ストーカー
ぺちゃ ぺちゃ ぺちゃ ぺちゃ
セミの鳴き声にまじって、足音が、聞こえてくる。
(うそ、今日もついてきてる)
ここのところ、毎日、帰宅するときに、足音が聞こえてくるのだ。
ストーカー。その単語を思い浮かべはするものの、実害は今のところ無い。
手遅れになったら困る、とはいえ、足音がするくらいで警察に通報するのも、どうかと思う。
だけど、最近、ストーカーが多発しているらしいのだ。
あたしのクラスでも1人、ストーカーに襲われて気絶していた所を病院に運ばれて、登校拒否になってしまった子がいる。
ストーカーと登校拒否って、何か関係あるのかと思ったけど、あるのかもしれない。
だって、出歩くのがイヤになるもん。
だから、あたしに出来るのは、せいぜい早足で家に向かうことだ。
(後ろ…向いてみようかな)
そんなことをして、もしもストーカーがいたら、どうするのか。
ばれたと分かって、襲って気はしないか。
(いや…ストーカーじゃないかもしれないんだし)
おそるおそる振り返ってみる。誰もいない。
「――――――――ァッ」
アスファルトの上に、泥の足跡がある。まるで、泥だらけの足で歩いたような。
そしてそれは、あたしの3メートル後ろで、ふっつりと途切れていた。
くるりと回れ右をして、あたしは帰り道を早歩きでたどる。
(もしも、あんな泥だらけの足で歩いたら)
ぺちゃ ぺちゃ ぺちゃ ぺちゃ
(こんな音がするんじゃ――――――――って、や、やだまた足音が)
ぺちゃ ぺちゃ ぺちゃ
家に着いた。ごく普通の、一軒家だ。
入る直前、またそ――――…っと振り返って見たが、誰もいなかった。
ただ、足跡が、またあたしの3メートル後ろまで迫っていた。
わざと音をたてて玄関のドアを閉める。
「おかえりぃ。どうしたの?」
「いや…なんでもないの」
「そう? 顔が真っ青だけど」
夏風邪はバカがひくからね〜 などと、的外れの発言をかます母親を尻目に、あたしは自分の部屋へ向かう。
ドアを開けて、一歩踏み込んだ途端、足元に違和感を感じた。
ぬちゃ、と、濡れたような感じがする。
「何……?」
それは、泥の足跡だった。
見れば、部屋中に泥の足跡がついている。床はもちろん、窓の桟にも、机の上にも、壁にも、ベッドにも!
「やだ、うそでしょ…?」
でも、財布もアクセサリーとかもそのまま残っている。消えたものは…
「交換日記が無い…机の上に、置いといたはずなのに」
それは、クラスの友人と二人でつけていたものだった。
内容は、たわいの無いものだった。担任やクラスメートの軽い悪口、部活のこと、好きな人のこと…。
たわいの無いとは言っても、アレが見つかったら…と思うと、背筋がぞっとする。
(もしかしたら、学校に忘れてきたのかも。…ううん、カバンの中かも)
カバンの中を探るが、そこには無かった。
(きっと、学校だ。机の中に、忘れてきちゃったんだ…)
駆け足で階段をおり、スニーカーを履く。
「おかあさーん、ちょっと、忘れ物したから学校行ってくるーっ」
「はいはい、気をつけてねー」
乱暴にドアを開けて、猛ダッシュで学校へ行った。6時を過ぎ、学校の門は閉まっていたので、インターホンを押す。
程なくして出てきたのは、都合の良いことに、担任の体育教師だった。
「先生、忘れ物しちゃったんで教室までとりに行かせてください」
「はぁ? まったく、ばかじゃないのか、お前は。先生もいちいちついていかなきゃならないんだぞ」
「すいません」
偉そうな言い方に、怒りがつのってくるが、今はそれどころじゃないので逆らわなかった。
「じゃ、来い」
歩き出す男教師にやや小走りでついていく。教室に着き、担任はドアのカギをあけた。
「早くしてくれよ」
「はい」
急いで自分の机に飛びつくも、交換日記のノートは見つからない。
「おい、あったか?」
担任がこちらに向かって歩いてくる。あたしは、机の中を覗き込んでいたので、床に座り込んだまま、担任の足元を見た。
素足に、スポーツ用のシューズ。 それはいいのだが…。
足に、泥がついている。
「えっ……」
「なあ、もしかして探し物はこれか?」
そういいながら、担任はあたしに向かって交換日記のノートを突きつけた。
「どうして…」
「どうしてって、なあ。これ、読ませてもらったけどさ、お前ら、俺のことバカにしすぎじゃないか?」
「っ」
交換日記に、担任の悪口を書いた記憶が、確かにある。
「最近、クラスのヤツが、生意気になってるような気がしてな。ほら、今登校拒否になってるやつ、いるだろ? あいつのこと、おれが原因なんだよ。お前にやってるみたいにしてさ、病院に運ばれたから助かったけど」
「どうして…せんせいがやったって言われないんですか」
「ほんと頭悪いなお前。好きな人の名前とか、クラスメイトの悪口とか、コピーして廊下に貼り出されたいか?」
そして、口をゆがめてくっとのどを鳴らす。
「それに、ヤられてる写真とかもな」
「っ、なんで、わざわざ泥なんかつけたんですか…」
「? ああ。昔読んだマンガにそういうシーンがあったんだよ。そんときは靴履いてたけどな」
「現実はっマンガじゃ、ないんじゃないですかっ」
「ふん。似たようなもんだろ?」
(さ、最低だ、こいつ!)
幸いここは二階だ。叫べば、職員室に声くらい届くだろう。
叫ぼうとして、息を吸い込んだ途端、口をふさがれた。むりやりあごをこじ開けて、ハンカチをいれられる。
嫌悪感に、吐き気がこみ上げてくる。
「それにお前さ、振り返るとき、あんなにゆっくり振り返ってたら、隠れるすきを与えているようなもんだぜ」
「ぐぐっ」
「見つかったら、あの場で…とも思ったけどさ。やっぱり通報されたりしたらめんどくさいからな。本気で確かめたかったら、ちゃんと家の門の内側まで見ないと」
「ぐっ――――ふぐーっ」
「ああそれからさ、雨どいが近くにあるんなら、窓のカギはかけといたほうがいいぞ。いくら夏って言ってもな。お前んちは、人通りがほとんど無いんだから。気づかれずにはいるのも、楽だったな」
(狂ってる! まともじゃない…)
「気絶なんてしないでくれよっ」
担任が舌なめずりするような顔をして、あたしのシャツを引き裂いた。
(やだ――――いやだ! 助けて! 誰か助けてっ)
あたしの目じりから、涙がつうっと頬を伝い落ちた。
なぜなら、助けがこないことを、あたしは悟ってしまったから。