チャプター29
〜コッペパン通り〜
「王様!」
その存在はあまりにも想定外で、驚きを禁じえなかった。そもそも、多くのも者は、国王の姿を見たことんそない。エルリッヒたち直接面識のある者を除けば、ごく一部に肖像画で見たことのある者がいるだけだった。それでも、エルリッヒの一声に目を見開き、真っ赤なマントに金色の冠という、まさにおとぎ話に出てくるような典型的な「王様」の姿を目の当たりにすると、一同は一斉に身を伏せ頭を垂れた。
「よいよい。皆の者、頭を上げよ」
幾人もの兵士たちに護衛され、国王は住人たちを見回した。この国全体はもちろんのこと、王都であるこの街の中でも、国王の顔を知らない民は多数いる。それを、久しぶりに思い出させてくれた。
自分は、良くも悪くも雲上人なのだ。
「あの、それで、どうしてここに? 街の視察、ですか?」
元親衛隊の気安さもあり、ツァイネが応対する。
「ふむ、それは間違ってはおらぬ。が、半分正解といったところか。今回、あのようないわれなき嫌疑で城に捕らえられたエルリッヒが、いかに無罪と分かったといえど、無事に元いた場所で受け入れられるのか、ちと心配になってな。街の様子を視察する傍ら、こうして見に来たというわけだ」
街の被害状況の視察ということならわかる。わざわざ一国の王が自ら城下に足を運ぶということは、それほどありえない出来事なのだ。
「もし、ここの住人に受け入れられず、街を去るようなことになるようであれば、一国の王女として、国賓待遇で城に迎える心づもりをしておったのだが、どうやら無用の心配だったようだな」
「王様……。お心遣い、ありがとうございます! この通りのみんなは、私を受け入れてくれました」
胸に手を当て、力強い表情とはっきりとした声で告げたその姿からは、言葉以上に住人同士の強い繋がりを感じた。どうやら、ここの住人たちのことは心配しなくてもよさそうだ。
国王として、通りの住人たちに目を向けるというのは異例だろうが、市井の人々に目を向けることの大切さは、日々の政務でつい忘れがちになってしまう。今回のことは、いいきっかけになった。もちろん、関係した人々にはいい迷惑だっただろうが。
「その言葉を聞いて、余も安心だ。だが、改めて言わせて欲しい。この者、エルリッヒの嫌疑は全て一部の輩の独断によるでっち上げであり、無実である! また、先の魔物の襲来の折にその指揮官を打ち滅ぼしたとの目撃情報があるピンク色のドラゴンがエルリッヒの正体であるという噂が巷を駆けておるようだが、これについても、ことの真偽とともに、人に仇なす存在でないことを確認しておる! これは、公式な発言と受け取ってくれて良い! そなたのことだ、この通りの住人には、正直に打ち明けておるのだろう?」
「……はい。お世話になった、大好きなここのみんなには、嘘は付けません」
それは、裏表も何もなく、「噂のドラゴンは自分だ」と言ったのとほとんど同義である。だが、見渡す限り誰にも同様の色は見えなかった。ここまでの時間で、決着がついているということなのだろうし、それだけ信頼しているということなのだろう。
公的な無罪証明と、国王の個人的な信用を伝えるため、このような形でわざわざ宣言してみせたが、余計なおせっかいだったのかもしれない。民を治める立場としては、それくらいの方が嬉しいのだが。
「ふむ、皆、エルリッヒのことを信じているようだな。ならば何も言うまい。これからも、仲良く暮らすようにな。それでは、他の地域を見て回らねばならぬゆえそろそろ行くが、何か申したきことのある者はおるか? 余が直接話を聞こうではないか。かような機会は滅多にないでな」
それは、世にも珍しい国王主催の直訴の場だった。税金が高い、物価が高い、治安が悪い、そう言った不満は、市民から国王まで上がってくることはない。だから、直接声を聞く機会をいつか作りたいと考えていた。今は街の復興と次なる侵略への対策が最優先だから、まずは試験的なものではあるが、どのような意見が出るか、不安と興味が半分半分といった心持ちだった。
「どうだ? 何かあれば遠慮なく申してみるがよい。ここで聞いたことは必ず国政の場で議論にかけるぞ? もちろん、どのような批判的な発言であっても、罪に問われることはない。安心するがよい」
「と言われましても、あたしら特に不満なく暮らしてますから……みんな、何かあるかい?」
エルリッヒのそばにいたおばさんが代表するように答える。周囲を見回しても、誰一人意見を言おうという者は現れなかった。誰一人とっても、遠慮している風ではない。
「それでは、私からよろしいですかな?」
一番後ろから現れたのは会長だった。
「私はこの通りの商工会を取りまとめておる者です。陛下のお姿は、即位式の折に遠くから拝見させていただいたことがあります。それからもう何十年……このような機会を頂けて、光栄の至りです」
「そうか。そなたはあの折の群衆の中におったのだな。して、どのような話かな? 忌憚のない意見を聞かせて欲しい」
会長は遠慮がちに前に出てくると、穏やかな物腰を崩さぬままに話し始めた。
「見ての通り、この辺りは被害も小さく、我々の間のエルちゃんに対する不審も、見事に晴れました。けれど、あちこちの通りでは、多くの被害が出ております。一切把握しておりませんが、死傷者もいるかもしれませぬ。ですから、街の復興を、どうかよろしく頼みます」
会長の口から出てきたのは、あくまでもこの街の復興を願う言葉だった。今のこの街やこの国の政治が満点かどうかは、誰にも判断できない。このコッペパン通りの住人に主立った不満がないとしても、他の通りの住人の意見は違うだろうし、むしろ貴族連中の方が不満を抱えているかもしれない。そう考えればこそ、ここで意見を言う必要性や、意味はないと判断した。
「それと、エルちゃんはここの住人にとって、とても大切な存在です。そのことを、ご理解ください」
「うむ、あいわかった。それではな。皆の者、息災で過ごすように。それと、エルリッヒ。そなたの着替えは後日届けさせるゆえ、安心するがよい」
真っ赤なマントを翻し、国王はコッペパン通りを後にした。次の視察場所に向かう間、会長の言葉を頭の中で反芻しながら、その意味について考えていた。
(大切な存在……そう言わしめるほどに、あの者はここでの生活に馴染んでおるということか。人としての生活に……)
それは、住む世界の違う国王にとって、とても重たい言葉だった。
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「ふぅ。肝が冷えたわい」
国王の姿が見えなくなって、護衛の兵士たちの足音も聞こえなくなった頃、会長はその場にぺたりと座り込んでしまった。そして、大きなため息をつく。
「会長、大それたことを言いましたね」
「ほんとほんと。いくら何を言ってもいいって言われたからって、なかなか発言できるもんじゃないでしょう。そもそも、この至近距離に王様がいたこと自体、信じられないよ!」
「わかる! まさかこんな隅っこの通りに足を運んでくださるなんてなぁ。エルちゃんのこと、それだけ気にかけてくれてたんだなぁ」
「それもあるだろうけど、あからさまな冤罪だったしな。その辺りが許せなかったのもあるんじゃない? どうせ、どっかの誰かが勝手に言い出したことだろうけど、貴族なんて家臣のトップみたいなもんだし、それが暴走したって言うんなら、なおさら」
さっきまで黙っていたみんなが、一斉に口を開きだす。想像を絶する緊張から解き放たれたからか、みんなどことなく饒舌だった。
「あの……今日はもう帰ってもいいですか?」
エルリッヒが小さく手を挙げる。そこで一同がはっとする。そうだった。主役が置き去りになるところだった。そうなってしまうほど、国王の登場は大きな出来事だったのである。
「そうだよね。エルちゃんが一番疲れてるよね。無実の罪で捕まったかと思ったら魔物退治をしてくれて、また捕まって、ようやく帰ってきたんだもんね。でも、お城で捕まってたんだろ? どうやって逃げてきたんだ? 今日じゃなくていいんだけど、また今度教えてくれよな」
「うん、落ち着いたらね。できるだけお酒が美味しくなるように説明するよ。それじゃあみんな、ありがとう」
「エルちゃんはあたしが送ってくから、みんなも解散だよ! あんたたちも、今日はお帰りな」
おばさんはみんなに帰るよう号令を出すと、エルリッヒの手を取り隣に並んで一緒に歩いた。こうすることで、改めてその存在や、自分の気持ちが確かめられるような気がしたからだ。
「おばさん……いつもいつもありがとうございます」
「何、お安い御用さ」
そうして再確認する。ただの隣人ではなく、正体にまつわる話を聞いて尚、娘のように思っている自分の気持ちに。
「今日はゆっくり休むんだよ。また、ご飯作って持って行ってあげるからさ」
「ありがとう……ございます」
おばさんの底抜けの優しさに、今はただ感謝の言葉を伝えることしかできなかった。
〜つづく〜




