第一話『東京男子高等学校3年A組』
ビートルズは良い。決して我慢強い性格でなかった春馬には、意味を理解しながら曲を聞いたり詩を読んだりする事は我慢ならず、直接心を電撃的に殴ってくるようなビートルズのキャッチーな歌詞やメロディ、ヘッドホンを付けた瞬間にドラムの前にたたされたような迫力あるサウンドはたまらなく心地よかった。そんなビートルズの曲を聞く事を20年前に封じたこの世界はアホだ。
ビートルズの曲には国境もジェンダーの壁もないはずなのに。父がこっそり譲ってくれなければ出会う事もなかったと思うとゾッとする。
「刑法721条。著作権を男性が取得している1950年以降の作品を鑑賞した男性は、10万円以下の罰金且つ去勢とする。」
後ろから声が聞こえ、ふと振り返ると後ろの席に座る常見大和が昨日配られた社会科のプリントを読み上げている。
「うるさい。じゃあなんだ、これは。」大和の鞄をひっくり返すと、同じく20年前に禁止された星新一の本がファサッと音を立てて教室の床に落ちる。大和が周りの目を盗み、「俵万智の詩集だから良いんだよ。」表紙を付け替えていると「セーフ!」という声と共に喜多琥太郎が教室へ駆け込んできた。と同時にチャイムが鳴り、吉成が教室に入ってくる。
「何がセーフだ。お前、この学校で留年が何を意味するのかわかっているのか。」と吉成がいつも以上に厳しく言う。いつもなら笑っているのに。吉成も6年前まで東京男子高等学校に通っていた先輩だ。この理不尽な世界で暮らしている僕らに理解がある。なんでも吉成先生は新任の時から僕たち1年A組の担任を務めてくれていて、僕たちがこの窮屈な世界で生活をして来られたのは吉成がどんな時も支えてくれ、何より僕たちの幸せを祈り接してくれ、僕たちもまた、吉成を先生としてだけでなく時として父や近所のお兄さんのように信じて頼ってきた。そんな僕たちの周りにいる唯一の成人男性である吉成に、今日はどこか違和感を覚えた。そんな事にも気づかず喜多はまだ喋っている。
「すいません。寮のガスが止まっていたから、銭湯に行かなきゃいけなくて。」
後ろの席で大和が吹き出す音が聞こえる。「いつの時代だよ!」とすかさずツッコミをいれたのは栗原だ。栗原と喜多のマンザイのような掛け合いを聞いて、『世界から消えた言葉集』という本を大和に見せてもらった中に「混浴」という文字があったのを思い出した。男が銭湯に行く?男湯なんてもの存在しないのに。
「良いから席に着け。はい、クラス会長。号令。」
「はい。起立。きょうつけ。礼。」
クラスにさわやかな風が流れる。音吐朗朗。諒の号令はいつも心地よかった。佐々木諒は、男の僕から見ても端麗で、それでいていつも頼りになる。真面目で、且つ雲のようにつかみどころのない雰囲気を飄々と漂わせ、学校の外で女性に告白され断ったという都市伝説のような噂すら流れている、否定のしどころのないような男だ。
席に着いたところで、吉成がスーツを着ている事に気づいた。さっき抱いた違和感はこれだったのか。いつもは紫色のセットアップジャージを着ているのに。
「今日は急だが、いつもの授業を変更してお前らに特別授業を開いてくださる方がいらっしゃっている。」と吉成はいつもより強く、ただどこか震えているような声で僕たちに告げた。どこか妙な胸騒ぎがした。どちらかというと悪い意味で。
ガラガラと開く教室のドアに全員の視線が行くと、教室に入ってきたのは、127代目内閣総理大臣・小泉百合子だった。