第12話 ずっと、一人で
「あれ、コハクちゃん」
その後、二人で病室を出ると、その先で、白衣を着た30代くらいの男の先生に声をかけられた。
スレンダーな体格をした爽やかな笑顔が印象的なその先生は、コハクの主治医でもある藤崎先生だった。
「おしゃれして、お散歩かな?」
「うん!」
「最近、調子がいいみたいだね。コハクちゃんが元気だと先生も嬉しいよ」
藤崎先生は、少し前かがみになりコハクに声をかけると、コハクもまた人懐っこそうな笑顔を浮かべて、藤崎先生に言葉を返す。
「ありがとう、藤崎先生。今日は天気もいいし、最近ずっと外に出てなかったから、たまには外を探索してみようと思って」
「あぁ、行ってらっしゃい。でも、くれぐれも心臓に負担をかけないようなことはしてはいけないよ。あと、なにかあったら、すぐ側にいる人に伝えて」
「はーい」
にこやかに笑いかける藤崎先生に、コハクが笑顔で手をふりかえすと、その後オレを先導して、エレベーターで一階のロビーまでおりた。
総合病院と言われるだけあって、そのフロアはとても広くて、患者がゆったりと待てるように、広めのソファーとか、一人掛けの座り心地のよさそうなイスがバランスよく並べられていた。
「あ、あった」
「おい、どこ行くんだよ?」
ロビーに出てそうそう、コハクは何を見つけたのか、声を上げて移動し始めた。
コハクの行く先を見れば、その広いロビーの一角に、飾りがたくさん飾り付けられた”笹”が置いてあった。
立派な笹は、今はまだ斜めに横たわっていて、各々、短冊に願いごとを書いては、ひとつひとつ丁寧に結びつけられていた。
どうやら、この笹を、7日の朝に外に立てかけるらしい。
だけど、ここが病院だからか、短冊に書かれた願い事は、病気や怪我が早く治ってほしいと書かれてたものがほとんどで、コハクは、他の人のねがいごとを一通りながめたあと、自分も病室で書いたであろう、短冊を笹に結びつける。
「結局、何を書いたんだ?」
オレは、ふと気になって、問いかける。
「サリエルさんへのお礼!」
「はぁ!? マジで書いたのかよ!!」
まさか、本当に書くとは思わなかった。細い”こより”でつるされた短冊には
『サリエルさん、クロに会わせてくれて、ありがとうございます』
と、サリエルへのお礼が、しっかり名だしで書かれていた。
「なんだこれ、外人|宛の手紙みてーじゃねーか。神様に届ける意味、誰もわかんねーぞ」
「いいの。私の自己満足だから!」
そういうと、たくさんの願いが書かれた笹を見つめて、コハクはいつものように笑う。
「もっと、他のこと願えよ」
「だって、私もう死んじゃうし。それに、願ったところで神様は私の願いなんて叶えてくれないよ」
「……」
他にも、叶えたい願いがあったのだろうか?
ふと、そんなことを思った。
「それに、私の願いは、もうクロが叶えてくれたしね!」
だけど、そういって、オレの前でニコニコ笑うコハクは、まるで”もう未練なんてないよ”とでも言うようで
(……なんで、そんなに笑っていられるんだ?)
もうすぐ、死ぬんだぞ?
怖くないのか?
辛くないのか?
もっと『生きたい』とは、思わないのか?
「クロ!」
「!」
すると、コハクはまたオレをとると
「外、行こう! 外!」
「あ、あぁ……それより、お前、さっきから普通に話しかけすぎ!? オレ、マジで見えてねーんだから、一人言いってるヤバい奴に見えるぞ! 気をつけろよ」
「あはは、わかってるよ。でも、いいの。私クロともっとお話したいし、だから、大丈夫」
──大丈夫。
そう言うコハクに、また胸が締め付けられる。
他人から、どう見られてもオレと話すことを選ぼうとするコハク。
そんなコハクに、もう何も言えなくなった。
ここに来てから今日まで、コハクを訪ねてきたのは、あの時の義理の両親だけだった。
その義理の両親ですら、訪ねてきたのは2か月ぶりだったらしい。
昔は、友達だっていたらしい。
通っていた小学校の話をしてくれたことがあった。
激しい運動はできないから、体育とか運動会はいつも見学だったけど、それでも、友達と過ごず学校での時間は、とても楽しかったと言っていた。
でも、入院してからは、その友達とも会えなくなって、手紙だけのやりとりになって、だけど、暫くつづいたその手紙も、みんなが中学生になった頃には、ぱったり来なくなった。
きっとコハクは、いつも『一人』で過ごしていたのだろう。
あの病室で、いつ死ぬか分からない恐怖におびえながら
ずっと、すっと一人で──
それを思うと、なんでコハクだけが、こんなに辛い思いをしなきゃいけないんだろうと思って、すごく胸が痛んだ。
◇
◇
◇
「ここの病院ね。公園とかもあるんだよ~」
病院のロビーから外に出ると、駐車場の反対側に、芝生が敷き詰められた広大なスペースが広がっていた。
噴水や花壇、そのほかにもベンチとか小さな遊具もあって、入院患者や、お見舞いに来た人たちが外でもふれあえるようにと、設けられたスペースだった。
オレは、コハクに無理をさせないように、ゆっくりゆっくり速度をあわせて歩いた。
先に進めば、車いすを押しながら会話を楽しむ夫婦とか、噴水の側で孫とあそぶ老人とか、いろんな年代の人たちとすれ違った。
そんな穏やかな光景を見つめながら、ゆっくりと病院の庭を探索すると、どのくらい時間が経っただろう。
日がかたむき始めた夕方、オレたちは、人が来ないようなところを選んで、木の側にあった二人掛けのベンチに腰掛けた。
「あー、楽しかったー」
「つーか、この病院広すぎ」
「ホント、私二年もいるのに、まだ知らない所いっぱいあった」
度々休憩を挟みながら、デートと言っていいのか分からない散歩をしたあと「まるで遠出した気分だね」とまた笑顔でいったコハクは
「あのさ、クロ」
「ん?」
「その……羽、触ってみてもいい?」
そういって、オレの翼を見つめながら申し訳なさそうに聞いてきたコハクに、オレは目を見開く。
「羽? 触りてーの?」
「う、うん。ずっとね、クロの羽、綺麗だなーって思ってたの」
「別に……いいけど」
特段、断る理由もなくて、いいよと返事をだすと、コハクは、恐る恐るオレの翼に触れてきた。
まるで猫を撫でるように、羽根の流れにそって、やさしく触れるコハクの手は、温かくて、優しくて、それでいて、少しだけ、すぐったかった。
「わぁ。やっぱりクロの羽、すごく綺麗。病室じゃわからなかったけど、光にあたるとこんなにキラキラして見えるんだ」
「まぁ、羽だけは自信あるからな、オレ」
「羽、だけ?」
「あぁ、嘘ばっかついてきたし、極悪非道な出来損ない天使って言われてるくらいだからな、中身はろくな天使じゃねーよ」
自分で言ってて、虚しくなった。
オレ、なんで嘘つくのが楽しかったんだっけ?
いつから、何のために嘘をつき始めたんだっけ?
自分でも、よく思い出せない。
「そんなことないよ」
「え?」
すると、コハクはオレの羽を撫でながら
「私、クロが来てくれなかったら、最期の一週間を、こんなに楽しく過ごすことなんてできなかった思う。だから、クロは出来損ないなんかじゃないよ。とっても優しくて思いやりのある、立派な天使だよ」
「……」
「クロのおかげで、私とっても幸せだった……ありがとう」
それはまるで、別れの挨拶のようだった。
サヨナラを、言われているような
「でも、あと二日かぁ……過ぎちゃえば、あっという間だね。そうだ。私が死んだら、クロも少しは悲しんでくれる?」
「……」
夏の風がさらりと吹き抜ければコハクの栗色の髪がさらさらと揺れた。
私が死んだら──
まるで世間話でもするように、死んだ後の話を笑顔で聞いてくるコハクに、心の中がもやもやする。
なんで、笑ってるんだ?
なんで、そう簡単に受け入れられるんだ?
もうすぐ、死ぬんだぞ?
なんで?
なんで?
なんで?
オレは──
「オレは……死んでほしくない」
「…………え?」