくな』そんな罰がどうこういう話ではなかった。
神様に逆らおうとした時点で、クロは立派な危険因子となったのだから。
だが、ラエルとて、サリエルの命令に背くわけにはいかない。
「っ……とりあえず、今から貴様を天上界に連れて帰る。サリエル様か、直接、お前に話しがあるそうだ」
ラエルがクロから手を離せば、クロはその言葉を聞いて、きつく唇を噛み締めた。
あのサリエルが気づかないわけがない。それは、分かっていたはずだった。
だけど、さすがに現実を突きつけられると、身がすくんだ。
このあと、自分はどうなるのだろう。
神様のために生まれ、神様のために生き、神様が必要ないときめたら、あっさり殺されてしまう種族。
そんな自分たちだからこそ、神様に逆らうという行いは、一番やってはならないことだった。
それなのに──
「クロ!」
瞬間、夕闇な中にコハクの声が響いて、クロは目を見張った。
「はぁ、はぁ……っ」
クロを探しに来たのか、いつものパジャマ姿のコハクは、少し息が上がっていて、クロを見つけるなり、走ってきたのだと分かった。
「コハク、お前、走るなって言われてるだろ」
「クロ……だれ、その人……っ」
胸元を押さえ、呼吸を整えながら、コハクがラエルを見て問いかける。
その問いに、ラエルは何かを察すると、その瞬間、翼を広げて、コハクの前に降りたった。
「浅羽コハク。悪いが、今からクロを天上界に連れて帰る」
「え?」
その言葉に、コハクは瞠目する。
連れて帰ると言うことは、クロがここからいなくなるということだ。
「……どうして?」
「クロは、神に逆らい大罪を犯そうとした」
「大罪……?」
再びクロを見上げれば、クロは苦々しい表情のまま一切なに話そうとはしなかった。
クロはきっと、自分のために何かしてくれたのだと思った。
神様に逆らうような、天使が決してしてはいけないことを───
「戻って……きますよね?」
一抹の不安が過ぎり、コハクは再びラエルの問いかけた。だが、ラエルは
「わからん。クロをどうするかはサリエル様しだいだ」
「……っ」
その返答に、コハクはきつく唇をかみ締めた。
すると、ラエルはそんなコハクを見て
「浅羽コハク。お前はもうすぐ、死ぬ」
「!?」
ハッキリとした声で。あまりに残酷な言葉を口にするラエルに、コハクはもちろん、クロも戦慄する。
「ッ──ラエル! お前!!」
「クロは、黙っていろ」
カッとなったクロがラエルに反論しようとするが、それを静止して、ラエルは再度コハクを見つめた。
「いいか、お前は7日の夜に死亡する。クロが何をいったかは知らないが、こいつが言った言葉は全て『嘘』だと思え。クロは、とても嘘をつくのが上手いからな。だから、どんなことがあろうと────お前の未来が変わることはない」
「ッ……」
はっきりと放たれた言葉に、コハクはキュッと胸元を握り締めた手に力を込めると
「はい……わかって……います……っ」
そう、一言だけ発して、コハクは黙りこむんだ。
それを見て、クロは悲しそうに目を細めた。
(なんで……っ)
コハクの気持ちがわからない。
どうして、そんなに簡単に納得するんだよ。
生きたくないのか?
治りたくないのか?
本当に、それでいいのか?
オレがしたことは、コハクにとって、余計なことだったのか?
「いくぞ、クロ」
「……」
ラエルが、再び翼を広げクロに声をかけると、クロも覚悟を決めたのか、そのまま夜の空へと飛び上がった。
「ごめん、コハク……」
木の下から自分を見上げているコハクに目を移すと
クロは、小さく、小さくそう呟くきゆっくりとコハクに背を向けた。
「ごめんな……最期、看取ってやれなくて……っ」
「……っ、待って……っ」
その言葉はコハクの胸に、重く重くのしかかった。
自分に背を向け、飛び立つクロの背を見つめながら、コハクは呼びかける。
「待って……待って、クロ!!」
何度と何度と、夕闇の空に呼びかける。
「ぁ、違う……違うの……クロは──」
──クロは悪くないの。
だが、そこにもうクロの姿はなく、その弱々しく放たれた言葉は、もうクロに届くことはなかった。
空を見上げれば、そこには、あの日二人が出会った時のように、キラキラとの星が輝いていた。
それは、とても美しく、それでいて、どこか悲しい空だった。