チャプター28
〜コッペパン通り 商工会議所前〜
不安そうな笑みを浮かべたペーターの前に立ち、エルリッヒはその瞳を見つめる。同じ通りの住人としての信じたいという気持ちと、噂が本当だったらどうしようという不安そうな気持ちがない交ぜになっているのだろうことが強く伝わってきた。
それはそうだろう。おばさんの全面的に信じてくれているような表情は、むしろ奇跡と言ってもいい。だから、このような受け止め方をされるのは、むしろ当然なのだ。それどころか、石を投げられないだけでも十分だった。
「私は……人間じゃありません。噂は、本当です……」
「やっぱり、そうだったんだね。正直信じられないけど、嘘は言ってない? 濡れ衣を着せられたことはみんな理解してるから、無理しなくていいんだよ?」
心のどこかに、信じたくない気持ちがあった。いや、そもそもこんな話を信じろという方が無茶なのだ。その思いで言葉を紡ぐが、エルリッヒの表情はどこか曇っている。普段から交流のあるコッペパン通りの住人でなくとも、嘘を言っていないことはすぐにわかる。それは、ペーターにとってはできれば聞きたくない方の回答だったし、おそらく、他にも同じ気持ちのものは幾人もいるだろう。それでも、みんなにとって大切なエルリッヒの言葉は、無条件に信じてしまう。
つい、無味乾燥な笑みが出てしまった。
「そっか、そうだったんだね。やっぱり……」
「ペーターさん……」
とても信じられないような話でも信じてくれる。その信頼を、もしかしたら今この瞬間、裏切っているのかもしれない。そう思うとやりきれなかった。それでも、嘘をつくような真似はしたくなかったし、噂として広まっている以上、いい加減な言葉で誤魔化すような真似もしたくはなかった。
「こんな話、本当なら信じられませんよね。それでも、信じてくれてありがとうございます。私が魔族の指揮官を倒したドラゴンなのは本当で、それはつまり、人間じゃないってことですけど……あの……それでも、この街やここのみんなのことは大好きで、とっても大切で、それはまぎれもない事実です。この気持ちも、信じてください。もしみんなが出て行けというのなら、悲しいけどその思いには従います。みんなが怖がったり、不安がったりする気持ちも、わかるから。だから、ペーターさん一人になんてとても言いませんけど、今後の私の処遇は……みんなに委ねます……」
せっかく無罪放免になっても、ここを追い出されてしまっては、正直意味がない。濡れ衣のまま裁きにかけられ、処刑のその時に無理やり逃げ出して放浪の旅に出るのとなにが違うというのか。それでも、強引に居座るようなことはできなかった。それだけ、この「コッペパン通り」と、そこに暮らすみんなのことが好きだった。
「俺は……安心したかったんだ。エルちゃんの口から否定して欲しかったんだと思う。でも、帰ってきた答えはそれとは違ってて、それでも、俺はその言葉を信じてて、今、どんな気持ちで向き合ったら良いか、正直よく分からない。だから、ここから出て行ってくれとも、今まで通り残ってて欲しいとも言えないんだ。ただ、それでも、一つだけはっきりしてることがある」
「はっきりしてる事? それって……なんですか?」
ペーターは今までの表情から一転、しっかりとした面差しでエルリッヒのことを見つめた。そして、告げる。
「俺は……いや、多分通りのみんなが同じだと思うんだけど、俺たちは、エルちゃんにそんな顔をさせたくてこんな話をしてるんじゃないってことだ。いつもみたいに笑ってて欲しいってことにはっきりと気付いたよ」
その言葉に、思わず口元に手を当てて驚く。普段なら、自分がこんな所作をすることにツッコミでも入れてしまうところだが、今はそんなことを考えもしない。
まさか、こんなことを言われてしまうとは、思いもよらなかった。きっと、とても沈んだ顔をしているのだろう。普段のような屈託のない笑顔など、作れるはずもないのだ。それを、ペーターは自分たちのせいだと感じてくれている。
「他のことはうまく言葉にできないけど、また、今までみたいに明るく笑ってて欲しいって思った」
「ペーターさん……」
その言葉で十分だった。今、表立って懐疑心を抱いているのはペーターだけだ。だが、同じ思いの住人は他にもいるだろう。だから、ペーターの言葉に反論が出ないということは、少なくとも、みんなの総意はそんなに離れていないということになる。その気持ちを確かめられただけでも、本当に嬉しかった。
「ありがとう。本当にありがとうございます。その言葉だけで、とても嬉しいです」
「いいや、それだけじゃ駄目なんだ。エルちゃんの今後について、まだ誰も話をしてない。誰でもいいから、その話をしてやって欲しいんだ。それは、俺の役目じゃないから」
「まーったく、ここまで話をしておいて、ずいぶんな身の引き方じゃないか。だったら、あたしが話をしてもいいってことだね?」
名乗りを上げたのはおばさんだった。おばさんは、間違いなくこの近辺では一番贔屓目に見てくれる人物だ。そのおばさんが代表してしまって、いいのだろうか。後で揉めやしないか、少しだけ不安になる。
「あたしらもね、エルちゃんがいない間にあれこれ話し合ったんだよ。まず、お城にしょっぴかれた時の話からね。だーれも信じちゃいなかったけど、嫌疑は嫌疑だから。で、そうこうしてたら今回の噂だろ? あいにくとここの連中は誰も見てやしなかったから、そもそもそんなドラゴンがいたのかどうかもわかりゃしない。それでも、その噂の真偽がどうかなんてあたしらにとっちゃ、全然関係なかったよ。いや、少しは気にしたか。みんなであれこれ話したしね。でも、これが結論だよ。お願いだ、今まで通りでいてくれるかい?」
「おばさん……!!」
おばさんは再びエルリッヒのことを強く抱きしめた。みんな、今まで通り以上の感情を抱けなかった、ということなのだろう。きつく抱きしめられたぬくもりから、しっかりと伝わってくる。
「ありがとう! みんなも、ありがとう!! 私、ここにいていいんですね?」
「もちろんだよ! 安っぽい話かもしれないけどさ、みーんな、エルちゃんの笑った顔が見たいんだよ」
しがみつくように抱き返して、涙を流す。
「さ、笑った笑った。何のためにあたしらがこうして話をしてきたのか、わかりゃしないじゃないか。それに、ドラゴンのお姫様なんだろ? もっとどーんと構えていいんだよ!」
「わかりました……それがみんなの気持ちですものね」
再びおばさんの体を離すと、商工会議所から出てきた面々や、騒ぎを聞きつけて出てきた面々の前に向き直った。そして、ドレスの裾を叩き、腕で涙を拭うと、精一杯の笑顔を作った。
「みなさん、ありがとうございます。コッペパン通り竜の紅玉亭のエルリッヒ、改めてこの通りでお世話になります! また、食べに来てください!」
それが、今できる精一杯の挨拶だった。初めてここに居を構えた時にどんな挨拶をしたか、今ではまるきり覚えていないが、その時以上に緊張していることだけは、間違いなかった。
「こちらこそ、またお隣でよろしくね!」
「そうだな! ここ最近全然エルちゃんの料理を食べてないし、そろそろ恋しくなってきたもんな。またよろしく頼むよ!」
「そうだそうだ! またいろんな料理を食べさせてくれよな!」
みんな、口々に温かい言葉をかけてくれる。事情が飲み込めないでいる子供達も、とりあえず近所のお姉さんが笑顔になったということだけは伝わるようで、どことなく嬉しそうだ。
「ありがとう……」
「もー、ありがとう言いすぎだよ。遠慮しなくてもいいんだからね。ここは、引き続きエルちゃんが帰ってくる場所だよ!」
ここまでの話からおばさんの言葉は概ねコッペパン通りの住人の総意と言ってよさそうだった。だからこそ、一言一言に、ありがとうという言葉しか出てこない。
「んー、丸く収まってよかったねぇ」
「本当にね。俺たちの出番はなかったね」
「それが一番だろ? いざとなったら連れ出そうとか、無茶は無茶だしな」
少し離れた場所で事態を見守っていたフォルクローレたちも、ほっと胸をなでおろした。
「どうやら、話は丸く収まったようだな」
突如、どこからともなく声が聞こえてきた。一同が振り向いたその先にいたのは……
〜つづく〜




