16話 大佐とロッシとグレトナ・グリーン
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「この季節はいい」
窓際の安楽椅子に腰かけた老紳士が誰にともなく声を発した。部屋の隅にいる黒い服を着た男が立ち上がり、何か言葉を返すべきか迷っている。老紳士はその男に手のひらを向けて動きを制する。返事を求めたわけではない。意味のある言葉ではないのだ。彼の視線の先には響都の路上が見下ろせる。路上の屋台は賑わい、人々の群れは、それがまるで一つの生き物であるかのように波打っていた。
不意に、階下が騒がしくなる。数人の男たちの足音が聞こえ、黒服の男は様子を見るために外に出て行った。
「到着したのか」
再び老紳士がつぶやいた。その声と同時に、部屋のドアが開いた。
「大佐」
ロッシである。
「グレトナ・グリーンを連れて参りました」
ロッシの後ろから、手を縛られ、頬に殴られた痣の残る男が連れられてくる。
「ロッシ」
老紳士は窓の外を見ながら、忠誠を示す男に声をかける。
「はい」
「何人殺した」
よくやった、と声をかけられるものと思っていたロッシにかけられた言葉は意外なそれだった。
「はっ……」
思わず彼は聞き返してしまう。
老紳士は立ち上がり、彼を振り返った。ロッシは息を呑む。微妙な陰影の浮かぶその顔は、怒りにも慈愛にも見える。彼の質問の意図がどちらなのかもわからない。殺したことを咎めているのか、褒めたいのか。
「何人、殺した? 」
繰り返される全く同じ言葉。しかし、そこには得体の知れない感情がこもっているように感じられる。答え方を間違えてはいけない、そう思わせる何かが。けれど、なぜそんなことに興味があるのだろう。
「30人……ほど」
「そうか、30人か。うむ」
大佐は顎に手をやる。ロッシは自分の答えが間違っていなかったことに安堵していた。もしも間違った答えを言っていれば、今の時点で彼の頭と胴体は切り離されてしまっていただろう。じっとりとした冷汗が額を濡らしていた。しかしそれもつかの間。
「33人……だ。正確には」
彼の後ろに立つグレトナがそう言ったからだ。
「黙れ、お前には聞いていない。それとも、俺が人数も覚えられない馬鹿だと思っているのか」
沈黙の部屋に、ロッシの怒号が響き渡った。しかし、ロッシはそんなことでは口をつぐまない。
「お前は、私の仲間を皆殺しにした。共に汗を流し、迫害や脅迫に耐え、ただただこの国の為に、人々の為に戦っていた同志たちを」
「あ? だから何だ」
「心が痛まないのか? お前は33人もの命を奪ったのだ。それなのに、人数すら覚えていない。お前にとって、人の命など数えるほどのものでもないというのか」
「俺は俺のことにしか興味がない。お前の仲間がどれだけ死のうが、俺には関係ない。お前は麦の穂の数を数えるか? 」
俺が大切に思うのは自分の命だけだ。他のやつらがどうなろうが知ったことではない。それは、彼がここまで生きてくるのに不可欠な価値観だった。人の為に何かをしても、すぐに足元をすくわれる。
「ロッシ。それはよい心がけではない」
しかし、思いがけないところから声がかかった。大佐だ。
「はっ……」
もちろんロッシは言い返すことなどできない。もちろん意図を問うこともだ。大佐の言葉を理解できないのは、理解できない自分が悪い。わざわざ大佐に考えていただくなど、言語道断なのだ。
大佐は続ける。
「私たちは犯罪者ではない。あくまで目的がある。仕方なく、私たちは人を殺しているのだ。我々の大義に泥を塗るつもりか」
鋭い眼光に、ロッシはひるむ。だが意外なところから助け舟が入った。
「お前たちのどこに、そんな大義がある」
グレトナが顔を上げ、大佐を真正面から見据えたのだ。二人の視線は重なり合い、どちらも逸らそうとはしない。
この命がここで失われてしまうのなら、それも仕方がない。何も言葉を発することもできず、無残に殺されてしまった同志たちのことを思えば、こうして敵の司令官と話ができ、思いを伝えることができる、というのは恵まれているとグレトナには思えたのだ。だから、その機会を不意にするわけにはいかない。爪を立て、あがき、それもできぬなら歯で噛みついてでも痕跡を残さなければ、犬死と同じだ。
「私たちの大義、か」
そして、グレトナは大佐の興味を引き出すことに成功した。再び安楽椅子に座り、ゆっくりと揺れ始めた。
「少しその男と話がしたい」
大佐の言葉に、ロッシはほっとする。これで、自分の身の安全は守られた。とにかく、ここで今すぐに殺されてしまう、ということはない。
「では、失礼いたします」
出るぞ、と傍らに立っていた黒服の男にも声をかける。
部屋には、グレトナと大佐の二人だけが残された。
「そこに座りたまえ」
そこ、とは、安楽椅子の向かいに置かれたソファだ。グレトナはそこへと座る。縛られた手を膝の上に置き、胸を張って大佐、と呼ばれた男と向かい合う。
「楽にするがいい」
大佐が小さく手を動かすと、縛っていたロープが切断された。手首には赤い跡が残ったが、とにかくこれで身体は自由になった。
「さて、質問の答えだが」
安楽椅子は再び揺れを失い、大佐は身を乗り出す。
「私たちの大義。それは皇帝陛下のご意思だ。私がお前をとらえ、ここに連れてきたのも、お前の仲間を殺しつくしたのも、すべて皇帝陛下のご意思である」
「皇帝陛下? なぜそこで国王が出てくるんだ。お前たちのような殺人集団を寵愛しているのか? あの男は」
「お前が皇帝陛下を今、あの男、と呼んだことは不問にしてやろう。それと、私たちを殺人集団、と呼んだこともな。私たちには名前がある」
「名など、興味もない」
「まぁ、そう言うな」
グレトナは違和感を感じずにはいられなかった。目の前の男が、さっきまでの威厳や恐ろしさを感じさせる顔とは、まったく違った顔をしていたからだ。楽しくて楽しくてたまらない。自分が愛しているものを、分かち合いたい、とでもいうような、純粋な喜びと優しさに満ちているのである。一体この男は何を考えているのか。ロッシという男と接していた時も、その男の発言のいびつさ、自分は頭が悪い、という認識に辟易させられたが、それとも違う。
もっと得体の知れない、底知れない不気味さがあるのだ。
そして、彼は旧知の友に秘密を明かすように、グレトナに話しかける。
「双の盾。それが私たちの名だ」
グレトナはその名前を聞き、やはり、という思いと同時に、もうどうにもならないのだ、という絶望が押し寄せてくるのを感じた。
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