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13話 本社での駆け引き


 場所は代わって帝都。貴族達の屋敷やビジネス街が軒を連ねる第二区に、一台の馬車が駆け込んできた。午前7時。出勤時刻にはまだ少し早いが、大通りではカフェやキオスクが朝の賑わいを見せている。その大通りを走り抜け、途中で曲がった先に5階建ての比較的新しい建物があった。レンガ造りの壁には『帝都新聞社』という文字が彫刻された大きな看板が掛かっている。

 

馬車はその門前で止まり、中から目を充血した男が飛び出してきた。シャツは長時間の馬車旅でヨレヨレになり、口の周りには無精髭が生えている。だがそんな見た目だが、ほとばしるようなエネルギーが彼からは感じられた。まだ若いのだ。


 男が手荷物茶色い封筒からは原稿用紙が数枚飛び出している。手にもインク汚れがついていた。



「夜通し走ってきたのか」


 原稿用紙をめくりながら、政治部のダン・マクマードがあごひげを撫でている。思考に沈むときの彼の癖だ。あごひげの感触を確かめるように引っ張ったりつまんだりしている。机の端に置かれた灰皿には、十数本のタバコが潰されている。


 傍らには先程の男が椅子の背もたれに深く体を預けている。全身から疲労が煙をあげているようだ。


「スクープになりますか」


 男はこの記事の価値を尋ねた。2日間張り込み、事件があってすぐに憲兵と共に現場を抑え、そのまま寝ずに帝都本社へとやってきたのである。その苦労が無駄かどうかを確かめるのは当然の反応といえた。


「だめだ、レイモンド」

 男――レイモンドが大きく身を起こした。


「何故ですか!? これは十分記事になる。いや、記事にすべき事実だ。全ての国民が知るべきです。一体この社会の裏で何が行われているのか。私はそのために記者になった。だから、これを無視してしまえば、俺はもう記者じゃない。あなただって、そんなことくらいわかっているはずだ」


「記者じゃない……そうかもしれない」

 マクマードが苦々しげに呟いた。


「ダン!」


「それに、私はもう記者じゃない」


 マクマードの机には木製のプレートが飾られている。そこには編集長、と黒い文字が書かれていた。帝都新聞社、政治部編集長。それはすなわち、本社300人、各地方200人の記者の上り詰める2つの頂点のうちの一つを意味した。もちろんその上にもいくつか役職はあるが、記者という専門職ではなく、新聞社を支える経営サイドのポジションになる。


 ダンは原稿をめくる手を止めた。


「レイモンド。私はここで終わりたくないんだ」

「マクマードさん! あなたは……」


「上から指示があった。これからの数日間に、大きな事件が起きるだろう。だが、それに関して事実を書く以外、記事を書いてはならないそうだ。特に、偏向記事はな」


「偏向記事!? 私がそんなものを書くとお思いですか? その記事に私の意見など無い。全て事実と、そこから推測される事象だけです。もちろん憶測なども存在しない。目撃証言も取れています。それでもこれが偏向記事だと言うのなら、新聞にはもう、くだらないゴシップとクソみたいな金の話しか書けなくなりますよ」


 レイモンドは充血した目に、さらに力を込める。


 だが、ダンはもうレイモンドに目を合わせることすらない。彼は自分の発言が何を意味しているのか重々に分かっている。記事を書いてはいけないという指示に従うことは、記者として、新聞社としての敗北であるということも。そして、それを伝えている自分の醜悪さも。


「そんなに、権力が欲しいんですか」

「……」


 マクマードは組んだ手に額を乗せ、机に顔を向けたままである。


 灰皿にあるタバコのようだ。レイモンドは思う。上から押し付けられ、燃えていた火は灰の中で潰される。だが、ダンを責める権利が誰にあるだろう。年月を経れば、人は変わる。皮膚がたるみ、瞳は淀み、話す声は嗄れる。眼の前で今苦悶に沈んでいる男は、もう50歳だ。その先に在るもの、掴み取れるものの限界値は今見えている以上にはならない。それをみすみす手放すことができるだろうか。たとえ信念を曲げることになろうとも、正義に背を向けてでも、届くところまで手を伸ばしたい。それこそが人の本質だ。


 ダンは立ち上がる。もうここに用はない。自分が書いた記事にすら未練はなかった。ダンの手元にある原稿に一瞥もくれず、扉へむかう。

 腐っている。腐敗している。だが、何の役職もない自分にできることは記事を書くことだけだ。今日は酒でも買って寝よう。


 そう思いながらドアに手をかけようとして、しかし。


 バンッ


 という大きな音と共に、勢い良く扉が開き、彼の額には大きな赤い痣が出来上がった。

 突然の出来事に目をつむるレイモンドが次に目を開いた時、飛び込んできたのは、すくっと立つ女の姿だ。


 長身。金髪。それに紺色のスーツ。目は大きいが、それよりも鋭い、という印象のほうが強い。口紅は派手なくらいの赤だが、それが自然に見えるほど、顔全体が豪華に作られている。美しい、という言葉よりは、麗しい、という方がその女性を評するにはふさわしいと思えた。


 レイモンドがその姿に呆気に取られていると、赤い唇が肉食獣のようにカッと開かれた。

「マクマードッ!!! 」

「……」


 あまりの声量に、呼ばれたマクマードは顔を跳ね上げる。


「なんだ……マリアンヌ」

 そして詰まったような声を返した。。


 彼女といえば、レイモンドのことを気にする様子もなく、というか気づいたという気配もなく、カツカツとヒールを鳴らして編集長のデスクの前に立ち、勢い良く両手をその机に叩きつけた。

「どういうことだ!! 」


 刺すような鋭さで睨む瞳。華やかな顔は、神話に登場する、禁忌を犯した女神のように歪められている。


「何の話だ? 」

 マクマードが尋ね返す。そして、一拍


「……聞いていたのか? 」


 レイモンドの見つめる前で、明らかにダン・マクマードは狼狽していた。その女性、マリアンヌが何者なのかは知らないが、レイモンドは悔しさを味わった。自分が屈してしまった現実に、彼女は全く怯んでいないのだ。


「そうか……お前には聞かれたくなかった。だが、俺の考えは変わらん。……この記事を載せることはできない」


「記事? 載せない? 一体何のことかは分からないが、そんなことはどうでもいい。私があんたに聞きたいのは」


 マリアンヌが机の上に一枚の紙を出す。


『ヴォルフガングの楽器取材に関して』


 紙に大きく書かれたその題字が、レイモンドの目にも入った。


「どういうことだ!? そもそもこの件を別課に振ったのはあんただろう。講和会議と観兵式でどの部署も人手が足りないから、暇を持て余してるなら行ってこい、あんたは確かにそう言った。それがなんだ、帰ってこいだと? なのに、その理由はどこにも書いていない。取るに足らない仕事と軽く見て、かと言ったら呼び戻せ。私達別課はあんたの道具じゃないんだ」


「その話か。理由ならそこに書いてあるだろう。人手が更に足りなくなった。こっちで別件の取材に当たってもらう」


 マリアンヌが話している間に、段々と余裕を取り戻したマクマードは吐き捨てる。


「だったらその別件ってのは……」


「別件は別件だ。ここで話す必要はない。分かったらさっさと出て行け」


「あんた、何様のつもりだ。政治部の編集長になったくらいで……ああ、それともアレか。取材をしているうちに、あの元老院の政治家達と一緒に腐っちまったってわけか。腐心するとはよく言ったものだな。どうせその椅子でふんぞり返る為に、ちまちまと政治工作でもしたんだろう」


「何とでも言えばいい。お前は5人足らずの別課。私の苦労などわからんだろう」

「数で競って何になる。私たちは記者だ。無能がいくら集まったところでいい記事などできない」


「ほう? ならお前達がいい記事を書いたことなどあったのか? ああ、一昨日の帝都に魔獣が出たとかどうとかいう記事のことなら、そう悪くはなかった。まぁしかし、あんなのはな」


 勿体ぶるように一呼吸を置き、下品な笑みを浮かべたマクマードは、軽蔑のこもった声を出す。


「女と子供が読む記事だ。エマ・ストリックランドだったか? なんとも頭の弱い記者だな、街の噂話を記事にするとはな。これだから女は使えない。……ああ、そう言えばお前も女だったな」


 視線は露骨に彼女のスーツから伸びる脚や、胸の膨らみに向けられている。下品で汚らしい目で。だがそれがマクマードの本意でないことは、レイモンドにはすぐに分かった。わざと、そういう目線を向けている。恐らくは、そうすることが最もこのマリアンヌ、という女性が嫌がることだと分かった上で。

 しかし、マリアンヌの目はその野卑な欲望を、真っ向から撥ねつける。


「あれは十分にいい記事だ。それに、あの子は学院を首席で出ている。こんなところに来なくとも、十分に道はある子だ」


「だったら、さっさと辞めさせろ」

「辞めさせる? あんたが辞めた方がよっぽど社の為になる」


「あー、もういい。女は水掛け論しか能がない」

 マクマードは話を打ち切るようにマリアンヌから背を向ける。そして、


「とにかく、さっさと戻るように伝えろ」

 と言うと、新しいタバコに火をつけた。


 弱者の為に、市民のために、真実を明らかにする。社会の木鐸たるべき新聞の、それがあるべき姿のはずだ。だがその帝都新聞社のトップがこうなのだ。レイモンドは歯噛みする。

 マリアンヌはしかし、案外に冷静だった。机の上から手を上げるとその手を軽くスーツの裾で払って踵を返し、そのまま退室した。入ってきたときの鬼気迫る形相すら、さっきのやり取りの中に置いてきたようだ。


 そんなものか、とレイモンドは醒めた目で彼女を見た。結局この女性とて、自分と変わらない。さっきの迫力には驚いたが口先だけなら何だって言える。しかし行動はリスクを伴う。会社、という場所において、それはすなわち、居場所を失うことに直結する。どこの所属かはわからないが、マクマードにたてつくメリットなど、己の虚栄心と倫理観が満たされるくらいしかないのだ。


 紫煙が揺れる。

 マクマードが振り向く。


「ったく、あの女は。……ああ、まだいたのかレイモンド。嫌なものを見せてしまったな」

 あれだけの罵詈雑言を吐いてもなお、マクマードは一切の罪悪感を持っていないようだった。レイモンドは一瞬、さっきの発言を問い質そうか、とも思ったのだが、結局それもやめた。勇気がない、からではない。彼もまた損得勘定をしただけのことだ。


「私もこれで失礼します」

 レイモンドは失望に囚われつつ、廊下へと出た。


 人の少ない廊下。記者たちは皆外に出ているのだろう。


 窓の外は快晴で、燦々と陽光が廊下を照らしている。しかし、廊下の半分ほどは、日の当たらない日陰になっている。レイモンドはちょうどその境目に立っている。


「ねぇ、レイモンド」


 振り返るレイモンド。陰の中から、不意に声が聞こえたのだ。


「忘れ物、あなたの」


 と、よれた原稿用紙をひらひらと振りながら、その麗人は、新しい玩具を手に入れた子供のような、とびっきりの笑顔を彼に向けたのだった。


登場人物増えてきました

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