第14話 どうしよう
夕方 5時半――
その後、病室に戻ったコハクは、主治医である藤崎に、身体の具合をみてもらっているところだった。
あのあと、たまたま近くを通りかかった人が、泣いているコハクに声をかけ、コハクは看護師に連れられて病室まで戻された。
多少、息が上がっていたが、幸いにしてそれ以上、悪化することはなく、コハクの心拍もだいぶ落ち着いた。
だが、そのことは、しっかりと藤崎の耳にも伝わり、念のため診察を受けることになったのだが
「ビックリしたよ、泣いてたって聞いたから……なにかあったのかな?」
診察を終えた藤崎が、ベッドに座るコハクの横に腰かけて、穏やかな口調で話しかける。
だがコハクは、ただ無言で首を振るだけだった。
藤崎は、何も言わないコハクをみて、心配そうに眉を下げる。
ここ最近、看護師の間でも噂になっていた。
コハクが、急に独り言を言うようになったと。それは、まるで誰かに話しかけるように、何もない場所に向かって笑っていると。
藤崎は、その話を聞いてから、コハクが心配で仕方なかった。
二年にもわたる長い闘病生活。
遊びたい盛りの13歳の女の子が、友達と一緒に中学校に上がることもできず、ただひたすら病院になかに閉じ込められて、いつ訪れるか分からない死におびえている。
正直、いつ心の病を併発してもおかしくなかった。
「コハクちゃん……何か、話したいことはある?」
コハクを見つめると、藤崎はよりいっそう優しい声で話しかけた。するとコハクは、少しだけ考えた後
「あのね、先生……私……っ」
「……」
だが、何かを口にしようとして、コハクはぐっと言葉を飲み込んだ。
コハクは迷っていた。
生きていてほしい──そういった、クロの言葉に、生きるべきかを迷っていた。
今、藤崎先生に話をすれば、もしかしたら、なにか変わるかもしれない。
運命が変わるかもしれない。
だが、コハクは、きつく拳を握りしめると
「先生……私のドナーって……見つかるのかな?」
絞り出すように、小さく小さく問いかけたその言葉に、藤崎は一瞬、躊躇する。
話すべきか、話さないべきか。
だが、その後、話す覚悟をしたのか、しっかりとコハクの目を見つめ、藤崎は真面目な顔をして話し始めた。
「正直に言うと、ドナーが現れる確率は、きわめて低いよ」
「……」
「前にも話したけど、コハクちゃんの血液型は少し珍しいものでね。その上、心臓移植のドナーとなると『脳死判定』をうけた相手になる。脳死判定って、とても難しい問題なんだ。脳は機能していなくても、心臓は動いてる状態……まぁ、だから移植できるんだけど……ただ、その状態を”死”と認めるかどうかは、その家族の判断にゆだねられる。いつか目が覚めると願う家族もいれば、覚悟を決める家族もいる。覚悟を決めても、心臓は渡したくないという家族もいる」
「……」
コハクは、ただだまって藤崎の話を聞いていた。藤崎は、そんなコハクを申し訳なさそうに見つめると
「でもね、コハクちゃん。確率は低いかもしれないけど、決して『0』ではないんだ。今日は現れなくても、明日、急に見つかることだってある。だから、まだ、諦めてはいけないよ」
「……」
藤崎がそういうと、コハクはこくりと頷いた。その後、コハクはまた何も話さなくなって、藤崎は
「また不安になったり、話したいことがあったら、いつでもいって……」
そう言って、ゆっくりと立ち上がると「また、くるよ」と微笑みかけ、コハクの病室から出ていった。
「……」
病室には、コハクだけが残された。
そこにクロの姿はなく、一人きりの病室は、やけに静かだった。
「っ……」
コハクは、クロのことを思いだすと、キュッと目を閉じ、まるで赤子ようにうずくまった。
「どうしよう、私……っ」
目に涙を浮かべながら、自分の体を抱きしめる。
まるで、壊れそうな心を抱きしめるかのように──
◇
◇
◇
──ガチャ
それから、暫くして、藤崎は一通りの業務を終えると、自分の席に戻ってきた。
手にしていた書類をデスクの上に置くと、ふうと息をついて、イスに腰かける。
回転式のイスに座れば、それはギシリと鈍い音をたてた。
時計を見れば、時刻は8時半。
外はすでに暗くなっていて、今夜からは、しばらく夜勤続きか……と、藤崎は軽く背伸びをすると、再びデスクに目を向けた。
「ん?」
すると、そのデスクの上に、見覚えのない紙が置いてあるのに気づいた。
折り紙だろうか?
そこには、四つ折りにされた正方形の白い紙が置かれていた。
(なんだ?……手紙か?)
白い折り紙には、うっすらと文字が透けて見えた。藤崎は、ふと気になり、その折り紙に手を伸ばす。
──コンコン!
「!」
だが、その折り紙を取ろうとした瞬間、部屋の扉が開かれて、藤崎は手を止める。
「藤崎先生、すみません。506号室の山田さんのことで、ちょっと確認しておきたいことが」
「あぁ、山田さん?」
みれば、女性の看護師がカルテを片手に藤崎のもとにやってきて、藤崎は、席を立ち看護師のもとに歩みよると、手渡されたカルテを手に取った。
「はい。ありがとうございます。先生」
「いや、じゃぁ、あとは任せたよ」
それから、しばらくして、藤崎は会話を終えると、再びドアを開け部屋から出ていった看護師を見送った。そして、背を向けていたデスクに、再び藤崎は向き直る。
「あれ?」
だが、その瞬間、藤崎はきょとん首をかしげた。
デスクの上を見れば、先程はあったはずのあの折り紙が、なぜか、なくなっていた。
「え!? あれ?」
消えた折り紙。だが、確かにあった。そう思い、藤崎は困惑する。
その後、床に落としたのかと、デスクの周りを探すが、そこに折り紙らしいものは、一切みあたらず……
「あれー、オレ疲れてんのかなー?」
そう言って、しぶしぶ自己完結させると、藤崎は再びデスクに戻り、なにごともなかったかのように、先ほど持ってきた書類に目を通しはじめた。
そして、そんな藤崎を、窓の外から見つめる視線が、二つ。
「サリエル様が、お前を連れてこいと言った意味が分かった」
「……」
そこには、気難しい顔をしたラエルとクロの姿があった。
そして、ラエルのその手には、先ほど藤崎が手に取ろうとしていた、あの”折り紙”が握られていた。