チャプター2
〜王城 審議所〜
突如もたらされた敵襲の報せに、誰もがざわめき始めていた。
「ええい、一体何をしておるのだ!」
「状況は!?」
「ここは城の奥、一番安全な場所だ!」
「神よ、我らを守りたまえ……」
発する言葉は違っていたが、皆一様に浮き足立っている。その中で、エルリッヒもまた彼らとは違う感情で心のバランスを崩しかけていた。”焦り”だ。
(こんな時におとなしく裁かれてたら、助けられる人を助けられないかもしれないじゃん。どうしようかな、行こうかな。どのみち、結果ありきの裁きなんだし!)
心は決まっていた。どんな魔物がどんな形で攻めてきているのかわからない以上、その場に行かなければ何ができるかわからない。そう、まず「その場」に行かなければ意味がないのだ。
「っ!」
幸い、拘束などはされていない。小娘だからと侮られたのか、急なことで頭が回っていなかったか。だがこれを活かさない手はない。すぐさま駆け出し部屋を出ようとする。
「これ! まだ審議の途中である! 勝手に外に出てはならん!」
裁判長が声をかける。言っていることはもっともだが、構っていられるほど平静ではない。
「街のみんなが戦っているんです! こうしている間にも、親しい誰かが死んでいるかもしれないんです! 裁くのは魔物を追い払ってからでもいいでしょう! 私は、行きます!」
誰の制止も聞かず、兵士が力ずくで止めようとするのも躱し、するりと廊下に出た。どこをどう言ったのかわからないまま審議所に連れてこられたが、なんとなく、見覚えのある景色を辿っていく。
なんとかなるはずだ。そんな確信めいた思いを胸に、城内を進んでいった。
「……逃げられたか」
主役のいなくなった審議所で、裁判長は一人つぶやいていた。もともと、この裁判は魔物の襲撃で混乱している民衆を一つにまとめるためのでっちあげだった。たまたま王のお触れを破って城に潜り込んだ人間がいるという報告を受け、それを利用しようとしただけに過ぎない。
「人間に化けていた魔物」として処刑することができれば、それで民衆の心を一つにまとめ、これからの復興や激しさを増すかもしれない魔物の侵攻にプラスになるだろう。そう判断してのことだ。
この程度のことであれば、王の判断もいらない。一部の貴族が言い出したそれは、あっという間に評議会の承認を通過し、このような運びになった。報せを受けてから半日足らずでここまで持ってきたのだから、異例と言ってもいい。それだけ、魔物の襲来というのは大きな出来事だった。
何しろ100年振りのこと、かつての状況を知る者は誰もいない。鍛え抜かれた城の兵士や騎士たちも、その戦力が魔物相手にどれほど通用するかは怪しく、今回なんとか撃退まで持ち込むことができたのは、ひとえに幸運だったと言ってもよかった。だからこそ、民衆の気持ちをまとめる「何か」が欲しかったのである。
「まあ、また落ち着いたら改めて裁くのみだがな……」
状況が状況だからか、この場にいる誰一人とて、自分たちがしようとしていることに罪悪感を覚える者はいなかった。むしろ、国外から来た流れ者の小娘一人の命で民衆がまとまるのなら、どれほど安いだろうかとすら思っていた。
「皆の者、静粛に! 見ての通り、エルリッヒはこの場から立ち去った! 果たして真実人に化けた魔物なのか否か、そのようなことはどうでも良い! 再び魔物を退けたその時は、いま一度裁きの時を設ける! それまで、待たれるがよい!」
事実上の一時閉廷だった。裁判長の叫びに、誰もが少しばかりの落ち着きを取り戻し、ぞろぞろとその場を後にした。とりあえず、皆自分の命は守らなければならない。
「さて、私も戻るとするか……」
最後に裁判長が出て行くと、審議所の最上部、貴賓席の緞帳がゆらりと舞った。
〜城門前〜
「はぁ……はぁ……なんとか、出られた……」
どこをどう行ったのか、もはやあまり覚えていない。どういうわけか追ってや見咎めて何かを言ってくる人は誰もいなかった。今も、お城の前の跳ね橋を超えるまで誰にも何も言われていない。さっき、物々しく連行された姿を見ているはずの兵士ですら、何も言ってこなかった。
「やっぱ、胡散臭い裁きの場だったってことか……」
事情が事情なだけにてんやわんやなのだろうが、正当な裁きでないという推測が立っただけでも十分だった。それよりも、今は街の状況やみんなの安全が最優先だった。
「っ!」
街を見回すと、この間倒したガーゴイルと思しき魔物が上空から多数攻めてきている。兵士も槍や弓で対抗しているが、あれではあまり意味はないだろう。彼らの基本的な戦術は、お互いが地上にいて初めて成立する。せめて、投石器のようなものがあればいいのだろうが。
魔物の吐いた炎か魔法だろうか、ところどころ火の手が上がっているが、今はそれどころではない。コッペパン通りの様子が最優先だ。一目散に駆け出した。
「……やっぱり、北側の方が集中して狙われてるみたいだ」
魔物の数も逃げ惑う人たちの数も、南に行くほど少なくなっている。お城という重要機関がそこに存在していることで、狙われやすいということか。それだけ、魔王軍にも知恵があるということなのだろう。
少々利己的に思えたが、それだけコッペパン通りが安全になるのであれば、今はそれを利用させてもらうしかない。この隙に、みんなの無事を確認しなければ!
〜コッペパン通り〜
あの場から誰も帰らぬまま、エルリッヒのことについて話ていたら、突如上空から魔物が攻めてきた。幸い、”また”北側から攻めてきたようだったが、ここもいつ襲われるかわからない。誰も統率をとる者がいないまま、混乱だけが広がっていた。
「みんな!」
そこへ、聴き慣れた、今一番聴きたい声が響き渡った。
「エルちゃん!」
「無事だったのかい?」
「お城で一体何が!」
口々にお城でのことを聞いてきたが、今はそれどころではなかった。手短に「濡れ衣を着せられそうになったけど、無理矢理帰ってきた」ことだけを伝えた。
「それより、ここもいつ襲われるかわからないよ! みんな、こないだはどこに避難してたの!?」
「こないだ? こないだは……みんな怖くて家の中に隠れてたのさ」
「ああ。避難場所なんて大層な場所は、ここにはないからな」
「エルちゃん、何かいい案でもあるのか?」
頼りない回答も納得だ。向こう100年間の平和で、よしんばかつて存在していたとしても、避難所のようなものはなくなっているだろう。それならば、考えるしかあるまい。
「ねえみんな。地下室のある人は地下室に逃げて。ない人は地下室のある人に入れてもらって。多分、そこが一番安全だから。火の手が上がったら蒸し焼きにされるから、その時は構わず外に出て逃げて」
「あぁ、わかったよ! エルちゃんも、地下室に隠れるんだろ?」
みんなの心配を余所に、とても隠れるという表情をしていなかった。
「私は、フォルちゃんやゲートムントたちの様子を見に行くよ。心配だからね。もちろん、武器は持っていくから大丈夫、安心して」
「武器」とはもちろん、あのフライパンのことだ。「竜の紅玉亭」の常連なら誰でも知っている、異様なほどに重いあのフライパンならばと、一瞬安心ムードが漂う。
「そ。あれで殴られたら、並の魔物は昏倒しちゃうから、安心して。三人の無事を確認したら、また戻ってくるから」
そうして、「旅暮らしでいろんな経験があるから」という名目の元にあれこれとこういう時の指示を出すと、エルリッヒは一人自宅に戻り、「例のフライパン」を手に、コッペパン通りを後にした。まず向かうは職人通りだ。放っておいても戦闘力の高い二人は後でもいい。フォルクローレがまず先に心配だった。
「フォルちゃん、無事でいてよね!」
〜つづく〜