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6話 響都へ その3


「ここか」

 黒い服に身を包んだ男が、その前を歩く男の耳元で、声を潜めて尋ねた。

 

前を歩く男は、こくり、と小さく頷き歩みを止めた。彼の額には暑くもないのに、脂汗がびっしりと浮かんでいる。顔色は蒼白で、今にも倒れてしまいそうだ。


 目の前には何の変哲もない扉がある。木製で、小さな覗き窓があるだけの簡素な扉だ。だが、やけに物々しい雰囲気がドアの隙間から漏れてくる。おそらくは何か守護魔術が作動しているのだと思われた。 


「何だ、震えているのか」


 黒い服の男があざ笑うように言う。

「ロロ、ロッシさん。本当に、仲間たちには何もしないんですよね」

「ああ、もちろんだとも」

 ロッシと呼ばれた、黒服の男は軽やかに答えた。


「大佐はお前たちのリーダーに興味がおありだ。無論、それは好意でもなければ、反感でもない純粋な興味だが、一度お話をされたいと言っておられる」


「……その大佐っていうのは、一体誰なんですか! 何故何も教えてくれないんですか」


「お前は今、自分が物を尋ねられる立場にいると思っているのか? 」


 ロッシが平坦な声で尋ね返す。そうしながら、男の背中に当てた右腕を軽く押した。その手には、鈍く銀色に光る金属が握られている。


 リボルバー式拳銃だ。

「……ッ」


 男は声にならない悲鳴を上げる。

「俺もこんなところで使いたくはない。折角大佐から賜ったものなのだ。大佐は賢く使えとおっしゃった。だから俺はお前を脅すためにこの拳銃を使っている。どうだ、賢いだろう。……だがな、俺はあいにく頭の出来に自信がない。お前、賢く使え、というのはどういう意味だと思う? 」


 ロッシに問われ、男はあっけにとられた。なんだこの男は。俺を脅すかと思えば、呑気に、銃の使い方を尋ねるなんて。

 思えば最初からどこかおかしな男ではあった。


 旅をしている、と言うにしては、身なりは小奇麗だし、都会の正装を着用している。だが革靴はボロボロだし、顔や手に刻まれた傷は、屈強な戦士のようでもある。全てがチグハグで、寄せ集めのようだ、というのが彼の第一印象だった。


 だが、……今ではそれが何なのかもよく分かる。

 下手クソな変装なのだ。しかしそれが逆に良かった。もしも見るからに旅人という服装をしていれば、街を案内する気にはならなかっただろう。旅慣れていない見た目に、まんまと騙された、というわけだ。


 恐らく、最初からレジスタンスの一員だと分かって近づいてきたに違いない。

 だが後悔は先に立たずである。それよりも、ロッシの質問に上手く答えられれば、この窮地を抜け出すことができるかもしれない。


「賢く使え? ですか」

「そうだ」


 彼は必死に頭を巡らせた。賢く使え? その忠告にしたがって、ロッシは今自分に銃口を突きつけている。それは賢い使い方に思えた。だが、今の使い方が賢い、なんて答えても意味がない。なら、どう言えば銃口を逸らすことができる。


 ……賢く使え、というのは裏を返せば馬鹿な使い方をするな、ということだ……そうか、だったら。


「使うな、ということではないですか」

「どういうことだ。賢く使うんだろう? 使え、と言ってるじゃないか? 何だ、お前。上手く答えて俺に拳銃を下げさせようとしているんじゃないのか? 」


「いえ、そんなことは。その大佐、という方のお考えを推測しただけです。……もしこんな街中で発泡すればどうなると思いますか。きっとあなたは憲兵に捕まってしまう。そうならないように、と大佐はお考えになったのでは」


「なるほど……。確かに俺が捕まって、大佐に迷惑をおかけするわけにはいかない」

「だったら、もうその銃を仕舞ってください。人の目もあります」


「むう。だがな」

「なんですか」

「使うな、と言われれば使いたくなるじゃないか」


 男の後ろで、ロッシは獰猛に笑う。

 頬の傷が歪み、その顔は凶悪としか言いようがない。


 この男は、最初から全部わかっているのではないか、その上で弄んでいるんじゃないか、と銃口の冷たさとは違うおぞましさに全身に鳥肌が立つ。


「さぁ、さっさと開けるんだ。大佐が響都にいらっしゃるまでに片付けておけとのご命令だからな」

「ならば……約束を」

 男は恐怖にとらわれながらも声を絞り出す。


「約束? 」

「仲間たちには手を出さない、という約束をしてください」

「……いいだろう」


 ロッシの肯定する言葉を聞き、男はドアをノックした。くぐもった声がドアの内側から漏れてくる。ドア越しに何かを話しているようだ。

 だから、ロッシがボソリと呟いた言葉は誰にも届かない。

「だが、約束を守れと言われれば、破りたくなるものだろう」



 汽車は草原を抜け、峡谷地帯を走っていた。

 中央大草原から西にかけての峡谷地帯は、乾燥した地域でもある。砂漠とまでは行かないが、草は生えても樹木は根付かない。赤茶けた地面が顔を出しているところも多く、荒涼とした風景が広がっている。


 だが、あまり生物も住まないのか、と言えばそうでもない。


 谷底には河も流れており、浅いけれども湖もある。水を求めて多くの鳥がやってきては喉の渇きを潤して再び何処かへと飛び立っていく。だが、中にはそのまま湖の中に引きずり込まれてしまうものもいる。水底にはそうした鳥たちを狙う生き物がひそんでいるのだ。だが、彼らの死骸はまた湖の養分となり、水草を育む。鳥たちはその水草を食べに湖を訪れる。生命はぐるぐると巡りながら、自然の大きな流れの中を前に前にと突き進んでいく。


 そして今日も、地平線の彼方から太陽は昇り始めた。


「……」


 窓から差し込む朝日に、エマはまぶしそうに眉をひそめ、それからハッ、と勢い良く目を開いた。


「えっと」


 だが認識は追いついていない。


 とりあえず顔だけを回して周りを見渡す。するとすぐ傍に無精髭の伸びた男の顔があった。目を固く閉じて、太陽に背を向けるようにして眠っている。


「ここは汽車の上で……昨日は確か書類を見ながらで……私は響都に出張で……」

 小声でつぶやきつつ、現状を再確認。スッキリとは行かないまでも、ようやく頭の中のモヤも晴れてきたようだ。


 エマは上半身を起こして、上りつつある朝日を見つめる。

 太陽って、すげぇ、と子供みたいな感想が胸の中に湧き上がってくる。


 昨日と今日のたった2日だが、エマは今まで見たことのなかったものを数多く見た。帝都の外に広がるスラム。地平線に沈む夕日に、昇る月、そして朝日。ほんの少し違う一日を過ごしただけで、こんなにも世界の広さを知れるなんて……。それはエマにとって驚きでもあったが、少し気恥ずかしくなるものでもあった。小さな帝都の中で生きてきたのだ、と思い知らされたからだ。


 もっと色んなところに行って、たくさんの景色を心に刻みたい。衝動とも言える熱い思いが胸をよぎる。

「記者になってよかったーー!!」

「なんだ急に」

「ひゃ、ちょ、ちょっとテオドールさん、おどかさないでくださいよ!」

「ああ、いや、なんだ、悪かったな」


「……」


「……」


 エマは急に恥ずかしさがこみ上げてきた。何より、自分が今言っていた事が聞かれたのだ、と思うとテオドールにどんな顔をすればいいのかわからない。だが、確かめずにはいられない。それが乙女心である。


「……」

 だけれども、自分から聞く勇気もなく。

「なんだ?」

 テオドールに尋ねられ、やっとエマは聞くことができた。


「あ、あの、ももももしかして聞いてました? 」

「ん? いびきのことか」

「え、いびき!?」


 そして予想外のところからのボディブローである。

「落ち着け。マリアンヌよりはマシだから」

「マリアンヌさんよりマシって……え?」

「あー、いや、今のは誤解を招く発言だったな。そういうことじゃないんだが、まぁ今はいい。それより、顔洗ってこい」


 テオドールが何故マリアンヌのいびきを知っているのか、というところについて問いただしたいエマだったが、テオドールに行って来い、と手をひらひらされ、仕方なく客室を出る。向かうは後部列車。そこに手水場はあった。


 長い列車の廊下を歩き後部車両にたどり着くと、数人が列をなしていた。皆考えることは同じ、というわけだ。


 エマの前には一人の老紳士が並んでいる。


 大きなグレーのハットに、それよりは少し濃い色の紳士服を身にまとっている。背丈はテオドールと同じくらいで、それほど大きいというわけでもなかった。


 どれくらい待つだろう、とエマが彼の肩越しに前の方を伺っていると、ふいに電車がカーブに差し掛かり、大きく傾いた。

「キャッ」

「おっと、大丈夫ですかな、お嬢さん」


 転びかけたエマの腕をその老紳士が軽く掴み支える。

「あ、ありがとうございます」

「いいえ、お怪我は」


「ピンピンしてます」

「それは良かった。……おや?」


「何でしょう、あ、なんか顔についてます? 寝起きだからなー、お恥ずかしい。あまり見ないでください」

 エマは恥ずかしがるように顔を手で覆い隠した。


「いいえ、そうではなく」

 老紳士は何か思い出したような顔を一瞬するが、それをすぐに引っ込めた。


「これから、響都ですかな」

 そして話題を切り替えた。

「そうなんです、レクイエムを見に」


 それは事前にテオドールと話し合って決めた、二人の旅の表向きの理由だ。記者だ、と明かせばトラブルに巻き込まれるかもしれない、とテオドールが心配するので、二人は兄妹でレクイエムを見に行く旅行者、という設定になっている。エマは杞憂だ、とも思うのだが、テオドールが言うので従っている。


「ほう。レクイエム」

「はい、おじいさんもですか? 」

「ははは。おじいさん、ときたものか」

「え、あ、その」


「いや、もう私もそんな年だろう」

 話している間に、少しずつ列は縮まっていた。

 次は老紳士の順番である。彼はエマを振り返り、

「私も響都へ行くつもりです。また、そこで会うことになるでしょう」

 と含みのある笑みを浮かべた。


 エマは彼の言葉を胸の内で反芻する。会うことになるでしょう、というのはなんとも不思議な言い回しである。まるで、本当に再会が決まっているかのような言い方だ。


「お嬢さん、空きましたよ」

 手水場から出てきた別の女性に声を掛けられ、エマは思考を中断し手水場へと入った。

 小さな個室に鏡が置いてあり、傍らには樽に水が汲まれている。これを使って顔を洗え、ということなのだろう。


 手桶で水をすくって、エマは鏡を見る。

「あ、やだ……」


 そこには、エマの頬に残る涎の跡がくっきりはっきりばっちりと映っていた。


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