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夢追人  作者: 飴川 壱
9/10

〈夢追人〉生誕記念パーティーにて

仮装ライブの後、普段通りのライブをいくつ終えても、俺の心には得体の知れない何かがずっと住み着いていて何度も何度も眠れない夜を過ごした。

確かその頃からだったと思う。気にならない程度だった体の異変が以前にも増してライブ後に出ることが多くなった。

眩暈や足の震え、酷い時は舞台袖に入った瞬間腰が抜けたりした事もあった。

その度に大体が羽月さんだったけど、遥大さんも詠丞も俺の事を支えてくれていた。

でも年が明けてから、回を重ねるごとに酷くなる俺の様子に見兼ねた遥大さんが、遂に次のライブの参加を見送ると決めてしまった。

行動が荒々しくなったという詠丞の言葉に俯くことしかできなかった。

そんな俺の肩を軽く叩いて 「気にするな」という羽月さんの言葉に酷く胸が苦しくなった。


それから三月に入ってすぐの金曜日、ライブハウス〈夢追人〉から一通の招待状が送られた。

『夢追人生誕祭』と大きくプリントされたそれが、遥大さんの家に届いたらしい。


「行くか…?」


遥大さんが俺の方を向いて真剣そうに聞いた。その理由がわかっているからこそ、すぐには頷けなかった。ただ、少し時間が欲しかった。


ライブハウス〈夢追人〉の生誕祭には、毎年多くの所属バンドが招待されて大いに盛り上がると、以前他バンドの人から教えられていた。そしてその日は、会場にいる人のコールによって各バンドが呼ばれ、即興曲を披露するということも。

遥大さんはその事を思って俺に問いかけた。

夜空の色をしたその瞳は、心配そうに俺の心を見ていた。

だからこそ、その場で嘘はつけなかった。

大丈夫じゃない、感情が乱れた状態で歌う事で辿り着けない世界のもどかしさも、描けない心も、投げ捨ててしまいたいほどに苦しい。羽月さんにも詠丞にも遥大さんにも申し訳ない思いでいっぱいだった。

でも、この現状をなんとか変えたいことも事実で。心配そうに見つめる視線を変えたいことも本心で。


「ん、行く。」


少しの間を置いて、俺の口は無意識のようにそう呟いていた。ほっと吐き出される吐息を聞いていると、少しは心が晴れて行くような気がした。

次の週、生誕祭の為に皆でタキシードを買いに出かけた。衣装代の余りをこの日の為に貯めていたと詠丞に聞かされた時は、驚いたけれど得意そうな顔に素直に感謝と笑みが溢れた。頭を撫でてやろうと手を伸ばしたが当然のようにはたき落とされる。やっぱり詠丞は抜かりない奴だと思った。

その後は、羽月さんに連れられるまま電車に乗り、百貨店のような大きなビルのある店でそこそこの値段がするタキシードを四着買うことをにして。蝶ネクタイの代わりに、普段のライブで付けているリボンを使用することを皆で決めた。

数日後実際に届いた一式を着てみて、鏡の前で皆並んでポーズを決めたりすると不思議と背筋がピンと伸びて、とても気分が高揚した。

足りない何かと溢れる何かが、皆と同じ時間を過ごすことで埋まるような気がした。



そして当日。俺たちは少し早めに会場入りした。煌めく色とりどりの星が飾られた〈夢追人〉の廊下にいつにも増して胸が高まる。普段にも増して大きな話し声と音楽で溢れた会場を案内されるままに、俺はふらふらと歩いていった。


「あら、SSの紅玉くんじゃない!」


不意に何処かから澄んだ女性の声が俺を呼び止めた。辺りを見回すと1人の女性が笑顔で手招きをしている。他のみんなも顔馴染みから声を掛けられていて、一旦解散、と口パクでいった瑪瑙に全員が一様に頷いた。


「あ、こっちこっち!相変わらずかっこいいわね紅玉くん。」


俺を呼んでいたのはママ友仲間で結成しているグループ<きらら>のリーダーやよいさんだった。

普段はロングスカートを好んで着ていてナチュラルなメイクなのに、今日は少し違って、ダークレッドのドレープドレスを上品に着こなしていて一段と若く見える。

背筋を伸ばし“紅玉”として一礼してから、俺も彼女の名前を呼んで笑いかけた。


「やよいさん、こんばんは。」

「はぁい、こんばんは。あっそうだ。」

「……え?」

「なぁに?」

「……えっと、これは。」

「ほら紅玉くん、最近元気なかったから…これ食べな〜。」


黒いレースの指がふわりと動いて俺の腕に絡まり、手のひらをぎゅっと握る。

突発的な接触に酷く動揺してしまい、気恥ずかしさから視線が揺れた。

しかし、手に握らされた何か固いものに気づきはっと顔を上げた。目の前でころんと、金包装されたお菓子が転がる。視界の隅でやよいさんがニコリと笑った。

開けてごらん、優しげなやよいさんの声の通りに俺は包み紙を開く。転がり落ちたのは一口大の艶やかなチョコレート。


「甘いものってすごく、疲労回復効果があるんですって。主人の頂き物なんだけとね。少しでも、元気になって欲しくて。」


やよいさんが包み紙を回収しながらそう言って俺の瞳を覗き込む。澄んだ視線がまっすぐに俺の心に突き刺さった。

気づかれて、いた。俺の不調に。

すぐにばくばく心臓が早く動き出して、口の中が一気に乾いた。

でも、ただただ心配そうなやよいさんの心が俺の心をゆったりと溶かして、俺は促されるままにチョレートコを口に運ぶ。

噛んだ瞬間じゅわりと広がった苦味に喉が焼けるように熱くなる。でも、その痛みと混じるように溶ける甘いチョコレートの味に、俺はとても惹きつけられた。

美味しい、そう溢した俺の言葉にやよいさんが顔を綻ばせる。そして、何個も何個もその魔法のようなチョコレートの包みを手渡してくれた。

数を増すと更にふわふわとした心地良さが大きくなっていって、なんでも出来るように思えてきた。頭で考えるよりも先に、心で、感じたままに動ける気がした。

そして最後の一つを口にした時、見慣れた小さな背中が目に留まった。

色素の薄い柔らかな髪が動きに合わせてさらりと揺れて、彼の頰に零れる様子に引きつけられた。



朔──────。



ふらりと視線の先に体を向ける。

するとその髪が次第に近づいてきた……いや、俺が近づいているのか。今となってはそれすら認識出来なかった。

でもいつの間にか、俺は朔のすぐ後ろに立っていて、口が勝手に動き出していた。


「朔、お前も来てたんだな。」


驚きでビクついた体の動きに合わせて揺れる髪を、やっぱり心地好さそうだと思った。

そして、朔が振り向く前に俺はその髪に手を伸ばしていて。ふわりと、普段なら仄かに香る程度の朔の家の甘い柔軟剤がとても近くで鼻をくすぐった。腕の中、顔の下であったかいものがもがく。

けれど、離したくなくて、離れて欲しくなくて一層ぎゅっと抱き込んだ。あったかい、穏やかな人肌にほっと肩の力が緩む。

重いと聞こえた気がしたけど無視した。今は何故だか朔から少しも離れたくなくて、寂しいような気がしていた。

水嶋くん、そう自分を呼ぶ声に笑みが溢れた。本名を呼ぶ為に少し近づいた距離にも心が温かくなった。

なぁに、と嬉しさを滲ませて聞いた俺の問いに朔が一層焦ったように僅かな声をあげた。

それから、とても近い位置で聞こえた溜め息に俺はまた笑みを溢した。


「水嶋くん、未成年のくせに何飲んでんだよ……。」

「んー……飲んでないよ? <きらら>のやよいさんがくれたチョコ食べたら、ふわふわして朔にぎゅってしたくなっちゃったんだ。」


頭に緩く溶け込む朔の声に思わず目を閉じゆっくり体を預けてしまった。遥大さんいるし、普段なら照れてこんなこと出来ないけれど、魔法のチョコを食べたらやっぱり出来てしまった。

顔の見えない朔はどう思っているか、声だけでは判断し難い。もしかしたら、人との接触がちょっと苦手な朔は、この現状に快く思ってないかもしれない。でも、この暖かさと支えるように俺の腕に添えられた手で俺は許されている気がしていた。


「チョコって、どんなのだったの?」


腕をぽんぽんとリズムよく叩きながら、朔がゆっくりと聞いてきた。そのテンポ感が心地良くて、落ちかけた意識を浮上させて何か言う。

口にされた言葉はもう記憶にない。

けれど、その後の朔と遥大さんのやり取りははっきりと頭に入ってきていた。


「瑪瑙さん……。」

「ウィスキーボンボンだったみたいだね。紅玉、気に入ったみたいで何個も食べてたからな。」

「いや、分かってたなら教えてあげてくださいよ」

「え、だって面白そうだったから。」

「はぁー…………。」


けらけら笑う遥大さんの声と腕から朔の手が離れる感覚で閉じていた目を薄く開く。瞬間目に入ったのは、離れた朔の手が小さく遥大さんの服の裾を掴んでいる所だった。ぎゅっと握られた遥大さんのタキシードが皺を寄せている状況に胸の奥がざわざわした。さっきまではあんなに凪いでいたのに、波の立ち始めた心は息が出来ないくらい苦しいものへと変わってしまった。

向かい合って話す2人、遥大さんの楽しげな笑み、タキシードの皺、全てにおいて心が曇った。

嫌だ、みたくない。

心に浮かぶのは何故かみにくい言葉ばかり。

そしてまた、無意識に溢れた言葉は酷く阿呆なものだった。


「…俺のこと見てよ、ばーか。ばか朔、もっと俺の相手してよ。」


見つめていた朔の手元がびくりと動く。そして流れる無音の時。周りの会話がいやに大きく聞こえた、いやこの空気に耐えられず無意識に拾ってしまっていたのかもしれない。

でも後から次第に恥ずかしくなって、俺は堪らず顔を隠すように朔の項に顔を埋めた。

途端、耳に刺さる遥大さんの大きな笑い声。

ちょっ、水嶋くん、なに、なに言って──。

その後近くから落とされた朔の声は戸惑い半分呆れ半分ってとこだろうか、でも怒ったようなその声に心の何処かで安堵していた。

嫌われたら嫌だ、でも構われないのは寂しい、俺だけを見てほしい訳じゃないけれど、俺の事ももっと見ていてほしい。

伝えたら絶対引かれるから絶対に言わない。

でも、何処かで知ってほしいと思うこの気持ちを封じ込めるように、首に回した腕に力少しだけ力を込めた。

苦しいよ、そう言う朔の声と遥大さんの笑い声がまた俺の耳を満たした。

それから少しして、離れていく遥大さんの足音と、朔の溜め息を聞きながら俺は一旦意識を手放した。



その後のライブの事ははっきりと思い出せなかった。でも気がつくとステージの上で、マイクの前で、司会の少し下には期待でざわつくゲストの顔があって。

乳白色の照明が落ちて、頰を暖かなオレンジの灯りが照らす。

暫くのざわめきの中、【Link】のメインの旋律が緩やかに流れ出した。サクソフォン、ウッドベース、ピアノ、そして最後に俺の声、合わせる度に少しずつ変わる展開の仕方が魅力的なSSの定番曲だ。

曲の合間にゲストから高らかな口笛が上がった。予測不能のアレンジがいつも驚きと軽快さを与えていて楽しい、と朔も言ってくれたこれは 俺にとってとても思い入れのある曲。その事もあってか、今日のそのゲストの一挙一動にいつも以上に胸が熱くなった。


俺にフレーズが回ってくる。

熱く、静かに、力を溜め込む火山のようなイメージが頭を走る。でもそれとは反対に胸の奥には全く正反対の、清らかな川の流れが浮かんでいた。響き出した音はいつもよりうんと声が甘く冷たいもの。

俺はすぐ 響く音に僅かな違和感を感じた。他のメンバーの音にも僅かな迷いが見える。違う、もっと熱く、もっと深く、でも音楽は止められない。

潜めた響きとぼろぽろと零れ落ちるような言の葉。その世界に添うように、他の楽器も響きをがらりと変える。Fコード、Cコード、Aコード、急激に高められた色の混じる曲調と溶けるような甘いフレーズはくらりとする程の熱を帯びていた。

苦しくて、哀しくて、でもそんな中でも何かにずっと焦がれていて。心に流れ込む得体の知れない感情に思わずぐっと目を瞑る。ゲスト席から上がる歓声なんて全く聞こえない。


フレーズの終わりと共に、ゆっくりと瞼を開けると、視界の真っ直ぐ先に見慣れた朔の柔らかな髪を見つけた。

こちらを見上げる潤んだ瞳にまた胸が苦しくなる。眉根を寄せて、朔も同じように苦しげだったのだ。不意に見えなくなる姿、なんで、どうして…。

しゃがみ込んだ朔に視線が釘付けられる。そして、すぐに扉の先へ消えていった華奢な背中に思わず腕が伸びた。

しかし、すぐ後ろから聞こえたピアノの奏でる短調のグリッサンドに意識は引き戻される。ステージが、残っている。視線だけでそう感じた。

追いかけたい、あんな辛そうな顔してるから、どうしたのって聞いてあげないと。でもまだ、曲は終わっていない。

サクソフォンが熱く唸りを上げて、終焉へと一気に持っていく。音の集まる感覚に驚いて真横に視線をやると、にやりと笑みを浮かべた遥大さんと目があった。

早く終わらせるぞ。

遥大さんの瞳にじわりと火が灯る。

雄大に吹き鳴らされたサクソフォンに、俺は大きく頷いた。音楽が大きく動く。追いかけてじっと耳を傾けて、朔の話を聞こう。

焦燥の響きは一気に熱を増してホールの片隅に消えていった。

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