チャプター7
〜コッペパン通り〜
コッペパン通りに戻ってきたエルリッヒ。この辺りは魔物もまだあまり侵攻しておらず、兵士の数もまばらだった。前回の話として聞かされていたように、南側は比較的平穏なようだ。
それでも、この短期間に二度目の侵攻、通りの人たちはどこかに避難しているようで、閑散としている。家の中も、気配を感じない。一体どこへ……
そんなことを考えていた時だった。
「そうだ、地下室!」
地下室へ避難するのが良い。そうアドバイスしたのは他ならぬ自分だった。ということは、みんな誰かの家の地下室だろうか。それなら、気配を感じないのもわかる。がしかし、どの家に地下室があるのかまでは、さすがに把握していないのだった。
「あ〜、どうしよう」
みんなと合流するのは難しそうだった。こうなれば、とりあえず自宅に戻ってやり過ごすしかあるまい。あまりのんびりと歩いていても怪しまれるので、逃げているような空気を出しながら駆けていく。
幸い、自宅は無事で、中に火事場泥棒がいることもなく、街の人が避難しているということもなかった。だから、一人で気ままに過ごせる。
「ただいま……」
誰もいない家に帰り、二階に上がって部屋に戻る。この窓からでも街の様子は見える。ゲートムントやツァイネ、それにギルドの面々に兵士のみんなに、少しでも活躍してもらうことを願うだけだった。
本当なら、今頃牢に繋がれているか、処刑場から逃げ出して追われる身になっているはずなのが、魔物の襲来というアクシデントによって、一時的にも慣れ親しんだ自宅に戻ることが叶っている。
魔物の襲来は喜ぶべきことではないが、こうして帰宅できたことはとても嬉しい。
「やっぱり、ここが一番いいな……」
今まで住んできたどの街よりも居心地がいい。できれば、この街から離れたくない。そんな思いがこみ上げてくる。
「みんな……ごめん! ごめん!」
いらぬ心配をかけ、もしかしたらこれがこの街にいられる最後かもしれないと思うと、つい涙が出てきた。
「……この街から、出たくないよ。みんな……っ! あ、あれ?」
涙目で窓の外を見ていたら、上空を飛ぶ魔物の数が明らかに減っているのが見えた。みんなの討伐が進んでる証拠だろうが、どこかにあるはずの拠点から送り込む魔物の数が尽きてきた、ということでもあるだろう。
こみ上げてきた悲しい気持ちを一旦脇に置いて、空の様子に意識を向けることにした。
「そっか……魔物だって、生き物だもんね。木の実や花の種みたいに一度にたくさん用意できるわけじゃないよね。とすると、次に出てくるのは、もう一つ強い魔物か、念願の指揮官か」
この先に起こりそうなこと、その時自分がどう動くか、そんなことを考えている時だった。
『愚かな人間どもよ。我は魔王軍が将、ヘルツォークである』
突如、頭の中に声が響いた。
「なっ! 何この声!」
『今お前たちに直接声を送っている。どこへ逃げかくれしようと無駄だ。おとなしく滅ぼされていれば良いものを、貴様たちは愚かにも抵抗を重ね、我が貴重な部下を幾多血の海に沈めた。その罪、今度は貴様たち自身の血で贖ってもらう。如何な抵抗も無駄であると思い知るが良い』
願ったり叶ったり。悪い言い方をすれば、そういうことなのだろう。いよいよ、指揮官が出てきた。今どこにいるのかはわからないが、このように頭に直接声を送るというのは、それなりに高度な芸当のはずだ。それを、それほど離れた場所から行えるとは思えない。おそらく、何かしらの手段で近づいているはずだ。
「行かなきゃ!」
思わず駆け出していた。今は我が身もなりふりも構ってなどいられない。ただただ、みんなの無事と、指揮官の討伐が大事なのだ。
〜中央通り〜
家を出たエルリッヒは、中央通りにやってきた。ここは道も広く、見通しが効いて空も広い。状況を把握するのにはぴったりだ。辺りの魔物はあらかた倒されたのか、辺りには魔物の死体が転がっている。そのうちいくつかが霧散し始めている。まじまじと見たことはなかったが、やはりこの世界の生き物とは違う仕組みの生き物なのだと実感する。
そして、応戦したと思しき兵士も幾人かがその場に座り込んで休んでいる。負傷者は多そうだが、想像したよりもはるかに死者が少ない。被害地域の偏りや、襲ってきたガーゴイルの弱さが影響したのだろう。
「指揮官は?」
ヘルツォークと名乗った指揮官は、今どこにいるだろうか。これ以上見晴らしのいい場所には行けない。お城の尖塔にでも登れば視界はさらに開けるし、なんなら元の姿に戻れば、はるか上空からも確認できる。が、それは今は無理だ。
戦略的なことを考えれば、外門や城壁など気にすることなく上から襲ってくるだろう。目を凝らし、見える限りの空に意識を向けてみた。
「いた! あいつだ!」
明らかに他の魔物とは違う気配を放つ魔物がいた。目測が誤っていなければ人間とさほど変わらない大きさだ。しかし、ガーゴイルよりも大きな翼や立派な角、それに紫色に染め上げられた鎧が禍々しい空気を醸し出している。高位魔族にいるという返信するタイプでなければ、あの姿で戦うことになるようだが、扱う魔法の力までは想像もできない。あれほどの気配を放ち指揮官を任されるような魔物が魔法の力を有していないとは、とてもではないが思えなかった。
『さあ、今度こそこの街の壊滅だ。我が直々に手を下してやろうというのだからな!』
再び響く声とともに、街の中央にゆっくりと降り立った。その様子は外で戦っていた兵士や戦士たちの目にも付いたらしく、それぞれの通りから集まってきた。まだ生き残っていた魔物たちは、恭しく臣下の礼をとっている。おそらく、ヘルツォークが出てきたことで、彼一人でこの戦いに片がつく、ということなのだろう。にくたらしい話だが、それだけの力を持っているということであれば、油断はできない。
「エルちゃん!」
「えっ、その声、ツァイネ?」
どうやら、ゲートムントとツァイネもやってきたらしい。これだけ派手に出てきたら、二人が現れるのも当然のことだ。先ほど避難すると言った手前、少し気まずい。
「ああ、あの声を聞いて、姿も見えてきたからね。俺たちのいた辺りの敵はあらかた倒したし。それより、エルちゃんこそ、避難してって言ったのに」
「い、いや、避難したんだよ。でもさ、頭の中に声が響いて、いてもたってもいられなくなって」
言葉は本当でも、納得はしてくれないだろう。首を突っ込みたがる女の子だと思っただろうか、それとも、何か疑っただろうか。
二人の心証は気になったが、今はそれどころではない。
「そっか。エルちゃん、何気にいろんなとことで魔物と遭ってるもんね。じゃなくて! こいつ、明らかにやばいよ。逃げて。何かあってからじゃ遅いんだし」
「だな。俺たちが戦ってる間に何とか逃げてくれ」
二人の心配は嬉しいが、自分もヘルツォークの力を見定めたい。戦ってるところをその目で見るまでは、どうしても動きたくなかった。周りの兵士や戦士の人たちが浮き足立っている以上、余計な被害が出る可能性もある。何とかこの場に残らなければ。
「ありがとう。でも、みんなが戦ってるのに一人で避難するなんて、できないよ。もちろん少し離れた場所に行ってるから、見守るくらい、させてよね」
「……」
「しゃーねーなー。それなら、俺たちが勝てるようしっかり応援しててくれよ? あいつの攻撃がいかないよう、しっかり守って戦うから!」
守るものがある方が戦い甲斐があると言わんばかりのゲートムントは、強敵を前に少しも怯んでいなかった。
〜つづく〜