チャプター32
〜竜の紅玉亭 お昼時〜
その日も「竜の紅玉亭」は繁盛していた。あれから一ヶ月、街の噂も徐々に鎮まりつつあり、名実ともにいつも通りの賑わいを取り戻しつつあった。
はずだった。
「いらっしゃいませ〜! 空いてる席にどうぞ〜!」
威勢良く扉を開け、お客さんがやってくる。そして、その顔を見て笑顔で出迎えると、すぐに厨房に戻る。それから、誰にも気づかれないように、少しだけ、残念そうな表情を浮かべる。当然、そんな表情は誰にも顔が見えない場所だからこそできるものだし、当然、そんな表情、誰にも見せやしない。それでも、つい沈んだ表情をしてしまうのは、「いつも通り」には足りないピースがあるからだ。
忙しく働いている間はそういうことを忘れられるからいいのだが、来客を迎えるその瞬間だけは、忙しさの中にあって、”それ”思い出してしまうタイミングだった。
「ヴァイツェンクラウト、お待たせしました〜!」
出来上がった料理をテーブルに運ぶ。その帰りには、空になったお皿を集めながら厨房に戻る。この繰り返し自体はとても充実していた。それでもどこか日常に欠けている穴を感じるのは、いつもの顔が見えないから。
ゲートムントとツァイネ。もう一ヶ月も、あの二人の顔を見ていなかった。
「……いつもなら、三日と開けずに来るのに」
何日も来ないことはこれまでにもあった。二人はこの街の冒険者ギルドに登録している戦士だから、依頼があれば街を離れることもあるし、護衛で自由な時間が取れなくなることもある。もちろん、修行のために街の外に出ることもあった。だから、いつもなら気にするようなことではないのだが、どうしても、”避けられているのではないか”という暗い思いがよぎってしまう。
「ま、考えててもしょうがない。今は考えないようにしようっと。っとと、そろそろ締めなきゃだ」
いつもいつも、淋しさを憶えた次の瞬間、こうして思考を逸らす。店の混み具合や時間を考慮すると、この日のお昼の営業はそろそろ終了する頃合いだった。外に出て、「営業中」の札を「準備中」に裏返しに出る。
「今日も繁盛さまでしたっと」
誰にも聞こえないような声量で、いつもと変わらずに来てくれるお客さんたちに小さく感謝の言葉をつぶやく。そうして、店に戻ろうとしたその時だった。
「ちょっと待った〜!!!」
「あと二人、入れてくれ〜!!!」
どこからともなく駆け込んで来る騒々しい足音と、聞き慣れた叫び声がする。それは、考えるまでもなく、エルリッヒがずっと待っていた……
「ゲートムントとツァイネ! 二人とも……なんでそんなダッシュで!?」
「まだ、間に合う?」
「はー……はー……疲れた……っ! ダメでも、せめて、休ませてくれ。後、水を一杯……」
どうやら、二人は相当の距離を走ってきたらしかった。どこからなのか、どれほどの時間なのかはわからないけれど、そうまでして来てくれたことが、とても嬉しかった。
「しょうがないなぁ。本当はもう締め切りなんだけど、特別だからね? それと、他のお客さん優先だから、料理が出てくるのは、遅くなるけど、いい?」
「いい! 全っ然構わないから!」
「はぁ〜、走ってきた甲斐があったってもんだ。安心したら、どっと疲れが出てきた。とりあえず……座らせて…くれ」
なぜだか這々の態の二人を招き入れると、ようやくその日の入店を締め切った。
「二名様ご来店で〜す♪」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
昼の営業が終わると、片付けと自分用の昼食作りを始める。普段はそれだけでいいのだが、この日は違っていた。三人分の食事をこさえなければならない。
これは、嬉しい誤算だ。
「まーったく、どんな事情があったか知らないけど、もう少し余裕を持ってきてよね? みんな驚いてたじゃん」
「悪ぃ悪ぃ。色々立て込んでてさ……」
「本当、ごめんね。次からは気をつけるよ」
驚いていたとは言っても、客の中には顔見知りも多く、ギリギリのタイミングで現れた二人のことは、概ね好意的に受け止められていた。この店の常連であれば、滑り込んででもその料理にありつきたいという気持ちが十分に理解できたからだ。二人の真意がどんなものであれ、その場にいた者たちはそのように捉えていた。
「はい、お待たせ。エルリッヒさん特製ランチですよ」
テーブルの上にお皿を置く。それまで厨房から漂ってきた香りが、途端に温かい湯気ともに力強く鼻腔をくすぐる。
「うおっ! こりゃ美味しそうだ!」
「ゲートムント、品良くしてよね?」
普段のまかないよりも豪華な昼食。人に振る舞う料理だから、お金を取る料理だから、自分だけが美味しければいいというわけにはいかなかった。というのは建前で、久しぶりに訪ねてきてくれた友人には、精一杯の腕を振るいたい。
何よりもシンプルに、避けられていたわけではなかったとわかっただけでも嬉しかった。
「ねえ、食べながらでいいから教えて? 二人はさ、この一ヶ月、どこで何してたの?」
一心不乱に食事にありついている二人を、頬杖をつきながら見つめ、ポツリと問いかける。その刹那、二人の表情が一瞬にして凍りついた。そんなつもりは一切なかったのだが、まるで怒っているかのように感じられたらしい。
「っ!」
「そ、それは!」
そんなに面食らうことないのに、とは思うものの、もしかしたら気に咎めることがあったのかもしれない。果たして、それを突っ込むべきか、そっとしておくべきか。やはり、少し強めに問い質した方が、今までの関係っぽいだろうか。
「何、言えないような事情でもあるの? 他の女の子にうつつを抜かしてたとか? それとも、もしかして、私のこと、避けてたとか。だったら……悲しいな」
わざとらしく悲しげな表情を浮かべてみせる。果たしてどんな反応が返ってくるのだろうか。そう考えると、少しだけ、楽しくなっている自分に気づいた。きっと、この会話が終わる頃には、一ヶ月間抱えていた淋しさも綺麗さっぱり消え去ることだろう。
「そ、そんなことあるわけないじゃん! ね、ゲートムント!?」
「そ、そうだって! ちゃんと説明すっから。だから、そんな顔しないでくれって!」
慌てふためく姿は、やはり見ていて楽しい。避けられているのではと思っていたのは事実なので、こうしていつも通りに接してくれているだけで安心するし、嬉しくなってしまう。
普段通りに近い日常を送っていても、どこか心の隅っこにトゲが刺さったような思いがしていたのだ。でも、それは杞憂だった。それがわかると、心の中の泥がどっと押し流されたような晴れやかな気持ちになる。
「あーっ、ごめんごめん。そんな責めるつもりはなくって、本当に気になっただけだから。何、どっかの大口依頼でもこなしてたの?」
「うん、まあ、そんなところかな。ゲートムント、ちゃんと説明してあげてくれる?」
「ちょ、それを俺に説明させる? そういうのはお前の役目だろーに、ったく……えっと、あの後、一週間くらいは武器の修理をしてもらってたんだよ。さすがに痛んでたからな。でも、何にもしないわけにもいかないってんで、フォルちゃんの護衛をしてたんだよ。街の外に採取に行くっていうから」
武器の修理。そうか、二人は今回の戦いで武器を損傷していた。ゲートムントの槍はさほどでもなかったかもしれないが、自分が知らないだけで痛んでいる可能性はなるほど十分にある。ツァイネの剣は言わずもがなだ。どこの鍛冶屋に修理依頼をしたのかはわからないが、ともすると、あのツァイネの剣を作ったという、お城の秘密の工房かもしれない。だが、そうなると一つの疑問が浮かんできた。
「二人とも、武器を修理に出してるのに、護衛してたの? 徒手空拳?」
「いやいやまさかそんなわけないよ。別に、あれほどの業物じゃないにしろ予備の武器は色々持ってるって。それに、市販の武器でもこの辺りの獣くらいはなんとでもなるからさ。ゲートムントも、一応剣も使えるしね」
「槍の方が得意だけどな。とまぁそんなわけで、この辺りの獣や魔物と戦ってたのが最初の一週間くらい。それから、武器が直ったんで、魔物退治の依頼を受けたり、近場の草原やら森やらで修行してたのが、残りの三週間くらいって感じ。さすがにさ、あんなに無力感を味わったのは久しぶりだったんだよ……俺たちも……」
魔族の指揮官ヘルツォークとの戦いは、二人の心にも暗い影を落としていた。戦士として二人がやれる最善が、修行だったということなのだろう。
腑に落ちるという言葉の通り、心のピースがコトリとはまるような気がした。
「……そっか。それなら仕方ないよね。なんにせよ、今まで通りの二人で安心したよ」
「俺たちこそ、一言くらい声をかけておけばよかったよね。……ごめん」
どうしても、会話が重たくなってしまう。これではせっかくの昼食が台無しだ。エルリッヒは努めて明るく、手を打った。響き渡る、乾いた音が心地いい。
「っ! どうしたの、突然」
「んー、湿っぽいのはやっぱ苦手だからねー。ほら、冷めないうちに食べないともったいないよ!」
「そうだ、飯が先だ! あー、うめ〜! やっぱりエルちゃんの料理が一番だぜ!」
何を大げさな、とは思うが、それと同時にとても嬉しい。恥ずかしげもなく、こんな一言をくれるのだから。作り甲斐とは、こういう時に感じるのだろう。
「二人とも、来てくれてありがとね。これからもご贔屓に!」
「も、もちろん!」
「だな。多分、俺たちは死ぬまで通い続けるんじゃね?」
心強い常連客の存在は、やはり嬉しい。一瞬涙がこぼれそうになったが、なんとかこらえて明るく振る舞う。嬉し泣きといえど、あまり涙は見せたくなかった。
「さ、片付けもあるんだから、ちゃちゃっと食べちゃってね! お代は適当に置いといてくれればいいから」
「やっぱ、代金を取るんだ……」
「俺たち、友達だろ〜? つれないなぁ……」
お代を払うなんて、二人の中でも当然のことである。三人ともそれをわかっているからこそ、わざとらしくおどけてみせた。この関係がいつまで続くかはわからないが、今はただ、今まで通りでいられたことに、感謝しよう。それもまた、三人の胸のうちに、共通する思いだった。
魔王が復活した今、いつまた魔族による脅威が訪れるか、わからないのだから。
〜王城 玉座の間〜
玉座に座した王は、厳しい表情をしている。その前に立つ大臣は、手渡された書状に目をやると、慎重に問い尋ねた。
「では陛下、本当によろしいのですね?」
「当然だ。そこに名を記した者を集めよ。御前会議である!」
勢いよく立ち上がり、真っ赤な天鵞絨のマントを翻す。そして、王は玉座の間を後にした。後に残る大臣のこめかみからは、ひとしずくの汗が流れおちた。
〜お・わ・り〜




